九条の会 市川
澤地久枝さん講演
10月4日(日)
澤地さんの講演を聞きに市川に。会場は市川市民会館。本八幡駅北口から京成線を越えて7分程のところ。葛飾八幡宮の境内の中にある。
昔、娘の吹奏楽の演奏で来たことがあったような。
チラシ(先日の流山の母親大会で渡されたもの)には
「九条の会市川」4周年の集い
澤地久枝さん記念講演ーひとりから始まるー
とあった。
13時開場13時30分から16時まで。
13時前に本八幡駅を降りて、八幡神社に向かう。
13時前に開場したようで席を確保したが最終的には参加者は会場が溢れるほどだったようだ。参加者1000名以上。
ロビーで食べもの通信社発行の「食と平和」(500円 定価は700円)を購入。食べもの通信に掲載された食と平和に関した記事をまとめたもの。
参加費は無料。カンパのみで運営。私もわずかなカンパをした。
澤地さんの講演で印象に残った言葉
9条を日本が獲得したとき、まだ多くのアジアの地域では交戦中であった。
私の掲げる小さな旗 70歳(2000年9月3日)のときに記した
14歳で敗戦、難民となった私。
自衛隊違憲、安保条約反対。
確立された個。
1人でもやる。1人でもやらない。(小田実の言葉)→「愛」に繋がる
1944年の軍事費。国家予算の85.5%を占めていた。
まとめの言葉として
次世代に受け渡す素敵なものを渡していきましょう。
澤地さんは現在79歳になり、心臓に持病を抱えているそうだが若々しくよく通る声で話され、お元気なように見られた。九条の会の呼びかけ人の中では一番若いとのことである。
そのような中で市川九条の会では署名運動までして澤地さんの講演を要請したのだそうだ。市川には郭沫若氏が住んでいて縁を感じたそうだ。
仕事のこととか他の九条の会呼びかけ人の大江健三郎氏のことや小田実氏や鶴見さんのこと 政治状況のこと 沖縄とか話がよく飛んだ。井上ひさし氏は、今上演中の『組曲虐殺』(小林多喜二を題材にしたもの)も「初日の昼にシナリオの原稿があがった」というようなこととか。いろいろ話したいことがありそうなのだ。
渋谷在住だそうで「久し振りに都バスに乗ったが終点に近くになってバスのアナウンスで「自衛官募集」の案内がありさらなる危機感を持った。」と話されていた。
開会の挨拶(内海愛子さん早稲田大学客員教授)、閉会の挨拶(高橋高子さん弁護士)少し長いかな?不二女子高校の演劇部のアピール新鮮でした。
『「九条の会市川」結成4周年記念のつどいアピール』に書かれていたが、市川では
『毎月9のつく日の駅頭宣伝、学習会、映画上映、戦争体験を聞く会などの活動』をしているそうだ。全国7000を越える九条の会と連携した運動を行っている。
市川の九条の会の活動の雰囲気が少し分かった。
本八幡の北口の周辺のことも初めて知ったことも多かった。
今まで何度か本八幡の駅を降りたことはあったが、南口の文化会館方面や北口でも昭和学院を通る市川柏線周辺しか知らなかったので、少し市川のことも理解することが出来た。前々から市川駅よりも本八幡駅の方が賑わっている理由も「東葛八幡宮があるからなんだ」ということを知った。

本八幡駅北口を駅のガード下のショッピング街シャポーから出る。

千葉街道に近づくと私服の警官がたくさんいる。ひょっとしたら?と思っていたら深いな街宣車のアナウンスが。

千葉街道沿いの祠。後で帰る時にじっくり見たらかなり由緒のある所であった。

信号待ちでは不快ながなり声が。向こうに市川市役所。乗っているの若造は、明らかにその筋から雇われている?ものと分かる者。

市川市役所。意外にこじんまりとしているけれど、これだけの施設で行政機能が十分なのかな?松戸の半分程の大きさに見えるけど。市川市の人口は松戸(約48万人)より2万人程少ない程度。

京成線の踏切を越えると八幡宮が見える。

東葛八幡宮の鳥居。しっかり制服組がガード。

随神門という門。このような門があるのは神仏混合の仁王門の名残り。仁王像は遷され随神が安置されている。

市川市民会館。13時まえだが、人が続々とやって来ます。


まず席を確保。

受付。

ロビーの様子。



開演まで30分以上時間があるので、周辺を見学します。
『川上善六がこの地域で1770年梨栽培を始めたことを顕彰した碑のことを説明している』
案内板の向こうに見える像は初代市川市長。

市民会館前にいくつかの碑が。一番左のものが川上善六翁の碑。


八幡神宮正面。

左に大きな神宮改築記念の碑。大きな神社である。

右側に大きな鐘楼。これも神仏混合の名残り。

890年頃創建されたらしい。

拝殿。

右手に千本イチョウ。

力石。



改築前の狛犬が。

隅に置かれてた。

神輿庫。

千本イチョウ。樹齢200年は経っているかも。


拝殿。


拝殿横の神楽殿。中の絵馬は江戸時代のもの。







神門を出て、市民会館に向かおうとしたらこのような案内図が。
しかし、それらしい銅鐸はない。変だなあ?と思って神札所の方に聞いてみる。
すると、社務所の中に安置されているらしい。わざわざ案内してくれた。
社務所の2回に置かれていた。



社務所の展示。

おもしろそうなものもあったが時間が迫って来たのでさっと見る。


社務所全景。

会場は満席。

13時35分頃始まりました。


思っていた以上に若々しい澤地さんでした。





不二女子高校演劇部のみなさん。






カンパの訴え。


サイン会。



狛犬にもお供えが。

地域の皆さんから敬われている神社なのだろう。

八幡分庁舎と八幡神社児童公園。


京成線の線路を越えると改耕碑という立派な碑が。

1920年頃周辺(市川市を中心に松戸市の南部分や鎌ヶ谷市・船橋市の西部分も含む)を農地として整備したことを記念したもの。


千葉街道沿いの鳥居。


千葉街道沿いの不知八幡森(通称 八幡の薮知らず)の案内板。
江戸時代から全国的に有名だったらしい。

行く途中に見た祠はこの森?(というほどの広さは今はない)にあったもの。

祠の右の碑は江戸時代のもの。

20mほど先には民家の壁がたくさん見えるけど。
澤地久枝さん講演
10月4日(日)
澤地さんの講演を聞きに市川に。会場は市川市民会館。本八幡駅北口から京成線を越えて7分程のところ。葛飾八幡宮の境内の中にある。
昔、娘の吹奏楽の演奏で来たことがあったような。
チラシ(先日の流山の母親大会で渡されたもの)には
「九条の会市川」4周年の集い
澤地久枝さん記念講演ーひとりから始まるー
とあった。
13時開場13時30分から16時まで。
13時前に本八幡駅を降りて、八幡神社に向かう。
13時前に開場したようで席を確保したが最終的には参加者は会場が溢れるほどだったようだ。参加者1000名以上。
ロビーで食べもの通信社発行の「食と平和」(500円 定価は700円)を購入。食べもの通信に掲載された食と平和に関した記事をまとめたもの。
参加費は無料。カンパのみで運営。私もわずかなカンパをした。
澤地さんの講演で印象に残った言葉
9条を日本が獲得したとき、まだ多くのアジアの地域では交戦中であった。
私の掲げる小さな旗 70歳(2000年9月3日)のときに記した
14歳で敗戦、難民となった私。
自衛隊違憲、安保条約反対。
確立された個。
1人でもやる。1人でもやらない。(小田実の言葉)→「愛」に繋がる
1944年の軍事費。国家予算の85.5%を占めていた。
まとめの言葉として
次世代に受け渡す素敵なものを渡していきましょう。
澤地さんは現在79歳になり、心臓に持病を抱えているそうだが若々しくよく通る声で話され、お元気なように見られた。九条の会の呼びかけ人の中では一番若いとのことである。
そのような中で市川九条の会では署名運動までして澤地さんの講演を要請したのだそうだ。市川には郭沫若氏が住んでいて縁を感じたそうだ。
仕事のこととか他の九条の会呼びかけ人の大江健三郎氏のことや小田実氏や鶴見さんのこと 政治状況のこと 沖縄とか話がよく飛んだ。井上ひさし氏は、今上演中の『組曲虐殺』(小林多喜二を題材にしたもの)も「初日の昼にシナリオの原稿があがった」というようなこととか。いろいろ話したいことがありそうなのだ。
渋谷在住だそうで「久し振りに都バスに乗ったが終点に近くになってバスのアナウンスで「自衛官募集」の案内がありさらなる危機感を持った。」と話されていた。
開会の挨拶(内海愛子さん早稲田大学客員教授)、閉会の挨拶(高橋高子さん弁護士)少し長いかな?不二女子高校の演劇部のアピール新鮮でした。
『「九条の会市川」結成4周年記念のつどいアピール』に書かれていたが、市川では
『毎月9のつく日の駅頭宣伝、学習会、映画上映、戦争体験を聞く会などの活動』をしているそうだ。全国7000を越える九条の会と連携した運動を行っている。
市川の九条の会の活動の雰囲気が少し分かった。
本八幡の北口の周辺のことも初めて知ったことも多かった。
今まで何度か本八幡の駅を降りたことはあったが、南口の文化会館方面や北口でも昭和学院を通る市川柏線周辺しか知らなかったので、少し市川のことも理解することが出来た。前々から市川駅よりも本八幡駅の方が賑わっている理由も「東葛八幡宮があるからなんだ」ということを知った。

本八幡駅北口を駅のガード下のショッピング街シャポーから出る。

千葉街道に近づくと私服の警官がたくさんいる。ひょっとしたら?と思っていたら深いな街宣車のアナウンスが。

千葉街道沿いの祠。後で帰る時にじっくり見たらかなり由緒のある所であった。

信号待ちでは不快ながなり声が。向こうに市川市役所。乗っているの若造は、明らかにその筋から雇われている?ものと分かる者。

市川市役所。意外にこじんまりとしているけれど、これだけの施設で行政機能が十分なのかな?松戸の半分程の大きさに見えるけど。市川市の人口は松戸(約48万人)より2万人程少ない程度。

京成線の踏切を越えると八幡宮が見える。

東葛八幡宮の鳥居。しっかり制服組がガード。

随神門という門。このような門があるのは神仏混合の仁王門の名残り。仁王像は遷され随神が安置されている。

市川市民会館。13時まえだが、人が続々とやって来ます。


まず席を確保。

受付。

ロビーの様子。



開演まで30分以上時間があるので、周辺を見学します。
『川上善六がこの地域で1770年梨栽培を始めたことを顕彰した碑のことを説明している』
案内板の向こうに見える像は初代市川市長。

市民会館前にいくつかの碑が。一番左のものが川上善六翁の碑。


八幡神宮正面。

左に大きな神宮改築記念の碑。大きな神社である。

右側に大きな鐘楼。これも神仏混合の名残り。

890年頃創建されたらしい。

拝殿。

右手に千本イチョウ。

力石。



改築前の狛犬が。

隅に置かれてた。

神輿庫。

千本イチョウ。樹齢200年は経っているかも。


拝殿。


拝殿横の神楽殿。中の絵馬は江戸時代のもの。







神門を出て、市民会館に向かおうとしたらこのような案内図が。
しかし、それらしい銅鐸はない。変だなあ?と思って神札所の方に聞いてみる。
すると、社務所の中に安置されているらしい。わざわざ案内してくれた。
社務所の2回に置かれていた。



社務所の展示。

おもしろそうなものもあったが時間が迫って来たのでさっと見る。


社務所全景。

会場は満席。

13時35分頃始まりました。


思っていた以上に若々しい澤地さんでした。





不二女子高校演劇部のみなさん。






カンパの訴え。


サイン会。



狛犬にもお供えが。

地域の皆さんから敬われている神社なのだろう。

八幡分庁舎と八幡神社児童公園。


京成線の線路を越えると改耕碑という立派な碑が。

1920年頃周辺(市川市を中心に松戸市の南部分や鎌ヶ谷市・船橋市の西部分も含む)を農地として整備したことを記念したもの。


千葉街道沿いの鳥居。


千葉街道沿いの不知八幡森(通称 八幡の薮知らず)の案内板。
江戸時代から全国的に有名だったらしい。

行く途中に見た祠はこの森?(というほどの広さは今はない)にあったもの。

祠の右の碑は江戸時代のもの。

20mほど先には民家の壁がたくさん見えるけど。

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