明治大学生田
平和教育登戸研究所資料館
11月20日(土)
この夏に明治大学生田にある明治大学平和教育登戸研究所資料館(無料)を見学した。学生時代の仲間にこの春開館した明大平和教育登戸研究所資料館を紹介しようと、再度、仲間を誘って訪問することにした。
11月20日(土)には生明祭(旧生田祭)も開催中であった。
夜は旧友のUくんを偲ぶ会を開いた。登戸研究所資料館は、日曜はやっていないので会は土曜日とした。
登戸研究所資料館で待ち合わせて、登戸の日本料理柏屋で、偲ぶ会を行った。
この日の企画には,5人参加してくれたが、土曜日出勤の方もいて、登戸研究所資料館見学は3人。わざわざ秋田から来た人もいた。
私は今回2度目の登戸研究所資料館見学で、もっともっと明大生田キャンパス内の登戸研究所跡地を調査してみたい、と思った。
仲間とのことでは、みんな新たに飛躍する時期でもあり、1、2年後には、またずいぶんそれぞれの生活の基盤が変わりそうである。健康面についても何らかの病気を経た人も少なくなく、自分自身は自戒の念を抱いた。
明日が松戸市議選投票日。例年になく多数の立候補者が出た。後日の結果は、全国的にも話題になった歴史的な民主党の敗北。

有楽町で乗り換え。ビックカメラで来年のカレンダーもらう。1人1枚とかで、頼んでもだめだった。
後日、船橋のビックカメラでは、枚数無制限もらった。

小田急線の向ケ丘遊園駅で乗り換え。

生田駅。

北口の風景。

北口。

南口を降りてすぐにある直売店。立派な柿とゆずが売られていた。

南口。
バスターミナルは、少し離れた所にあるらしい。

南口に広がる畑は柿の木畑。
マンション建築(増築らしいが)反対の関係の看板が。

明大への道。

おいしそうな柿がたわわに実っていました。
と言っても私は柿は苦手なんですが。

明大への沿線沿いの道。

陸橋のガード下にこのような掲示物が。


ここから生田校舎の丘への道。

生田の丘へ。

みなさん右へのなだらかな道を。
私は正面の階段の道を。

ゴミ分別の大きな看板。
ゴミについてどこの学園祭でも力を入れるようになりました。


階段を登り切ると。

テニスコートの脇を抜けて

工学部校舎の横を抜けると

キャンパスが広がります。

工学部校舎を横に見て

少し進んだところがメインのキャンパス入り口のようです。
大きな学園祭のゲートがありました。

ゲート正面。

ゲート脇の生田神社。

登戸研究所の碑。

1988年建立と書いてあります。建立者は陸軍登戸研究所の有志だそうです。



スタンプラリーなんぞがあるということは、オープンキャンパスの意味合いもあるのでしょう。

「現象数理学の形成と発展」教育研究拠点と看板にあります。

模擬店は学園祭のどこでもありますね。

サークル棟。


ゴミ捨ーション、だそうです。

韓国人留学生会。
韓国料理を提供しています。

明大グッズもこんなに。

学生食堂もモダンになりました。

美研です。

チョコレートドリンクです。


研究室展示。


喫煙所。
このような所は昔はなかったですね。


平和教育登戸研究所資料館です。
まず、前回訪問のときのお礼をいいに事務室に。
今回も、たまたまですが山田朗教授がいました。山田教授はこの資料館の館長でもあります。
この日、見学会があり、その講師としてレクチャーがあるそうです。
「それに参加しませんか」と誘われました。
15時に仲間に会うので、それまでの時間参加することに。
そのツアーは14時からなので、それまでキャンパスをいろいろ見学することに。

前回私見学した際にが見そびれた元暗室。


いろいろなツアーが学生向けや一般向けにあるようです。
あとで聞きましたが、山田教授ともう1人の方でこの資料館をも使った明大久田野学生の一般教養の講座があるそうです。
それは意義深いことですね。

農学部棟への道。

名物ジンギスカン。

そのジンギスカンの横の木造の建物が唯一登戸研究所の木造の施設として残っている物です。
廃屋同然の状態です。一部をこのように倉庫として使っているようです。



昔からの農学部の校舎。

この前の8月に来たときにここで一部工事をしていましたが、大型ほ乳類の骨格標本が消えてしまいました。

ロビーの右手が遺伝子組換え植物培養室になっていました。

唯一残った木造の建物。ジンギスカンをやっていたところと繋がっています。

両方とも農学部の校舎です。

中央校舎のギャラリー。チアガールが演技していました。
私たちの世代からは見るとチアガールは、明治らしくないと思うのですが。

チアガールが演技していた奥が美研の展示場。隣は写真部。

う~んなんか軽いなあ。


油絵なんて1つもないようです。

ペレットストーブの実演展示。

川崎市黒川の里山での活動の展示。
このような活動は我々の時代にはなかったですね。

いろんな研究実の展示を見て回ります。

会場は学生の実験室です。

パネル展示。

学生実験室はきれいです。


花卉園芸研のコーナー。

ミクロバブルによって生育を促進するというプロジェクトですが。効果は?


地中熱を使った省エネルギーシステムを利用した温室に着いて説明したパネル。


登戸研究所資料館に戻ります。
展示説明のツアーが行われていました。

展示されていた写真。
1948年の頃の尻手黒川線近くの航空写真。高射砲陣地が写っています。

蟹ヶ谷分遣隊電波塔。(現高津区)

蟹ヶ谷分遣隊地下壕。

その地下壕の出口のある所。

気が付いたら14時になっていて、山田さんの案内が始まっていました。
奥の電球のカバーは当時の物だそうです。
手前の物はそれを似せて作った物。

風船爆弾の説明。

現在残っている木造棟の説明。偽札を作っていたようです。

当時のままの蛇口。

中国に撒いた偽札。大量の枚数を撒いたのですが、ほとんど経済かく乱の効果はなかったようです。

戦争末期、登戸研究所の多くの機関は、長野に移転しました。

登戸研究所は極秘施設でしたが、その内容が具体的にあきらかになったきっかけを説明したパネル。
25年程前の川崎市にある法政大学附属高校の生徒の調査がきっかけです。
長野に住む故伴繁雄さんが「高校生なら」と口を開いてくれたことが、全貌解明に向けて大きく前進させました。
伴繁雄さんが持っているのは自宅に隠し持っていた石井式濾過筒。

これが石井式濾過筒です。素焼きのつつですが上下はジュラルミン製です。
伴さん宅に数百本と大量にあったそうです。

軍事機密と刻印されています。

暗室への入口がなぜこのように曲がっているかは、光を漏らさないためだということです。

川崎市宮前区の「みやまえ平和人権セミナー」の企画の案内のちらし。山田さんの知り合い、ということでその輪の中に入れさせてもらいました。その趣旨は大変意義のある物です。

私が宮前区に住んでいたら参加したいような充実した内容です。
これで無料だそうです。

いっしょに回っていたら15時前に仲間が2人来ました。
彼らはこの資料館が初めてなので「まずは見学するように」と伝えて、私はツアーにそのまま参加します。
資料館外にある軍の石柱。

弾薬庫と言うより薬品庫のようです。

資料館のすぐ横にあります。
現在はこの上が農場です。

セミナー会場に向かいながらいくつかの遺跡を説明してくれるそうです。

唯一残った木造の建物。私個人としても残しておいて欲しいのですが、窓ガラスも割れたこのような状況から大学当局もその気はないようです。
残すためにはかなり手を入れざるを得ず、確かに相応の金がかかりそうです。
残すのは難しそうで、この1年以内に壊されるようなことを言っていました。

当時の消火栓です。昔からここにあったのですが気が付きませんでした。

模擬店の学生達の荷物置き場に。

図書館への階段。

中央校舎が山田教授の資料館についての説明会場。

ステージでは何かをやりだしています。

中央校舎の正面。

階段を登って。

セミナー会場まで行って、山田さんの資料をもらって仲間のいる資料館に戻ります。

2階からギャラリーを写します。

資料館ではちょうど企画展である戦争遺跡写真展「登戸研究所から戦争遺跡をみる~川崎を中心に~」の作者の方が説明をしていました。
このような「ツアー」の企画が、学園祭の時期とも重なって、この日はいくつもあり、当日の来館者は1000人程はいたかもしれません。

仲間が3人集りました。
見学している間、資料館の前の稲の実験ボックスを写します。

写真説明のグループに途中からですが参加させてもらいました。
溝ノ口のどこか(場所は教えてくれません)にこのような地下壕があるとは。
現在は入れません。壁に英語の字で何か書かれているらしく、捕虜が工事に関わったようです。
地下壕の使用目的は分からないそうです。

写真展作者のプロフィール。

仲間達を連れて私がミニツアーを行います。

この辺りに花卉園芸研も使っていた壕があるような気が。

木造棟を通って。

農学部の校舎を案内します。

植村直己記念碑。

工学部の校舎。

動物慰霊塔。
正面玄関から100m程横に入った所にあります。

体育館。

みんなで登戸まで歩くことに。途中の道祖神。
登戸まではたいしたことはないと思ったのですが。
前に明大生田から登戸まで車で行ったときは、進入禁止のところが多く、けっこう時間がかかったのですが、徒歩なら抜け道があると思ったのです。ところが。

ガードを潜ると行き止まりでした。
結局、上に架かった道にあがり向こう側に渡って線路脇の道を歩くことに。
ぜんぜん人に優しくない道にです。

線路を渡る道から、登戸方面を写します。

線路脇の水路。
生田駅から続いています。

道にも迷います。

水路の流れに鯉の姿が。

数百m進んだら向ケ丘遊園駅は目の前に見えるけど行き止まりになってしまいました。

かなり戻った所で人に聞くと、結局行き止まった所を少し戻ると脇道があったことが分かりました。そんなこんなでかなり歩きました。18時から仲間の会はあるので、時間は十分あるのですが。

ところがまた、線路を渡る道路を越えなくてはなりません。
本当に人に優しくないです。


線路を渡ってからもまたごちゃごちゃした所を通って、やっと向ケ丘遊園駅周辺へ。

警察官が駐車違反のバイクを取り締まっていました。

向ケ丘遊園南口。
しかし、仲間の会を開く柏屋は駅の北口にあります。

北口に行くためには、またぐるりと回って行く必要がありました。

やっと着いた北口への踏切。ここまで大学から40分。

向ケ丘遊園駅。

昔のままのレトロな雰囲気を持つ向ケ丘遊園駅北口。

駅前。こんなパンがあるんだ。

柏屋がすぐそこです。

この辺りに来たことがあります。

柏屋です。江戸時代から続く老舗です。

18時からと予約していたので少し待ちます。


昔の物がガラスケースに展示されていました。

17時40分に部屋に案内されました。

4000円のコースです。飲み物別。

私を入れて6人の仲間が集いました。

このような置物があるのが老舗っぽいですね。
私の趣味ではないですが。

20時30分に出ました。

登戸駅に。
北口方面は昔ながらの雰囲気。

登戸の南口。

まだ一部工事中のようです。

南口。

南武線への乗り換え口。
なぜか明治大学のフラッグが。

喫茶店に入ります。

なんとチョコレートパフェを食いましたが、少々後悔。

21時50分にお開きです。

夜の日比谷。乗り換えで。
平和教育登戸研究所資料館
11月20日(土)
この夏に明治大学生田にある明治大学平和教育登戸研究所資料館(無料)を見学した。学生時代の仲間にこの春開館した明大平和教育登戸研究所資料館を紹介しようと、再度、仲間を誘って訪問することにした。
11月20日(土)には生明祭(旧生田祭)も開催中であった。
夜は旧友のUくんを偲ぶ会を開いた。登戸研究所資料館は、日曜はやっていないので会は土曜日とした。
登戸研究所資料館で待ち合わせて、登戸の日本料理柏屋で、偲ぶ会を行った。
この日の企画には,5人参加してくれたが、土曜日出勤の方もいて、登戸研究所資料館見学は3人。わざわざ秋田から来た人もいた。
私は今回2度目の登戸研究所資料館見学で、もっともっと明大生田キャンパス内の登戸研究所跡地を調査してみたい、と思った。
仲間とのことでは、みんな新たに飛躍する時期でもあり、1、2年後には、またずいぶんそれぞれの生活の基盤が変わりそうである。健康面についても何らかの病気を経た人も少なくなく、自分自身は自戒の念を抱いた。

明日が松戸市議選投票日。例年になく多数の立候補者が出た。後日の結果は、全国的にも話題になった歴史的な民主党の敗北。

有楽町で乗り換え。ビックカメラで来年のカレンダーもらう。1人1枚とかで、頼んでもだめだった。
後日、船橋のビックカメラでは、枚数無制限もらった。

小田急線の向ケ丘遊園駅で乗り換え。

生田駅。

北口の風景。

北口。

南口を降りてすぐにある直売店。立派な柿とゆずが売られていた。

南口。
バスターミナルは、少し離れた所にあるらしい。

南口に広がる畑は柿の木畑。
マンション建築(増築らしいが)反対の関係の看板が。

明大への道。

おいしそうな柿がたわわに実っていました。
と言っても私は柿は苦手なんですが。

明大への沿線沿いの道。

陸橋のガード下にこのような掲示物が。


ここから生田校舎の丘への道。

生田の丘へ。

みなさん右へのなだらかな道を。
私は正面の階段の道を。

ゴミ分別の大きな看板。
ゴミについてどこの学園祭でも力を入れるようになりました。


階段を登り切ると。

テニスコートの脇を抜けて

工学部校舎の横を抜けると

キャンパスが広がります。

工学部校舎を横に見て

少し進んだところがメインのキャンパス入り口のようです。
大きな学園祭のゲートがありました。

ゲート正面。

ゲート脇の生田神社。

登戸研究所の碑。

1988年建立と書いてあります。建立者は陸軍登戸研究所の有志だそうです。



スタンプラリーなんぞがあるということは、オープンキャンパスの意味合いもあるのでしょう。

「現象数理学の形成と発展」教育研究拠点と看板にあります。

模擬店は学園祭のどこでもありますね。

サークル棟。


ゴミ捨ーション、だそうです。

韓国人留学生会。
韓国料理を提供しています。

明大グッズもこんなに。

学生食堂もモダンになりました。

美研です。

チョコレートドリンクです。


研究室展示。


喫煙所。
このような所は昔はなかったですね。


平和教育登戸研究所資料館です。
まず、前回訪問のときのお礼をいいに事務室に。
今回も、たまたまですが山田朗教授がいました。山田教授はこの資料館の館長でもあります。
この日、見学会があり、その講師としてレクチャーがあるそうです。
「それに参加しませんか」と誘われました。
15時に仲間に会うので、それまでの時間参加することに。
そのツアーは14時からなので、それまでキャンパスをいろいろ見学することに。

前回私見学した際にが見そびれた元暗室。


いろいろなツアーが学生向けや一般向けにあるようです。
あとで聞きましたが、山田教授ともう1人の方でこの資料館をも使った明大久田野学生の一般教養の講座があるそうです。
それは意義深いことですね。

農学部棟への道。

名物ジンギスカン。

そのジンギスカンの横の木造の建物が唯一登戸研究所の木造の施設として残っている物です。
廃屋同然の状態です。一部をこのように倉庫として使っているようです。



昔からの農学部の校舎。

この前の8月に来たときにここで一部工事をしていましたが、大型ほ乳類の骨格標本が消えてしまいました。

ロビーの右手が遺伝子組換え植物培養室になっていました。

唯一残った木造の建物。ジンギスカンをやっていたところと繋がっています。

両方とも農学部の校舎です。

中央校舎のギャラリー。チアガールが演技していました。
私たちの世代からは見るとチアガールは、明治らしくないと思うのですが。

チアガールが演技していた奥が美研の展示場。隣は写真部。

う~んなんか軽いなあ。


油絵なんて1つもないようです。

ペレットストーブの実演展示。

川崎市黒川の里山での活動の展示。
このような活動は我々の時代にはなかったですね。

いろんな研究実の展示を見て回ります。

会場は学生の実験室です。

パネル展示。

学生実験室はきれいです。


花卉園芸研のコーナー。

ミクロバブルによって生育を促進するというプロジェクトですが。効果は?


地中熱を使った省エネルギーシステムを利用した温室に着いて説明したパネル。


登戸研究所資料館に戻ります。
展示説明のツアーが行われていました。

展示されていた写真。
1948年の頃の尻手黒川線近くの航空写真。高射砲陣地が写っています。

蟹ヶ谷分遣隊電波塔。(現高津区)

蟹ヶ谷分遣隊地下壕。

その地下壕の出口のある所。

気が付いたら14時になっていて、山田さんの案内が始まっていました。
奥の電球のカバーは当時の物だそうです。
手前の物はそれを似せて作った物。

風船爆弾の説明。

現在残っている木造棟の説明。偽札を作っていたようです。

当時のままの蛇口。

中国に撒いた偽札。大量の枚数を撒いたのですが、ほとんど経済かく乱の効果はなかったようです。

戦争末期、登戸研究所の多くの機関は、長野に移転しました。

登戸研究所は極秘施設でしたが、その内容が具体的にあきらかになったきっかけを説明したパネル。
25年程前の川崎市にある法政大学附属高校の生徒の調査がきっかけです。
長野に住む故伴繁雄さんが「高校生なら」と口を開いてくれたことが、全貌解明に向けて大きく前進させました。
伴繁雄さんが持っているのは自宅に隠し持っていた石井式濾過筒。

これが石井式濾過筒です。素焼きのつつですが上下はジュラルミン製です。
伴さん宅に数百本と大量にあったそうです。

軍事機密と刻印されています。

暗室への入口がなぜこのように曲がっているかは、光を漏らさないためだということです。

川崎市宮前区の「みやまえ平和人権セミナー」の企画の案内のちらし。山田さんの知り合い、ということでその輪の中に入れさせてもらいました。その趣旨は大変意義のある物です。

私が宮前区に住んでいたら参加したいような充実した内容です。
これで無料だそうです。

いっしょに回っていたら15時前に仲間が2人来ました。
彼らはこの資料館が初めてなので「まずは見学するように」と伝えて、私はツアーにそのまま参加します。
資料館外にある軍の石柱。

弾薬庫と言うより薬品庫のようです。

資料館のすぐ横にあります。
現在はこの上が農場です。

セミナー会場に向かいながらいくつかの遺跡を説明してくれるそうです。

唯一残った木造の建物。私個人としても残しておいて欲しいのですが、窓ガラスも割れたこのような状況から大学当局もその気はないようです。
残すためにはかなり手を入れざるを得ず、確かに相応の金がかかりそうです。
残すのは難しそうで、この1年以内に壊されるようなことを言っていました。

当時の消火栓です。昔からここにあったのですが気が付きませんでした。

模擬店の学生達の荷物置き場に。

図書館への階段。

中央校舎が山田教授の資料館についての説明会場。

ステージでは何かをやりだしています。

中央校舎の正面。

階段を登って。

セミナー会場まで行って、山田さんの資料をもらって仲間のいる資料館に戻ります。

2階からギャラリーを写します。

資料館ではちょうど企画展である戦争遺跡写真展「登戸研究所から戦争遺跡をみる~川崎を中心に~」の作者の方が説明をしていました。
このような「ツアー」の企画が、学園祭の時期とも重なって、この日はいくつもあり、当日の来館者は1000人程はいたかもしれません。

仲間が3人集りました。
見学している間、資料館の前の稲の実験ボックスを写します。

写真説明のグループに途中からですが参加させてもらいました。
溝ノ口のどこか(場所は教えてくれません)にこのような地下壕があるとは。
現在は入れません。壁に英語の字で何か書かれているらしく、捕虜が工事に関わったようです。
地下壕の使用目的は分からないそうです。

写真展作者のプロフィール。

仲間達を連れて私がミニツアーを行います。

この辺りに花卉園芸研も使っていた壕があるような気が。

木造棟を通って。

農学部の校舎を案内します。

植村直己記念碑。

工学部の校舎。

動物慰霊塔。
正面玄関から100m程横に入った所にあります。

体育館。

みんなで登戸まで歩くことに。途中の道祖神。
登戸まではたいしたことはないと思ったのですが。
前に明大生田から登戸まで車で行ったときは、進入禁止のところが多く、けっこう時間がかかったのですが、徒歩なら抜け道があると思ったのです。ところが。

ガードを潜ると行き止まりでした。
結局、上に架かった道にあがり向こう側に渡って線路脇の道を歩くことに。
ぜんぜん人に優しくない道にです。

線路を渡る道から、登戸方面を写します。

線路脇の水路。
生田駅から続いています。

道にも迷います。

水路の流れに鯉の姿が。

数百m進んだら向ケ丘遊園駅は目の前に見えるけど行き止まりになってしまいました。

かなり戻った所で人に聞くと、結局行き止まった所を少し戻ると脇道があったことが分かりました。そんなこんなでかなり歩きました。18時から仲間の会はあるので、時間は十分あるのですが。

ところがまた、線路を渡る道路を越えなくてはなりません。
本当に人に優しくないです。


線路を渡ってからもまたごちゃごちゃした所を通って、やっと向ケ丘遊園駅周辺へ。

警察官が駐車違反のバイクを取り締まっていました。

向ケ丘遊園南口。
しかし、仲間の会を開く柏屋は駅の北口にあります。

北口に行くためには、またぐるりと回って行く必要がありました。

やっと着いた北口への踏切。ここまで大学から40分。

向ケ丘遊園駅。

昔のままのレトロな雰囲気を持つ向ケ丘遊園駅北口。

駅前。こんなパンがあるんだ。

柏屋がすぐそこです。

この辺りに来たことがあります。

柏屋です。江戸時代から続く老舗です。

18時からと予約していたので少し待ちます。


昔の物がガラスケースに展示されていました。

17時40分に部屋に案内されました。

4000円のコースです。飲み物別。

私を入れて6人の仲間が集いました。

このような置物があるのが老舗っぽいですね。
私の趣味ではないですが。

20時30分に出ました。

登戸駅に。
北口方面は昔ながらの雰囲気。

登戸の南口。

まだ一部工事中のようです。

南口。

南武線への乗り換え口。
なぜか明治大学のフラッグが。

喫茶店に入ります。

なんとチョコレートパフェを食いましたが、少々後悔。

21時50分にお開きです。

夜の日比谷。乗り換えで。
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