お茶の水へ
特別講座
「中谷泰さんの人と作品」
4月3日(日)14時から16時
平和と労働センター2Fホール
入場無料
パネラー 渡辺皓司 新美猛 中谷田鶴
司会 佐藤勤
アンデパンダン展で配られたチラシを見て、この日の特別講座に行ってみた。平和と労働センターは新御茶ノ水から10分もかからない所にある。
中谷泰氏は、メジャーな作家ではないが、東京芸大教授を務め、民美所長にも在任したことがある。先日亡くなった敬愛する佐藤忠良さんとも交流があった。渋い骨太の構図のタブローを描く作家である。1909年生まれの中谷さんは、1993年に亡くなって18年も経つが、中谷氏の経歴と画風に興味を持って参加してみた。
聖橋を越えて、お茶の水の北口へ。
正面に湯島聖堂。

お茶の水駅。

柳の花が咲いていた。若葉が芽吹いている。

聖橋について書かれたプレート。
聖橋は1927年に関東大震災の復興橋梁として72万4807円で3年ほどかかって出来たのだそうだ。神田川に長さ92.47m、幅22mでアーチ橋として架けられた。名前は湯島聖堂とニコライ堂にちなんでいる。

湯島についての説明文。
由之万(ゆしま)とか由井島(ゆいしま)というの記録がある。昔、不忍池は海であったことから、湯島は島のようであったと考えられる。中山道の街道筋として1624年頃から開けた土地である。1690年に湯島聖堂、1790年に昌平黌(昌平坂学問所)が置かれ、明治維新後には、近代教育の発祥の地になった。

樹木坂についての説明文。
地獄谷坂とも呼ばれる。東京医科歯科大学北側裏門から本郷通りを越えて湯島1丁目7番の東横の道を北へ、新妻恋坂まで下る坂である。新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
江戸幕府が開かれた当時は、坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通じる坂ということで樹木谷坂の名が生まれた。地獄谷坂は、その名の訛りである。
とある。

上記の説明板のすぐ近くにおりがみ会館を見つけました。

この日は休館。平日開館。入館料無料です。

平和と労働センター。

民美の入所式でした。

1階フロアー。

2階の講堂では、まだ、民美の入所時期が続いていました。

入所式次第。

講堂入口横のオブジェ。

予定の14時より15分程遅れて始まりました。

進行役の佐藤勤さん。隣は新美猛さん。

中谷さんのビキニでの水爆実験が大きな社会問題になった頃の作品。

左が中谷田鶴さん。右が渡辺皓司さん。
田鶴さんからは「中谷がみなさんからは、温厚な方だったと言われているが、家庭では、癇癪持ちだった」という意外な側面も話されました。「とくに展覧会の締め切り日が近づくと」とのことでした。

参加者は50名以上か。

16時10分頃に終了。
近くのビルに湯島本郷百景の看板が。


都知事選候補者達。

湯島聖堂前の公園。

湯島聖堂に初めて足を踏み入れてみました。


大成殿(孔子廟)


見学は有料。入口からの写真。

杏壇(きょうだん)門

杏壇(きょうだん)門から入徳門を見る。

入徳門は1704年に建てられた物がそのまま残っているそうです。
しかし、かなり修復しているように見えますが。



階段を降りて斯文会館の方に向かう途中のスイセン。

楷樹と孔子銅像。

楷樹(かいじゅ)は、楷書の語源にもなったそうだ。1915年に中国からタネを持ち帰って育てたものだそうである。

孔子銅像は中国から贈られたもの。

仰高門。




聖橋門から。

聖橋をお茶の水に向かう。
正面にニコライ堂が見えます。

聖橋から。
お茶の水駅と地下鉄丸ノ内線。


聖橋の上からは明治大が見えます。

お茶の水駅。

淡路坂。

新御茶ノ水駅。右手にニコライ聖堂。

千代田線ホームまでは深い。

向かいの電車がホームに停まる直前に緊急地震速報で急停車。地震の数分後に動きました。
特別講座
「中谷泰さんの人と作品」
4月3日(日)14時から16時
平和と労働センター2Fホール
入場無料
パネラー 渡辺皓司 新美猛 中谷田鶴
司会 佐藤勤
アンデパンダン展で配られたチラシを見て、この日の特別講座に行ってみた。平和と労働センターは新御茶ノ水から10分もかからない所にある。
中谷泰氏は、メジャーな作家ではないが、東京芸大教授を務め、民美所長にも在任したことがある。先日亡くなった敬愛する佐藤忠良さんとも交流があった。渋い骨太の構図のタブローを描く作家である。1909年生まれの中谷さんは、1993年に亡くなって18年も経つが、中谷氏の経歴と画風に興味を持って参加してみた。

聖橋を越えて、お茶の水の北口へ。
正面に湯島聖堂。

お茶の水駅。

柳の花が咲いていた。若葉が芽吹いている。

聖橋について書かれたプレート。
聖橋は1927年に関東大震災の復興橋梁として72万4807円で3年ほどかかって出来たのだそうだ。神田川に長さ92.47m、幅22mでアーチ橋として架けられた。名前は湯島聖堂とニコライ堂にちなんでいる。

湯島についての説明文。
由之万(ゆしま)とか由井島(ゆいしま)というの記録がある。昔、不忍池は海であったことから、湯島は島のようであったと考えられる。中山道の街道筋として1624年頃から開けた土地である。1690年に湯島聖堂、1790年に昌平黌(昌平坂学問所)が置かれ、明治維新後には、近代教育の発祥の地になった。

樹木坂についての説明文。
地獄谷坂とも呼ばれる。東京医科歯科大学北側裏門から本郷通りを越えて湯島1丁目7番の東横の道を北へ、新妻恋坂まで下る坂である。新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
江戸幕府が開かれた当時は、坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通じる坂ということで樹木谷坂の名が生まれた。地獄谷坂は、その名の訛りである。
とある。

上記の説明板のすぐ近くにおりがみ会館を見つけました。

この日は休館。平日開館。入館料無料です。

平和と労働センター。

民美の入所式でした。

1階フロアー。

2階の講堂では、まだ、民美の入所時期が続いていました。

入所式次第。

講堂入口横のオブジェ。

予定の14時より15分程遅れて始まりました。

進行役の佐藤勤さん。隣は新美猛さん。

中谷さんのビキニでの水爆実験が大きな社会問題になった頃の作品。

左が中谷田鶴さん。右が渡辺皓司さん。
田鶴さんからは「中谷がみなさんからは、温厚な方だったと言われているが、家庭では、癇癪持ちだった」という意外な側面も話されました。「とくに展覧会の締め切り日が近づくと」とのことでした。

参加者は50名以上か。

16時10分頃に終了。
近くのビルに湯島本郷百景の看板が。


都知事選候補者達。

湯島聖堂前の公園。

湯島聖堂に初めて足を踏み入れてみました。


大成殿(孔子廟)


見学は有料。入口からの写真。

杏壇(きょうだん)門

杏壇(きょうだん)門から入徳門を見る。

入徳門は1704年に建てられた物がそのまま残っているそうです。
しかし、かなり修復しているように見えますが。



階段を降りて斯文会館の方に向かう途中のスイセン。

楷樹と孔子銅像。

楷樹(かいじゅ)は、楷書の語源にもなったそうだ。1915年に中国からタネを持ち帰って育てたものだそうである。

孔子銅像は中国から贈られたもの。

仰高門。




聖橋門から。

聖橋をお茶の水に向かう。
正面にニコライ堂が見えます。

聖橋から。
お茶の水駅と地下鉄丸ノ内線。


聖橋の上からは明治大が見えます。

お茶の水駅。

淡路坂。

新御茶ノ水駅。右手にニコライ聖堂。

千代田線ホームまでは深い。

向かいの電車がホームに停まる直前に緊急地震速報で急停車。地震の数分後に動きました。
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