科学教育研究協議会 第59回全国研究大会鳥取大会
~子どもも教師もワクワクする授業を~
2012年8月3日(金)・4日(土)・5日(日)
大会会場
米子コンベンションセンター・米子市文化ホール
少人数の科教協鳥取のみなさんが準備し運営しました。千葉からは20名以上が参加したようです。千葉からは、お楽しみ広場で2ブース(+1ブース)。分科会レポートが3本ありました。
米子は(も)暑かったです。
会場内は、涼しかったですが、各分科会では熱い論議が行われました。
管理人は、行きは飛行機で米子空港に。
船で隠岐の島に寄って、2泊して4つの島を巡りました。1分程しか上陸しなかった島もありましたが。
米子空港行きの飛行機や隠岐の島では、科教協会員の人に何人か会いました。
科教協大会には2日夜の全国代表者会議から参加しました。
5日の総会後に中海と宍道湖の見学会に参加し、帰りは、6日の夜に夜行バスで帰宅しました。
さすがに、私以外で夜行バスで帰る科教協の会員は1人もいませんでした。
9500円は安いけど、横浜周辺から渋滞で、東京駅には1時間遅れで到着。7日の11時20分に着きました。
米子は前日の22時発だったので13時間のバスの旅でした。
覚悟していたわりには、意外に疲れなかった?のですが、首が少々痛かったです。
バスに乗っている時間よりも苦痛だったのは、米子22時発のバスに乗るまでの時間を持て余したこと。
バスに乗る前からけっこう疲れていたので、早く寝たかったのだけど、米子には飲み屋以外で、遅くまでやっている店がほとんどないので、どう時間を潰すか思案しました。仲間の科教協の皆さんはすでに飛行機や寝台列車に帰宅していましたし。
映画でも見ようか、とも思いましたが、眠ってしまいそうなので止めました。
飲み屋で基本的には時間を潰しましたが、酒をたくさん飲むとバスに乗り遅れそうなので、生ビール1杯にとどめました。
少人数で大会を成功させた鳥取(+α)の皆さんお世話になりました。
画像は» Read More...をクリック。
~子どもも教師もワクワクする授業を~
2012年8月3日(金)・4日(土)・5日(日)
大会会場
米子コンベンションセンター・米子市文化ホール
少人数の科教協鳥取のみなさんが準備し運営しました。千葉からは20名以上が参加したようです。千葉からは、お楽しみ広場で2ブース(+1ブース)。分科会レポートが3本ありました。
米子は(も)暑かったです。
会場内は、涼しかったですが、各分科会では熱い論議が行われました。
管理人は、行きは飛行機で米子空港に。
船で隠岐の島に寄って、2泊して4つの島を巡りました。1分程しか上陸しなかった島もありましたが。
米子空港行きの飛行機や隠岐の島では、科教協会員の人に何人か会いました。
科教協大会には2日夜の全国代表者会議から参加しました。
5日の総会後に中海と宍道湖の見学会に参加し、帰りは、6日の夜に夜行バスで帰宅しました。
さすがに、私以外で夜行バスで帰る科教協の会員は1人もいませんでした。
9500円は安いけど、横浜周辺から渋滞で、東京駅には1時間遅れで到着。7日の11時20分に着きました。
米子は前日の22時発だったので13時間のバスの旅でした。
覚悟していたわりには、意外に疲れなかった?のですが、首が少々痛かったです。
バスに乗っている時間よりも苦痛だったのは、米子22時発のバスに乗るまでの時間を持て余したこと。
バスに乗る前からけっこう疲れていたので、早く寝たかったのだけど、米子には飲み屋以外で、遅くまでやっている店がほとんどないので、どう時間を潰すか思案しました。仲間の科教協の皆さんはすでに飛行機や寝台列車に帰宅していましたし。
映画でも見ようか、とも思いましたが、眠ってしまいそうなので止めました。
飲み屋で基本的には時間を潰しましたが、酒をたくさん飲むとバスに乗り遅れそうなので、生ビール1杯にとどめました。
少人数で大会を成功させた鳥取(+α)の皆さんお世話になりました。
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30日(月)

羽田空港。タラップから飛行機に。久し振りの体験。
タラップまでのバスで、科教協東京支部の6人のメンバーに会う。やはり隠岐の島に行くとのことであった。だだ今日の宿は知夫里島だそうです。私たちは西ノ島である。

空港からはJRで境港駅に。鬼太郎一色です。

境港駅。下りたときにはたまたまかも知れませんがタクシーが1台もなくてしばらく待ちましたフェリーに間に合うか少々焦りましたが。

七類まではタクシー。
フェリーターミナル。竹島の最前線です。

隠岐の島への船旅は波のたいへんおだやかな航海。ほとんど船は揺れません。トビウオの飛翔がたびたび見えました。
知夫里島に5分間停泊。私は1分程上陸してみました。東京支部の皆さんはここで下船。

西ノ島到着後、ここでもホテルの人が見当たらず焦りましたが,TEL後にホテルに行って、レンタカーを借り(宿泊とセット)、島をまわります。
鬼舞展望所。

赤尾展望台からの国賀海岸。

国賀海岸の観音岩。

摩天崖。

船引運河。

後醍醐上皇の流刑地黒木神社。
西ノ島町の町役場のある浦郷にも行ってみて、おもしろいイカの伝説の残る由良比女神社も見学しました。
31日(火)

早朝散歩へ。「そういえば昨日から今日まで、レンタカーを借りているんだ」と思い出して、車で散歩?
この西ノ島総合公園に行って、体育館の後ろに見える焼火山(たくひさん)を見て「女房は体力的に無理だろう」と1人での焼火神社に行ってみることにしました。

この看板から山道を走ります。

駐車場に車を置いて、左手の山道を登ります。

一汗かいて焼火神社の大鳥居です。

そこから100mほど進むと立派な石垣が見えます。
大きな社務所が建っています。

社務所の奥に焼火神社の本殿が。

本殿と拝殿。

鳥居に戻る途中に見えた50段程の石段の上にある社(最初こちらが本殿かな?と思った)を覗いてから『えい行ってしまえ』と焼火山頂上を目指すことにしました。
汗びっしょりになって、頂上付近のNHKの中継所に着きます。これが後で考えると一番高い焼火山の頂上のようです。

焼火山の展望台。
実は、最初ここを通り過ぎてしまって、下りに入ってしまい往復10分の無駄に。もちろん体力も。
帰りを急ぐ途中の下山道で、足元に初めてマムシを見つけました。驚いて写真を撮ろうとするとどこかに行ってしまいました。足元30cm程近くにいたような。
ホテルの朝食を7時に頼んでいましたが、優に遅れてしまって、ホテルに戻ったのは7時30分になりました。

島のガソリンスタンド。離島補助で15円引きだそうですが、それでも高い。

昨日は月曜日で休館日だった西ノ島ふるさと館を見学しました。

島の自然と民俗の博物館。

ここも昨日休館だった黒木神社の碧風館。小さな館。館の人が詳しく説明してくれました。前もって知っていることも多かったですが、後醍醐上皇がこの西ノ島に流されたことは長い間定説だったのが、戦前に「流刑地は隠岐の島町の国分寺である」と主張する説が出て、互いに主張するようになってしまったそうです。

フェリーで中ノ島の海士町へ。

『中ノ島の地形は他の隠岐の島の島々より平地が多くて水田が盛ん』と聞いていました。実際にこのように水田が多かったです。

隠岐神社。

後鳥羽上皇流刑の地。

後鳥羽上皇の「墓」の前にちょうど団体のツアーが来ていて、ガイドさんが説明していた。

暑いのに除草作業ご苦労さまです。宮内庁が管理しているらしいです。

右手の高台に登ると後鳥羽上皇火葬塚がよく見えます。

バスを待つ間の少しの時間でしたが海士町歴史民俗資料館(後鳥羽院資料館)を見学。

館内は涼しかった。

フェリーターミナルで有名な?サザエカレーを食す。島では肉が手に入らなかったのでカレーにサザエを入れるのが当たり前だったそうだ。
ここでも、科教協東京支部の6人の皆さんに会いました。みなさん疲れ気味。

西ノ島に戻り、隠岐の島町の西郷行きのフェリーが出発するまで時間が少しあったので、島内をレンタカーで走ります。
隠岐判官館跡、三位局館跡。千幅寺御座所跡を覗きます。
これは、隠岐判官館跡。

西ノ島から隠岐の島町へ。
このときに全くの偶然ですが、フェリーを降りる乗客に昨年、東北に行った際に知り合って、今回私が隠岐の島に行こうと思い付いたきっかけになった方が船から降りて来ました。今は大阪の柏原に住んでいて、浦郷の空き家になっている実家に親子で里帰りに来たそうです。

フェリターミナルからAET?と中学生3人が見送りしてくれて、手を振っていました。

三郎岩。

隠岐の島町の西郷の街。
「竹島!かえれ島と海」と大きな看板があります。

宿では夕食がないので街に。
明治初期に自治的な臨時組織が出来たという隠岐騒動記念碑。
1日(水)

早朝散歩。
出雲大社西郷分院。

八尾川河口。

水祖神社。

神社奥に古墳があります。

しっかりした階段を登って、古墳の頂上に出ますがそこにはこれと言ったものは何もありません。

朝食後にレンタカーを借りて島内見学へ向かいます。
レンタカーを借りるところで科教協埼玉のSさんに会いました。
ここは国分尼寺跡。

隠岐国分寺。5年前に失火で本堂が全焼したので発掘調査後の再建が計画されているようです。

ちょうど住職さんが蓮華会舞の館で説明していました。

奥に牛突き場のドームが見えます。

後醍醐上皇流刑の地と言われるところ。

福浦の手掘りトンネル。
凝灰岩であるので可能なのでしょう。

明治初期に掘られた手掘りのトンネルは波でずいぶん流されていました。

隠岐の島で一番有名な?ローソク岩です。

白鳥崎。
ここにも竹島の表記が。竹島まで161kmだそうです。

白鳥崎展望台。

白鳥崎灯台。暑いのに草刈りご苦労さまです。

トカゲ岩。
ここでこの旅での大失敗が。
展望台でトカゲ岩を見ていると山道を下りて来る山道整備の人に、ここから300m程上がったところでは、もっとよく見えるよ」と言われたので、私だけ行って見ることにしたのですが。

30分も登ったり下りたりしましたが、行けども行けどもトカゲ岩が見える所はありません。
神原高原というところも通り過ぎて「さすがにこれ以上はまずい」と思って引き返したら、もといた展望台が見え始めた所に、木が痛んで危険なのでしょうか、ロープの張られた展望台が見えました。登って行くときには気付きませんでした。最初の展望台から50mも離れていません。
コンデジを壊してしまいました。登り下りしている間にコンデジと一眼レフカメラどうしをぶつけてしまったようです。45分が無駄に。もちろん汗だくになりました。

駐車場のすぐ近くから。ここでも十分よく見えます。
フェリー出発の時間がせまり、時間がなくなり、これで観光はおしまいです。

帰り道の途中のかぶら杉。

フェリーターミナル近くの2階にある隠岐自然館。

隠岐の島を後にします。

七類から米子駅まではバス。800円で米子駅です。
駅前の広場では秋田の竿燈のような練習をしていました。

第39回がいな祭というお祭りが土日にあるようです。町おこしのお祭りのようです。
『がいな』というのは大きいという意味だそうです。
夜は酒場?で食事しました。初めてスッポンの唐揚げと言うものを食しました。小骨?が多かったです。
2日(木)

ホテルを出て、お土産を買います。

米子駅前の東側は、コンベンションセンターやホール、そしてショッピングセンターがすぐ近くにあり、確かに便利。
相当な開発が行われたと思われます。
女房は飛行機で帰途につきました。

米子駅前のカバの彫刻。
私は、夜の全国代表者会議までの時間に、大山に行くことにしました。

観光案内所で聞いた大山るーぷバスに乗ります。一日乗り放題で1000円です。

お菓子の壽城というお菓子屋。

豪円山のスキー場。

大野池。
ここでおにぎり1個の昼食です。

大山寺へ。大山情報館でマウンテンバイクを借ります。電動です。大山るーぷバスの1日乗車券1000円を見せると無料です。

大山歴史自然館。無料です。

館内。

大山寺までの参道はかなりあります。マウンテンバイクだと楽ちん?

大山寺霊宝閣(宝物館)。ここは有料なのでパス。
大山寺自体はの参拝料は300円だけど大山るーぷバスを見せると無料。

石段にニホントカゲが。

下山観音堂は、大雪で庇が崩壊したそうです。その修繕を行っていました。
今年の雪は2mも積もったそうです。

本堂。

僧が修行したという金門。

大神山神社奥宮。

大山るーぷバス乗車券。

桝水高原。スキー場にヤギが2匹いました。

リフトで展望台へ。大山るーぷバスで往復600円。

さらに上に登っての展望。遠くに隠岐の島が見えました。
夏にこういう日はひじょうに珍しいと、帰りのバスの運転手さんに聞きました。
なにしろ帰りのバスは乗客私1人。その運転手さんも桝水高原から米子駅まで「乗客1人は初めて」と言っていましたが。いろいろおしゃべりしました。
この日のバスの乗客は、米子駅から大山寺まで以外は全て私1人でした。



米子駅に着いてすぐ米子コンベンションセンターへ向かいます。
岩間さんがお楽しみ広場の準備をしていました。

全国代表者会議。

大山がきれいに夕日に映えています。
3日(金)

宿で自転車を無料で貸してくれるので朝の散歩?へ。

鳥取大学医学部附属病院。

潮止め松。この松も雪害で折れてしまったそうです。

湊山公園内の樹齢300年以上と言われるソテツ。

清洞寺跡。

こうやって岩にお経の札を貼り付けて供養するようです。

供養の像。

中海。

プラネタリウムもある児童文化センターが奥に見えます。

カヌー置き場。

準備をしています。
確かに場中海はカヌーには絶好の場所です。

なぜか猿ケ島という名のところに猿が飼われています。50匹はいるでしょうか。
ちょうどエサをあげる時間でした。

米子城址に登ります。

本丸跡。
私の到着後にすぐ、なんとここで京都大会以来付き合いのある科教協神奈川支部のNさんと再会しました。
彼は駅前のホテルから歩いて来たそうです。

たいへん展望が良いです。

下り道は違う道を降りると寺の名を付けた多くの石仏が置かれていました。

内膳丸。武器庫のあった所。

「猿ケ島という変な?所があるよ」と行くことを勧めてNさんと別れ、私は中海沿いをまわります。
ここは「とりでの山」という所からの展望。

中海展望所。

元米子市役所の山陰歴史館。

平和展をやっていますが、もちろん早朝なので見られません。

9つの寺が並ぶ寺町へ。
県指定名勝という心光寺庭園を覗きました。たまたま寺の方がいたので、入口が分かりましたが、聞かないと分かりませんね。

こじんまりとした庭園でした。

寺町通。

内町後藤家。旧回船問屋。国の重要文化財。

宇気(うけ)・河口神社。8月7日の七夕の飾りつけがされていました。

ホテルに戻ってシャワーを浴びて、朝食後に科教協大会へ。
ここは米子市文化ホールです。

コンベンションセンター。

開場の9時30分に着いたのですが、すでにお楽しみ広場にはたくさんの人が。
松戸理科サークルのブースもありました。千葉からの仲間にもたくさ会いました。
境港の街を散策して来た方、鳥取砂丘や石見銀山を見学して来た方、皆生温泉に行く方等さまざまな旅程を組んで参加しています。

名誉教授もこうやって、いっしょになってブースの出し物をするところが科教協の素敵なところです。

米子市文化ホールでの全体会。基調報告と講演会。300人くらいでしょうか?

司会者会議です。
打ち合せには会場は狭かったです。

ナイターです。

本部です。

ロビーに置かれていた化学物質過敏症についての県の告知ポスター。良心的です。

私は、司会者会議で遅れましたが,東北の震災の報告会に参加しました。

参加した千葉の方々と交流会をしました。

福島での子どもと自然学会でいっしょだった甲南女子大のみなさんとも交流しました。
4日(土)

朝から、がいな祭の準備があちこちで。

自然と社会・環境の分科会です。
良い部屋で良い椅子なのですが、20数人の参加者では会場が広過ぎて。

昼は、インドの本格カレーです。
相席になった人は、この春に東京の国分寺から米子に越して来た(帰って来た?)という年配の女性で、これから米子市文化ホールでの平和のための戦争展に行くとのことでした。

時間がなかったので5分だけ平和のための戦争展を覗きます。

この日、1日だけの開催だったようです。

ゆっくり見たかったのですが、これから発表なので。

共同発表です。

実践講座。觜本さんの講座に。

鉛の融解。

ナイターは福島の報告です。

20時過ぎに終わって、ホテルへの道はがいな祭一色です。
これはミニ竿燈祭ですね。ただ、かけ声が『がいな、がいな』と違うけど。

5日(土)

祭の跡。
今日もありますが。

自転車での早朝散歩。
法勝寺鉄道車両。日本国内に現存する最古の四輪木製三等客車。

紺屋町(こうやまち)の本通り商店街のアーケード。

笑い通りのアーケード。

ここが映画監督の岡本喜八の生誕地らしい。

咲(わら)い地蔵。

加茂川の河童の像。

ここから遊覧船が出るらしい。

加茂川沿いに白壁の蔵が発ち、このような手作り感の濃い像が置かれています。

旧回船問屋船越家。

街中から米子城址の石垣が見えます。

米子市美術館。改修中です。

EVステーションがありました。

ほっしょうじ(法勝寺)通り。

コンベンションセンター奥の加茂川。先の河童の像のある加茂川は旧加茂川とのことです。

川向こうに大会の予備会場にしていた就将公民館が見えます。就

自転車で行ってみましたが、サッカー少年たちが公民館前に並んでいました。隣が就将小学校。将という名は私には少々肌に合わない名前です。

ホテル前の大通りには大きなプールが用意されています。魚のつかみ取りをするそうです。

コンベンションセンター6階から米子駅と大山。

昨日に続けて自然と社会・環境の分科会。
がいな祭でこのような団扇を配っていたそうで、たまたまもらったそうです。

原爆と原発を考えさせる発表で、原爆瓦を実際に作って?みようという実践です。

岩間さんの原発の水素爆発を再現する実験。

残部のレポート配付場所。

科教協総会で。
憲法前文の旗を岩手に引き継ぎます。

小型バスで中海・宍道湖見学会へ出発します。

米子水鳥公園。

観察舍にて。

粟島神社と大山。

通称「ゾウの檻」の無線塔。陸上自衛隊通信所。

大根島の第二溶岩トンネル(竜渓洞)。
こんなところにこんなのがあるんだ、と驚きました。
長靴に履き替えます。洞内の環境に影響を与えないために外の土を入れないようにします。

特別に手配しないと洞内に入ることはできません。

洞内の生物の説明。ここにしかいない動物(節足動物)も生息しているそうです。

洞内は懐中電灯を持って入ります。たいへん涼しい。

昔の入口。子どもの時はここから入って遊んでいた、といいます。今は塞がれています。

大根島唯一の旅館に宿泊です。

夕食後の学習会。宿泊所では人数が多くて食事出来ないので、経営が同じ料亭で。

鳥取・島根の酒。
6日(月)

朝の散歩で。

また料亭に行って朝食後、宿に戻り、出発です。
大根島の朝鮮人参畑。

島根原発の原子力館。

原子力館でのレクチャー。
「歓迎」字幕に驚きましたが、ありきたりの説明の後で、例の「原発0%・15%・25%」の解説を始めたので、ここで私は怒りを押さえて一言。できるだけおだやかに「いつまでこの話をやるのですか?」と。「私もいろいろ質問したいのですが、今後どのような対策をとるのかを聞きたいのです」と言いました。
なにしろその時点でここでの見学時間はもう20分もないのですから。
「この話はもう止めます」と10分程でまとめの話があってやっと見学へ。

原子力館の目玉の原子炉内の模型だそうですが、浜岡の方が大きかったです。

島根原発そのものです。左から1号機、2号機。

佐太(さだ)神社。

宍道湖自然観ゴビウス。

ゴビウスとは、ハゼ科の魚の学名。

館長さんからレクチャー。

入館の際に科教協の参加者が掲示物の間違いを指摘したら、帰りには訂正されていました。
さすが、良心的です。

安来の和鋼博物館を勧められていたので、バスで送ってもらって6人がここで下車して見学しました。

誠実な展示方法がされていて悪くはない博物館ではありますが、少々展示の仕方が古い、文字が小さくて読みづらいなど、改善して欲しいことがいくつかありました。

全景。

バスで安来駅に。歩ける距離ですが、暑いし、荷物があるので。
安来の駅にて。私は、ここに来てようやくどじょうすきと安来が結びつきました。

米子で。
バスを待つ間。穴子の骨の唐揚げ。

20時を過ぎると駅のシャターはほとんど降りています。
大会歓迎のステッカーがありました。シャターが上がっている時は気付きませんでした。

ようやく21時50分にバスが来ました。早くに予約していたせいか、お金を払ったのかな?と思っていました。全てネット場で予約も払いもしているのでした。席は決まっていて、前から2番目の席でした。

羽田空港。タラップから飛行機に。久し振りの体験。
タラップまでのバスで、科教協東京支部の6人のメンバーに会う。やはり隠岐の島に行くとのことであった。だだ今日の宿は知夫里島だそうです。私たちは西ノ島である。

空港からはJRで境港駅に。鬼太郎一色です。

境港駅。下りたときにはたまたまかも知れませんがタクシーが1台もなくてしばらく待ちましたフェリーに間に合うか少々焦りましたが。

七類まではタクシー。
フェリーターミナル。竹島の最前線です。

隠岐の島への船旅は波のたいへんおだやかな航海。ほとんど船は揺れません。トビウオの飛翔がたびたび見えました。
知夫里島に5分間停泊。私は1分程上陸してみました。東京支部の皆さんはここで下船。

西ノ島到着後、ここでもホテルの人が見当たらず焦りましたが,TEL後にホテルに行って、レンタカーを借り(宿泊とセット)、島をまわります。
鬼舞展望所。

赤尾展望台からの国賀海岸。

国賀海岸の観音岩。

摩天崖。

船引運河。

後醍醐上皇の流刑地黒木神社。
西ノ島町の町役場のある浦郷にも行ってみて、おもしろいイカの伝説の残る由良比女神社も見学しました。
31日(火)

早朝散歩へ。「そういえば昨日から今日まで、レンタカーを借りているんだ」と思い出して、車で散歩?
この西ノ島総合公園に行って、体育館の後ろに見える焼火山(たくひさん)を見て「女房は体力的に無理だろう」と1人での焼火神社に行ってみることにしました。

この看板から山道を走ります。

駐車場に車を置いて、左手の山道を登ります。

一汗かいて焼火神社の大鳥居です。

そこから100mほど進むと立派な石垣が見えます。
大きな社務所が建っています。

社務所の奥に焼火神社の本殿が。

本殿と拝殿。

鳥居に戻る途中に見えた50段程の石段の上にある社(最初こちらが本殿かな?と思った)を覗いてから『えい行ってしまえ』と焼火山頂上を目指すことにしました。
汗びっしょりになって、頂上付近のNHKの中継所に着きます。これが後で考えると一番高い焼火山の頂上のようです。

焼火山の展望台。
実は、最初ここを通り過ぎてしまって、下りに入ってしまい往復10分の無駄に。もちろん体力も。
帰りを急ぐ途中の下山道で、足元に初めてマムシを見つけました。驚いて写真を撮ろうとするとどこかに行ってしまいました。足元30cm程近くにいたような。
ホテルの朝食を7時に頼んでいましたが、優に遅れてしまって、ホテルに戻ったのは7時30分になりました。

島のガソリンスタンド。離島補助で15円引きだそうですが、それでも高い。

昨日は月曜日で休館日だった西ノ島ふるさと館を見学しました。

島の自然と民俗の博物館。

ここも昨日休館だった黒木神社の碧風館。小さな館。館の人が詳しく説明してくれました。前もって知っていることも多かったですが、後醍醐上皇がこの西ノ島に流されたことは長い間定説だったのが、戦前に「流刑地は隠岐の島町の国分寺である」と主張する説が出て、互いに主張するようになってしまったそうです。

フェリーで中ノ島の海士町へ。

『中ノ島の地形は他の隠岐の島の島々より平地が多くて水田が盛ん』と聞いていました。実際にこのように水田が多かったです。

隠岐神社。

後鳥羽上皇流刑の地。

後鳥羽上皇の「墓」の前にちょうど団体のツアーが来ていて、ガイドさんが説明していた。

暑いのに除草作業ご苦労さまです。宮内庁が管理しているらしいです。

右手の高台に登ると後鳥羽上皇火葬塚がよく見えます。

バスを待つ間の少しの時間でしたが海士町歴史民俗資料館(後鳥羽院資料館)を見学。

館内は涼しかった。

フェリーターミナルで有名な?サザエカレーを食す。島では肉が手に入らなかったのでカレーにサザエを入れるのが当たり前だったそうだ。
ここでも、科教協東京支部の6人の皆さんに会いました。みなさん疲れ気味。

西ノ島に戻り、隠岐の島町の西郷行きのフェリーが出発するまで時間が少しあったので、島内をレンタカーで走ります。
隠岐判官館跡、三位局館跡。千幅寺御座所跡を覗きます。
これは、隠岐判官館跡。

西ノ島から隠岐の島町へ。
このときに全くの偶然ですが、フェリーを降りる乗客に昨年、東北に行った際に知り合って、今回私が隠岐の島に行こうと思い付いたきっかけになった方が船から降りて来ました。今は大阪の柏原に住んでいて、浦郷の空き家になっている実家に親子で里帰りに来たそうです。

フェリターミナルからAET?と中学生3人が見送りしてくれて、手を振っていました。

三郎岩。

隠岐の島町の西郷の街。
「竹島!かえれ島と海」と大きな看板があります。

宿では夕食がないので街に。
明治初期に自治的な臨時組織が出来たという隠岐騒動記念碑。
1日(水)

早朝散歩。
出雲大社西郷分院。

八尾川河口。

水祖神社。

神社奥に古墳があります。

しっかりした階段を登って、古墳の頂上に出ますがそこにはこれと言ったものは何もありません。

朝食後にレンタカーを借りて島内見学へ向かいます。
レンタカーを借りるところで科教協埼玉のSさんに会いました。
ここは国分尼寺跡。

隠岐国分寺。5年前に失火で本堂が全焼したので発掘調査後の再建が計画されているようです。

ちょうど住職さんが蓮華会舞の館で説明していました。

奥に牛突き場のドームが見えます。

後醍醐上皇流刑の地と言われるところ。

福浦の手掘りトンネル。
凝灰岩であるので可能なのでしょう。

明治初期に掘られた手掘りのトンネルは波でずいぶん流されていました。

隠岐の島で一番有名な?ローソク岩です。

白鳥崎。
ここにも竹島の表記が。竹島まで161kmだそうです。

白鳥崎展望台。

白鳥崎灯台。暑いのに草刈りご苦労さまです。

トカゲ岩。
ここでこの旅での大失敗が。
展望台でトカゲ岩を見ていると山道を下りて来る山道整備の人に、ここから300m程上がったところでは、もっとよく見えるよ」と言われたので、私だけ行って見ることにしたのですが。

30分も登ったり下りたりしましたが、行けども行けどもトカゲ岩が見える所はありません。
神原高原というところも通り過ぎて「さすがにこれ以上はまずい」と思って引き返したら、もといた展望台が見え始めた所に、木が痛んで危険なのでしょうか、ロープの張られた展望台が見えました。登って行くときには気付きませんでした。最初の展望台から50mも離れていません。
コンデジを壊してしまいました。登り下りしている間にコンデジと一眼レフカメラどうしをぶつけてしまったようです。45分が無駄に。もちろん汗だくになりました。

駐車場のすぐ近くから。ここでも十分よく見えます。
フェリー出発の時間がせまり、時間がなくなり、これで観光はおしまいです。

帰り道の途中のかぶら杉。

フェリーターミナル近くの2階にある隠岐自然館。

隠岐の島を後にします。

七類から米子駅まではバス。800円で米子駅です。
駅前の広場では秋田の竿燈のような練習をしていました。

第39回がいな祭というお祭りが土日にあるようです。町おこしのお祭りのようです。
『がいな』というのは大きいという意味だそうです。
夜は酒場?で食事しました。初めてスッポンの唐揚げと言うものを食しました。小骨?が多かったです。
2日(木)

ホテルを出て、お土産を買います。

米子駅前の東側は、コンベンションセンターやホール、そしてショッピングセンターがすぐ近くにあり、確かに便利。
相当な開発が行われたと思われます。
女房は飛行機で帰途につきました。

米子駅前のカバの彫刻。
私は、夜の全国代表者会議までの時間に、大山に行くことにしました。

観光案内所で聞いた大山るーぷバスに乗ります。一日乗り放題で1000円です。

お菓子の壽城というお菓子屋。

豪円山のスキー場。

大野池。
ここでおにぎり1個の昼食です。

大山寺へ。大山情報館でマウンテンバイクを借ります。電動です。大山るーぷバスの1日乗車券1000円を見せると無料です。

大山歴史自然館。無料です。

館内。

大山寺までの参道はかなりあります。マウンテンバイクだと楽ちん?

大山寺霊宝閣(宝物館)。ここは有料なのでパス。
大山寺自体はの参拝料は300円だけど大山るーぷバスを見せると無料。

石段にニホントカゲが。

下山観音堂は、大雪で庇が崩壊したそうです。その修繕を行っていました。
今年の雪は2mも積もったそうです。

本堂。

僧が修行したという金門。

大神山神社奥宮。

大山るーぷバス乗車券。

桝水高原。スキー場にヤギが2匹いました。

リフトで展望台へ。大山るーぷバスで往復600円。

さらに上に登っての展望。遠くに隠岐の島が見えました。
夏にこういう日はひじょうに珍しいと、帰りのバスの運転手さんに聞きました。
なにしろ帰りのバスは乗客私1人。その運転手さんも桝水高原から米子駅まで「乗客1人は初めて」と言っていましたが。いろいろおしゃべりしました。
この日のバスの乗客は、米子駅から大山寺まで以外は全て私1人でした。



米子駅に着いてすぐ米子コンベンションセンターへ向かいます。
岩間さんがお楽しみ広場の準備をしていました。

全国代表者会議。

大山がきれいに夕日に映えています。
3日(金)

宿で自転車を無料で貸してくれるので朝の散歩?へ。

鳥取大学医学部附属病院。

潮止め松。この松も雪害で折れてしまったそうです。

湊山公園内の樹齢300年以上と言われるソテツ。

清洞寺跡。

こうやって岩にお経の札を貼り付けて供養するようです。

供養の像。

中海。

プラネタリウムもある児童文化センターが奥に見えます。

カヌー置き場。

準備をしています。
確かに場中海はカヌーには絶好の場所です。

なぜか猿ケ島という名のところに猿が飼われています。50匹はいるでしょうか。
ちょうどエサをあげる時間でした。

米子城址に登ります。

本丸跡。
私の到着後にすぐ、なんとここで京都大会以来付き合いのある科教協神奈川支部のNさんと再会しました。
彼は駅前のホテルから歩いて来たそうです。

たいへん展望が良いです。

下り道は違う道を降りると寺の名を付けた多くの石仏が置かれていました。

内膳丸。武器庫のあった所。

「猿ケ島という変な?所があるよ」と行くことを勧めてNさんと別れ、私は中海沿いをまわります。
ここは「とりでの山」という所からの展望。

中海展望所。

元米子市役所の山陰歴史館。

平和展をやっていますが、もちろん早朝なので見られません。

9つの寺が並ぶ寺町へ。
県指定名勝という心光寺庭園を覗きました。たまたま寺の方がいたので、入口が分かりましたが、聞かないと分かりませんね。

こじんまりとした庭園でした。

寺町通。

内町後藤家。旧回船問屋。国の重要文化財。

宇気(うけ)・河口神社。8月7日の七夕の飾りつけがされていました。

ホテルに戻ってシャワーを浴びて、朝食後に科教協大会へ。
ここは米子市文化ホールです。

コンベンションセンター。

開場の9時30分に着いたのですが、すでにお楽しみ広場にはたくさんの人が。
松戸理科サークルのブースもありました。千葉からの仲間にもたくさ会いました。
境港の街を散策して来た方、鳥取砂丘や石見銀山を見学して来た方、皆生温泉に行く方等さまざまな旅程を組んで参加しています。

名誉教授もこうやって、いっしょになってブースの出し物をするところが科教協の素敵なところです。

米子市文化ホールでの全体会。基調報告と講演会。300人くらいでしょうか?

司会者会議です。
打ち合せには会場は狭かったです。

ナイターです。

本部です。

ロビーに置かれていた化学物質過敏症についての県の告知ポスター。良心的です。

私は、司会者会議で遅れましたが,東北の震災の報告会に参加しました。

参加した千葉の方々と交流会をしました。

福島での子どもと自然学会でいっしょだった甲南女子大のみなさんとも交流しました。
4日(土)

朝から、がいな祭の準備があちこちで。

自然と社会・環境の分科会です。
良い部屋で良い椅子なのですが、20数人の参加者では会場が広過ぎて。

昼は、インドの本格カレーです。
相席になった人は、この春に東京の国分寺から米子に越して来た(帰って来た?)という年配の女性で、これから米子市文化ホールでの平和のための戦争展に行くとのことでした。

時間がなかったので5分だけ平和のための戦争展を覗きます。

この日、1日だけの開催だったようです。

ゆっくり見たかったのですが、これから発表なので。

共同発表です。

実践講座。觜本さんの講座に。

鉛の融解。

ナイターは福島の報告です。

20時過ぎに終わって、ホテルへの道はがいな祭一色です。
これはミニ竿燈祭ですね。ただ、かけ声が『がいな、がいな』と違うけど。

5日(土)

祭の跡。
今日もありますが。

自転車での早朝散歩。
法勝寺鉄道車両。日本国内に現存する最古の四輪木製三等客車。

紺屋町(こうやまち)の本通り商店街のアーケード。

笑い通りのアーケード。

ここが映画監督の岡本喜八の生誕地らしい。

咲(わら)い地蔵。

加茂川の河童の像。

ここから遊覧船が出るらしい。

加茂川沿いに白壁の蔵が発ち、このような手作り感の濃い像が置かれています。

旧回船問屋船越家。

街中から米子城址の石垣が見えます。

米子市美術館。改修中です。

EVステーションがありました。

ほっしょうじ(法勝寺)通り。

コンベンションセンター奥の加茂川。先の河童の像のある加茂川は旧加茂川とのことです。

川向こうに大会の予備会場にしていた就将公民館が見えます。就

自転車で行ってみましたが、サッカー少年たちが公民館前に並んでいました。隣が就将小学校。将という名は私には少々肌に合わない名前です。

ホテル前の大通りには大きなプールが用意されています。魚のつかみ取りをするそうです。

コンベンションセンター6階から米子駅と大山。

昨日に続けて自然と社会・環境の分科会。
がいな祭でこのような団扇を配っていたそうで、たまたまもらったそうです。

原爆と原発を考えさせる発表で、原爆瓦を実際に作って?みようという実践です。

岩間さんの原発の水素爆発を再現する実験。

残部のレポート配付場所。

科教協総会で。
憲法前文の旗を岩手に引き継ぎます。

小型バスで中海・宍道湖見学会へ出発します。

米子水鳥公園。

観察舍にて。

粟島神社と大山。

通称「ゾウの檻」の無線塔。陸上自衛隊通信所。

大根島の第二溶岩トンネル(竜渓洞)。
こんなところにこんなのがあるんだ、と驚きました。
長靴に履き替えます。洞内の環境に影響を与えないために外の土を入れないようにします。

特別に手配しないと洞内に入ることはできません。

洞内の生物の説明。ここにしかいない動物(節足動物)も生息しているそうです。

洞内は懐中電灯を持って入ります。たいへん涼しい。

昔の入口。子どもの時はここから入って遊んでいた、といいます。今は塞がれています。

大根島唯一の旅館に宿泊です。

夕食後の学習会。宿泊所では人数が多くて食事出来ないので、経営が同じ料亭で。

鳥取・島根の酒。
6日(月)

朝の散歩で。

また料亭に行って朝食後、宿に戻り、出発です。
大根島の朝鮮人参畑。

島根原発の原子力館。

原子力館でのレクチャー。
「歓迎」字幕に驚きましたが、ありきたりの説明の後で、例の「原発0%・15%・25%」の解説を始めたので、ここで私は怒りを押さえて一言。できるだけおだやかに「いつまでこの話をやるのですか?」と。「私もいろいろ質問したいのですが、今後どのような対策をとるのかを聞きたいのです」と言いました。
なにしろその時点でここでの見学時間はもう20分もないのですから。
「この話はもう止めます」と10分程でまとめの話があってやっと見学へ。

原子力館の目玉の原子炉内の模型だそうですが、浜岡の方が大きかったです。

島根原発そのものです。左から1号機、2号機。

佐太(さだ)神社。

宍道湖自然観ゴビウス。

ゴビウスとは、ハゼ科の魚の学名。

館長さんからレクチャー。

入館の際に科教協の参加者が掲示物の間違いを指摘したら、帰りには訂正されていました。
さすが、良心的です。

安来の和鋼博物館を勧められていたので、バスで送ってもらって6人がここで下車して見学しました。

誠実な展示方法がされていて悪くはない博物館ではありますが、少々展示の仕方が古い、文字が小さくて読みづらいなど、改善して欲しいことがいくつかありました。

全景。

バスで安来駅に。歩ける距離ですが、暑いし、荷物があるので。
安来の駅にて。私は、ここに来てようやくどじょうすきと安来が結びつきました。

米子で。
バスを待つ間。穴子の骨の唐揚げ。

20時を過ぎると駅のシャターはほとんど降りています。
大会歓迎のステッカーがありました。シャターが上がっている時は気付きませんでした。

ようやく21時50分にバスが来ました。早くに予約していたせいか、お金を払ったのかな?と思っていました。全てネット場で予約も払いもしているのでした。席は決まっていて、前から2番目の席でした。
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