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浜松への旅
                       10月12日(日)・13日(月)

 両親の結婚60周年を祝して、両親と女房とで浜松へ旅行に行った。浜松は、戦前に親父が学生時代を過ごした地なので、私にとっても学ぶことが多いと考え、私が旅行の計画を立てた。

 12日は浜名湖の西を走り、湖西市にある「豊田佐吉記念館」を訪問。途中の神社でお祭りがあって、山車に載せた大きな太鼓を叩いているのが見えた。この時期に、浜名湖周辺の町ではお祭りをする所が多いようだ。行く先々で大太鼓を叩くお祭りに遭遇することになる。
 豊田佐吉記念館は駐車場も無料である。地方の田園の中にあり、山を背にして田んぼが広がっていて、その山側に記念館はあった。記念館は、田も含めて豊田家の敷地のある、その旧宅の一角にある。小さな地味な記念館をイメージしていたが、豊田家の敷地内の旧宅に、建物は大きくはないがコンパクトに豊田佐吉の発明品等が展示されている。トヨタの資本が入っているのか、豊田家の私財が入っているのであろう。
 記念館入口横の家には豊田家の表札(豊田章一郎)があり、まだ住んでいるように見えた。後で事情を知ったが、管理人さんが住んでいる(最近は通っている)そうだ。豊田家はこの地を本籍にしていて、ときどき帰って(?)来るのだそうだ。その家の、そのまた隣には立派な車庫と家(その家の自体は高い生け垣で良く見えない)が建っていた。
 意外に来館者が何人も来ていた。私たちはビデオを見たりして、敷地内を見学。山の方も豊田家の敷地でコースがあった。
 5分程で歩ける山道のコースを下った所に豊田佐吉の生家がある。
 休憩所が生家とは別にあり、地元の掃除のボランティアの人2人が休憩していて、年配の地元の女性2人と話す。花壇のためのボランティアのグループも別にいて、けっこう地元の人がこの記念館に関わっているそうだ。ここで先程の豊田家の話をいろいろ聞いた訳である。








豊田章一郎の表札が。


コンパクトにまとめられた展示物。


佐吉が、小さい頃に夢中になって、もの作りの原点になったという凧。この地方ではこぼち凧というそうだ。


入口天井にも飾られていた。


佐吉がもの作りに夢中になったという納屋。雰囲気作りのためか綿の花やシュロの雨具が吊り下げられていた。


納屋の中には発明の出発点のハタゴが展示されていた。


豊田家の井戸。佐吉は濾過器を作ったそうだ。現在も手直しされ使われている。


ひのき林。


豊田家の先祖の墓。豊田家は1775年に絶えたので、佐吉の父の佐原伊吉が継いだそうだ。


展望台。晴れた日には富士山も眺められるという。佐吉の長男喜一郎はここでよく遊んだそうだ。


浜名湖がよく見える。


山を下った所にある元屋敷(佐吉生家跡)。豊田家を継いだ伊吉が住んで、ここで佐吉達子ども達が、孫となる喜一郎もここで生まれたそうだ。


元屋敷向かい側にあった祠。


中を覗いてみました。


山を下りた所に生家。こぎれいに花々も植えられていました。




生家の展示物。


屋根。江戸時代後期から明治の始めの時代を感じさせられる当時の農家です。


移築整備される前の当時の生家。


記念館に戻る100mほどの道にもきれいに花々が植えられていました。


記念館に戻る途中、立派な駐車場が。豊田家が戻って来た時に利用するのでしょうか。隣には大きな屋敷が。






豊田家の田圃。「佐吉の里」圃場、という看板があったので市民の手で
運営されているのでしょうか。


記念館横の屋敷。





 浜名湖に宿をとったので途中の新居の関所に寄る。この関所は全国で唯一江戸時代からの建物が残っている関所である。ボランティアの説明を聞く。私がいろいろ質問するのでサービスでいろいろと教えてもらえた。旅籠の紀伊国屋見学とセットで1人400円。駐車場は無料。周辺は現在も発掘中で、新居の関所は数年後に完全な復元がされるそうだ。
 すぐ近くの紀伊国屋見学。ここでもボランティアの説明を受けた。
 裏手に抜けて、芸者置き場小松楼見学。小松楼は見学無料。ここも地元のボランティアの説明があった。お祭りをやっていて、お菓子や餅を大量に投げていた場に遭遇。私の手には入らなかったが。
 弁天島神社の隣のホテルに宿泊。




新居の関の正面。


無料駐車場は広い。


新居の関の入口。


ここまで浜名湖だったそうだ。護岸のための杭。当時、実際はもっと太い丸太だったそうだ。


左が江戸時代からの天井。右は復元された天井。


関所内から街道方面を写す。




入り女のための許可状。


徳富蘇峰の書。




あらため女。女は別室で髪の毛の中から着物の中まで細かく調べられたそうだ。




関所で使われていた石樋。


荷物石。荷物を置いた石。




関所史史料館。


関所正面。




正面を向いて左側にも関所が広がっていたようで、現在発掘調査中。


旅籠の紀伊国屋。










旅籠当時の蒲焼きのタレが入った瓶が右手前の瓶。肉眼では暗くて見えなかったけどストロボで分かりました。乾涸びています。


遠州行灯。かさを回すと光量調節が出来ます。




風呂場。何故か由美かおるの写真が。実際に入った訳ではなく、見学しただけなのだそうだが、写真を置いておくと見学者が興味深く見るのだそうだ。






担い箱。出商い用。




蔵の中も資料館に。


芸者置き場へ。




昔からの金庫。土台からしっかり固定されている珍しいものなのだそうだ。


きらいな客が来たらここから逃げるそうだ。




ボランティア(近所の方)の方の40年程前の写真。


写真館で撮られた60年程前の芸者さんの写真。ご存命の方もいられる。


当時の周辺の写真。












何故か地球温暖化防止のキャンペーンの幟等が。










すぐ横の建物から祭りの一環であろうか、お菓子やお餅が大量に投げ出され、下で老若男女(お年寄りと子ども中心)が競うように拾っていた。




紀伊国屋資料館に戻ります。


舟金庫。これも珍しいそうです。沈まない金庫だそうです。




土蔵ですが、周りは木が。火が移ったら、壁の木を外す公風雨がされているそうです。




宿泊した弁天島のホテル。隣のホテルにテナント募集の看板が。




山頭火の句碑。春の海の どこからともなく 漕いでくる


フェニックスのオレンジ色の実がたくさん落ちていました。


地理人がたくさんいていろいろな魚が釣れているようでした。



13日(月)
 弁天島駅横のガードをくぐって、カットしようと思った浜名湖ガーデンパークへ寄って見ることに。ガーデンパークはおそろしく広そうである。駐車場だけで、ディズニーランド並である。時間の関係で入口の橋を少し渡った所までしか行かなかった。入場は無料。駐車料金も要らない。こうやって浜名湖周辺を走ると景色も良くて、なかなかのリゾート地だな、と浜名湖を見直した。浜名湖は新幹線車内から何度も見て来たが、こうやってじっくり?見学することはなかった。浜名湖はうなぎのイメージしかなかった。
 舞阪脇本陣へ向かう。
 本来は本陣まで車で入れるのだろうが、その前の道でお祭り。交差点の駐車場に車を置く。脇本陣前の道で山車に載った大太鼓と踊りの集団がいた。
 お祭りの喧噪の中を脇本陣見学。大広間にたくさんの座布団が敷かれて、祭り関係者が休憩する予定になっているようで、関係者以外は入れないような雰囲気があった。実際は、そんなことはなくて無料で参観出来る。受付の人も忙しそうだった。
 すぐ近くにある史跡北雁木(船着き場)などを少し見て浜松へ。
 賀茂真淵記念館もカットしようと思っていたが、浜松駅に行く道沿いに「賀茂真淵の生誕地」と記念館の看板があったので寄ってみることにした。
 賀茂真淵は、教科書に出て来る名として覚えているくらいで「国学者は反動的で、国粋的」と認識していたので興味も抱いていなかった。ただ、松阪の本居宣長と関係があり、戦前の小学校の国定教科書に「松阪の一夜」(賀茂真淵が神宮参拝途中に、松阪の宿泊し、そこを宣長が訪ね、学問の道について質問したと言う一節)が描かれ、とにかく戦前は有名な逸話だったということ。本居宣長についても、国粋主義者に利用されていたので、好感をもっていなかったが、古事記を発掘した第一人者であること。古事記自体には問題はたくさんあるが、批判的に読み取って行けば、第一級の考古学の資料でもあることを考えると「頭ごなしに否定して見るのもどうかな」と思うような歳にもなり、興味を覚えた訳である。
 生誕地の横の坂を車で上がって行くと県居神社。賀茂真淵の神社かな?と覗いたら直接は関係ない。伊勢神宮と関係の深い右翼的?な神社。その奥に記念館があった。
 賀茂真淵記念館は大人300円だが親父たちは無料。小さな資料館だが施設は立派。金はかかっている。ビデオ(製作は20年以上前か、と思われる古いビデオ)を見た後に、ここでも館員の方に案内してもらう。今日は私たちで計10人くらいの入館者だそうだ。子どもも入れて、年で入館者は3000人位だそうだ。まだ行政にお金のあった時代に松阪市から要請されて作った会館なのだそうだ。会館自体の維持費はけっこうかかっているそうだが、展示資料が浜松の戦災で無くなったこともあって少ない。ワンフロアしかなく、2階は資料保存のための管理機械が設備されているそうだ。ここで、静岡大学までの道を聞いたら犀が崖資料館を紹介された。
 浜松駅を右に見て、さらに浜松公園(浜松城)を右に見て、少し行くと犀が崖資料館があった。無料。元はお堂で、戦争中の砲弾の破片が梁に刺さっていた。ここでも最初にビデオを見る。徳川家康が武田軍との戦いで敗れた三方原の戦いで亡くなった人々を弔うことから始まった遠州大念仏の踊りの資料館でもある。すぐ隣に布の橋をかけ、武田軍を追い落としたという犀が崖がある。かなり深い谷であった。
 静岡大学工学部に向かう。
 高柳健次郎記念館まで構内を車で行く。もちろん?無料。昨年来た時は建設中であったがモダンな建物になっていた。こぎれいに展示物が並べられていた。レベルは大学生以上向けか。1階の受付で戦前の浜松高専の建っていた場所で、戦後は浜松女学校、最近浜松市立高校になった場所を聞く。
 浜松市立高校へ。親父がすたすたと校門を出て塀沿いに歩く。どうしたのかな?と思ったら前に来たことがあるらしく、応用化学科の建物は、そちらの方角にあるらしい。そこには西部公民館が建っていて、親父の話によるとここに応用化学科の建物だけが唯一鉄筋で焼け残ったらしい。もちろん今の建物は当時のものではないがその場所に建っていたとのことである。高柳健次郎氏のイの字の記念碑もここに建っていた。公民館内にも高柳健次郎を紹介するコーナーがあった。臨時教員養成所の記念碑もあり、隣に建っていたらしい。
 周辺散策。道はすこぶる狭い。戦前からの古い町並みでなのであろうが、古い家は戦火に焼かれたようだ。各家々の敷地は広い。
 浜松公園もパスするつもりであったが、城の外観だけは見た。天守閣は戦後再建されたものである。


弁天島の鳥居。宮島と違うのは明らかに観光用で鳥居の横には弁天島観光協会の文字が。
夜はライトアップもされています。


遠くに1号線のバイパスが。




ホテルの北側から。


弁天島駅です。


ここにも天女伝説が。






ホテル内に展示されている広重の東海道五十三次の浮世絵。浜松の絵。


舞阪の絵。


こういう時期もあるそうです。


浜名湖ガーデンパーク。










とくに春の時期は良さそうです。


舞阪の街へ。


お祭りです。






脇本陣もお祭りの会場、という感じです。




休憩所に使うのでしょうか、座布団の列。


慌ただしいのでサーッと見ました。
















関札。大名たちが宿泊する標識として出入り口に立てた。








北雁木(きたがんけ)。










浜松への道。旧東海道にに残る松並木。


県居神社。










賀茂真淵記念館。








一応特別展だそうです。








神社を下った所が賀茂真淵生誕地。






浜松駅。


浜松公園と市役所。


犀が崖資料館。








左側に梁の弾疵。






天井の絵が。ここがお堂らしい雰囲気を残す。この絵は1927年浜松師範学校美術部の生徒が描いたそうです。










犀が崖。


犀が崖資料館は、宗円堂というお堂だったそうですが、遠州大念仏の本部になったことから、1983年に主遠州大念仏の資料館として開館したそうです。


静岡大学工学部内の高柳健次郎記念館。正しくは高柳記念未来技術創造館。




他にも見学者が来ていました。


さすがにYAMAHAの本場です。










初期のブラウン管。




高柳健次郎氏が開発した『イ』の字が浮かび上がる機械式TV。












静岡大学の茶飴をもらいました。


現在の浜松市立高校。


『イ』の字の記念碑。


西部公民館。


公民館内の高柳健次郎紹介コーナー。


図書館も併設されていました。








周辺を少し散策。


浜松公園。




天守閣。


 いくつか予定したものをカットするつもりでいたが、結果的にほぼ予定通りの場所を見学した。各見学地に行ってみて、予想通りだったのは賀茂真淵記念館くらいで、それぞれが、思っていたより立派だったり、充実していたり、広大だったりで、自分自身も面白かった。ネットで現地の情報を前もって見てみても、行ってみなければ分からないことがやはりたくさんある。親父もお袋もこの旅行を喜んでくれていた。発見の多い充実した旅であった。
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2008.10.14 Tue l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲

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