科教協全国大会in石川報告ー片山津温泉へ
2008.8.2~4
1日目
石川大会に参加する前、車を扇沢に置いて(立山駅まで回送を頼む。24000円)で黒部ダムから立山を縦断した。


トンネル内でトロリーバスが行き違う。

みくりが池
フィールドワークに参加する前日に立山カルデラ展望台(弥陀が原から10分)から展望した立山カルデラ

1日目 8月1日大会前日のフィールドワーク 立山カルデラ
立山カルデラとは、立山連峰の造山活動の中で、崩壊によって出来たカルデラである。東西6.5km、南北4.5km、深さ0.7kmである。

前日は富山市内に泊り、立山アルペン村(ドライブインの一種? 富山地方鉄道立山線横江駅近く)に集合。
このバスで立山カルデラに向かう。

間違えて立山駅まで行ってしまった人を30分程待つ。


石川大会実行委員会の担当者のお2人。

トイレ休憩で寄った有峰自然公園内森林文化村の有峰記念館の2階。
いろいろと展示があったが見学時間はなかった。

有峰湖。

アスレチック等、アウトドアの施設がいろいろとある。

薬師岳の登山口近く 路上に車がたくさん見えた。
ここから折立ゲートを越えて、立山カルデラ内に入る。
ゲート内ではヘルメットを常に被る。

六九谷(ろっきゅうだに)展望台。

展望台から立山カルデラを望む。


展望台に崩壊を監視する監視塔が設置されている。


100段程の階段を登った所が展望台。


多枝原(だしわら)展望台にある幸田文の『崩れ』の記念碑

まさに『崩れ』がリアルに感じられる展望台なんだそうだが。緑の力で崩壊の傷跡は地形から想像するするしかない。
植物の力を感じられる。


尾根の真ん中辺りが昨日弥陀が原から登って展望した立山カルデラ展望台とのこと。

少し下った所が立山温泉跡地。立山温泉は、立山登山の基地にもなった、江戸時代から続いた由緒のある大きな温泉だったそうだ。数百人も宿泊したこともあるそうだが、その後、30年程前に廃墟となり部材も撤去されたそうだ。


『崩れ』の犠牲者を起用する供養塔。

江戸時代当時からある、石材の階段。

跡地に休憩所が設けられていてここで昼食。他の団体もここで昼食を摂り少々混雑。この日は計200人程の見学者がゲートから入ったそうだが、たまたま昼食はみなさんここで摂るので混雑しただけかもしれない。夏のこの時期に1日200人程ということは合計してもそんなに多くはないだろう。1年間で1万人にはならない、と思われる。


浴場跡。

立派なトイレ。

温泉はあちこちから、たくさん今も流れ出ていて工事関係者が利用することもあるそうだ。

立派な吊り橋。どこに抜けられる吊り橋だろう、と思っていたが。



無造作に突っ込まれた鉄管からは、温泉の湯が多量に。川に沿って何本か見られた。

吊り橋を渡った所に泥鰌池。


せき止め池で、しだいしだいに小さくなっているとのこと。


要するにこの立派な吊り橋は、泥鰌池を見学するためのもの。何億円かかっているのだろう。冬の間は雪のため橋がいたまないように、橋の板を外すそうだ。維持管理費も相当だろう。このあたりから『無駄な公共事業では?』とだんだん腹が立って来た。教育現場では金が無い金が無いとピーピー言っているのに。

温泉宿の金庫跡。

台所の跡。釜が残っていた。

護天涯の碑へ山道を下る。

水芭蕉。

噴泉。触ると熱い。



護天涯の碑。流されたものを砂防堰にはめ込んだものとのこと。

このようなネットを設置し種を蒔いて植物を生やして崩壊を防ぐのだそうだ。このような工法は賛成だ。





白岩砂防堰。









インクライン。トラック等の資材を運ぶエレベーター。

インクラインから下を覗く。


天涯の湯。時間の関係で足湯のみ。建設関係のみなさんが入浴するのだそうだ。

脱衣場。

みなさんヘルメットを被っての足湯がユーモラス。

女性用の露天風呂。一段高い所にある。


脱衣場の注意書き。

折立ゲート。

カモシカ発見。

有峰森林文化村に戻る。有峰記念館。


「天の夕顔の道」というのだそうです。

道にこのような待避壕が。冬、雪崩に巻き込まれないための待避壕だそうだ。


立山あるぺん村に戻る。

あるぺん村で見つけたスイカ。高い。大きい。冷蔵庫に入らないね。

アルペン村のポニー。

17時を過ぎ、結局入れなかった立山カルデラ砂防博物館。

隣に立山砂防事務所。

この日は立山駅から車ですぐの所にあるらいちょうバレースキー場のペンション愛花夢に宿泊。ペンション愛花夢を見つけるのに時間かかって10分程捜してしまった。オーナーが「つい最近、道案内の看板を壊された」とかで修理をしていた。
フィールドワークに参加して
有峰ダムへの道では、緑資源機構廃止の関係で道路が予算停止で途中でストップしている現場もあった。
現国土交通省が戦前から、この立山カルデラの崩壊防止に取り組んでいたことは理解出来た。世界的にも有名なんだそうが、ここに来るまでほとんど認識出来ていなかった。
しかし、このように砂防ダムをたくさん作るのは意味があるのだろうか。放っておくと富山市内を埋め尽くす土石流が流れていくそうだ。この将来にわたっても終わらないかも知れない土石流を防ぐ工事はそのことを防ぐ役にたっているそうだ。
結局は砂防ダムも時間とともに埋められ、機能を果たさなくなるのではないだろうか。「土砂に埋もれても機能を果たすことが出来る」という土木上の考えもあるようだが。莫大な予算(毎年50億円)を毎年投資していることに私は疑問を感じた。
私たちの教育現場では、教育予算が年ごとに窮屈になって、日頃四苦八苦しているのだ。保護者の教育費の負担も大きい。一例をあげれば、国立も含めて世界一の大学の学費なのだから。
自然力を活用する緑による防護壁には賛成する。より安くより自然の力に依拠するような対策をしていくべきではないだろうか。
講師として道案内をしていただいた元高校教師のKさん。足取りが速く、とても70歳を過ぎておられるとは思えない歩き方であった。お世話になりました。
石川大会の概要
2008.8.2~4
1日目
石川大会に参加する前、車を扇沢に置いて(立山駅まで回送を頼む。24000円)で黒部ダムから立山を縦断した。


トンネル内でトロリーバスが行き違う。

みくりが池
フィールドワークに参加する前日に立山カルデラ展望台(弥陀が原から10分)から展望した立山カルデラ

1日目 8月1日大会前日のフィールドワーク 立山カルデラ
立山カルデラとは、立山連峰の造山活動の中で、崩壊によって出来たカルデラである。東西6.5km、南北4.5km、深さ0.7kmである。

前日は富山市内に泊り、立山アルペン村(ドライブインの一種? 富山地方鉄道立山線横江駅近く)に集合。
このバスで立山カルデラに向かう。

間違えて立山駅まで行ってしまった人を30分程待つ。


石川大会実行委員会の担当者のお2人。

トイレ休憩で寄った有峰自然公園内森林文化村の有峰記念館の2階。
いろいろと展示があったが見学時間はなかった。

有峰湖。

アスレチック等、アウトドアの施設がいろいろとある。

薬師岳の登山口近く 路上に車がたくさん見えた。
ここから折立ゲートを越えて、立山カルデラ内に入る。
ゲート内ではヘルメットを常に被る。

六九谷(ろっきゅうだに)展望台。

展望台から立山カルデラを望む。


展望台に崩壊を監視する監視塔が設置されている。


100段程の階段を登った所が展望台。


多枝原(だしわら)展望台にある幸田文の『崩れ』の記念碑

まさに『崩れ』がリアルに感じられる展望台なんだそうだが。緑の力で崩壊の傷跡は地形から想像するするしかない。
植物の力を感じられる。


尾根の真ん中辺りが昨日弥陀が原から登って展望した立山カルデラ展望台とのこと。

少し下った所が立山温泉跡地。立山温泉は、立山登山の基地にもなった、江戸時代から続いた由緒のある大きな温泉だったそうだ。数百人も宿泊したこともあるそうだが、その後、30年程前に廃墟となり部材も撤去されたそうだ。


『崩れ』の犠牲者を起用する供養塔。

江戸時代当時からある、石材の階段。

跡地に休憩所が設けられていてここで昼食。他の団体もここで昼食を摂り少々混雑。この日は計200人程の見学者がゲートから入ったそうだが、たまたま昼食はみなさんここで摂るので混雑しただけかもしれない。夏のこの時期に1日200人程ということは合計してもそんなに多くはないだろう。1年間で1万人にはならない、と思われる。


浴場跡。

立派なトイレ。

温泉はあちこちから、たくさん今も流れ出ていて工事関係者が利用することもあるそうだ。

立派な吊り橋。どこに抜けられる吊り橋だろう、と思っていたが。



無造作に突っ込まれた鉄管からは、温泉の湯が多量に。川に沿って何本か見られた。

吊り橋を渡った所に泥鰌池。


せき止め池で、しだいしだいに小さくなっているとのこと。


要するにこの立派な吊り橋は、泥鰌池を見学するためのもの。何億円かかっているのだろう。冬の間は雪のため橋がいたまないように、橋の板を外すそうだ。維持管理費も相当だろう。このあたりから『無駄な公共事業では?』とだんだん腹が立って来た。教育現場では金が無い金が無いとピーピー言っているのに。

温泉宿の金庫跡。

台所の跡。釜が残っていた。

護天涯の碑へ山道を下る。

水芭蕉。

噴泉。触ると熱い。



護天涯の碑。流されたものを砂防堰にはめ込んだものとのこと。

このようなネットを設置し種を蒔いて植物を生やして崩壊を防ぐのだそうだ。このような工法は賛成だ。





白岩砂防堰。









インクライン。トラック等の資材を運ぶエレベーター。

インクラインから下を覗く。


天涯の湯。時間の関係で足湯のみ。建設関係のみなさんが入浴するのだそうだ。

脱衣場。

みなさんヘルメットを被っての足湯がユーモラス。

女性用の露天風呂。一段高い所にある。


脱衣場の注意書き。

折立ゲート。

カモシカ発見。

有峰森林文化村に戻る。有峰記念館。


「天の夕顔の道」というのだそうです。

道にこのような待避壕が。冬、雪崩に巻き込まれないための待避壕だそうだ。


立山あるぺん村に戻る。

あるぺん村で見つけたスイカ。高い。大きい。冷蔵庫に入らないね。

アルペン村のポニー。

17時を過ぎ、結局入れなかった立山カルデラ砂防博物館。

隣に立山砂防事務所。

この日は立山駅から車ですぐの所にあるらいちょうバレースキー場のペンション愛花夢に宿泊。ペンション愛花夢を見つけるのに時間かかって10分程捜してしまった。オーナーが「つい最近、道案内の看板を壊された」とかで修理をしていた。
フィールドワークに参加して
有峰ダムへの道では、緑資源機構廃止の関係で道路が予算停止で途中でストップしている現場もあった。
現国土交通省が戦前から、この立山カルデラの崩壊防止に取り組んでいたことは理解出来た。世界的にも有名なんだそうが、ここに来るまでほとんど認識出来ていなかった。
しかし、このように砂防ダムをたくさん作るのは意味があるのだろうか。放っておくと富山市内を埋め尽くす土石流が流れていくそうだ。この将来にわたっても終わらないかも知れない土石流を防ぐ工事はそのことを防ぐ役にたっているそうだ。
結局は砂防ダムも時間とともに埋められ、機能を果たさなくなるのではないだろうか。「土砂に埋もれても機能を果たすことが出来る」という土木上の考えもあるようだが。莫大な予算(毎年50億円)を毎年投資していることに私は疑問を感じた。
私たちの教育現場では、教育予算が年ごとに窮屈になって、日頃四苦八苦しているのだ。保護者の教育費の負担も大きい。一例をあげれば、国立も含めて世界一の大学の学費なのだから。
自然力を活用する緑による防護壁には賛成する。より安くより自然の力に依拠するような対策をしていくべきではないだろうか。
講師として道案内をしていただいた元高校教師のKさん。足取りが速く、とても70歳を過ぎておられるとは思えない歩き方であった。お世話になりました。
石川大会の概要
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