第52回千葉県母親大会 流山母親大会としては9回目
流山歴史散歩と超満員の姜尚中(カンサンジュン)氏の講演
9月13日(日)
美術にも造詣が深く、新日曜美術館の進行役でもある姜尚中氏の話も聞いてみたくて参加した。
駐車料金がかかりそうなので少し迷ったのだが、車で行くことにする。駐車料金は1日の場合は割引で400円だった。母親大会の参加券は1000円。
午前中の分科会は、流山の史跡巡り(流山市ウオッチングー歴史散歩 流山史跡ガイドの会)に参加した。前もって申込んでいなかったので、当日は予約ですでに一杯。40名の定員を越えて、希望者が多かったので2班に増やしたほどだそうだ。全員で50人程の予約者なので「キャンセルが出るのでは?」と予想し、世話人に、まずは仮の申込みをした。案の定と言っては悪いが、出発時間までに5・6人来ていなかったので参加出来ることになった。他にも私のような人が何人かいた。
この歴史散歩は結構忙しい見学であった。この日の見学は流山歴史散歩の「おさらい」として、次回にじっくり見学するということになるであろう。それでも全コースを歩いて2時間30分の見学であった。
今回の県母親大会の全参加者は1200人(後日の報道では1400人の参加とも)。講演時のホールは通路にも座り、立ち見も出て、会場に入れなかった人もいると聞く。講演中、後ろのドアは明けっ放しであった。「こんなに千葉県の母親大会で参加者が多かったことは最近ではないのでは?」と思ってしまうほどの参加者であった。なにしろ千葉県の西の端の流山での開催である。さらに、会場の流山市文化会館には、電車で行く場合は、常磐線あるいは武蔵野線から流山鉄道に乗り替えないと辿り着けない場所なのである。
先日「姜尚中氏の講演があるけどいっしょに行かない?」と誘った息子には断られたけど「あの女性に人気の姜尚中さん?」と言われて「女性に人気なの?そうなんだ」と初めて知ったのだが、会場に行って『息子の言った通りだな』と思ったのだった。
姜尚中氏の語り口はテレビで観る同様、きちっとした論点を展開する。首を大きく振って、きついようにも思える眼差しで会場を見渡し、渋いながらも、ハキハキした口調で語っていた。
心に残ったフレーズを
女性は様々なハンディを抱え、女性の生きづらさ(この使い方?)が明確に現れている社会である。トヨタの役員が「姥外」と表現したことがある。
時代は「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の時代である。
亡くなる直前の4月に金大中と対談し、近々本を出すそうだが金大中氏は「リーダーは半歩前を歩け」「リーダーは民度が生む」と語っていたそうだ。
女性は世界の人類の半分。女性問題は実は男性問題であって、男子と女子は同志である。(男子、女子という言い回しが気になった。日頃は学生相手だからかな?)
最後のまとめで
民主党政権の今後が大切。私たちをしっかり今後をときには励まし、ときには批判していくことが求められる。政党政治の要となる時代である。
姜尚中氏が
「学者よりも物書きになりたい。」
と言っていたことが心に残った。

流山市文化会館に9時30分に到着。

続々と参加者が集います。もちろん?母親大会ですから圧倒的に女性が多い。

左の建物が中央公民館。右手が文化会館(ホール)です。

正面入口側からの写真。

午前中は流山市歴史散歩か食の安全・安心の分科会に出ようかな?と思っていました。
前者は事前に申込をしていなかったので私はキャンセル待ち。

流山史跡ガイドの会のみなさんが案内してくれます。
私は後発の班で出発。

数分で流山市図書館。坂を上がったその奥が博物館。

坂の途中に葛飾県印旛県県庁所在地の史跡の石碑。

藩から県になった最初の県庁所在地がここだったそうだ。
葛飾県。

印旛県。そして千葉県になって千葉に県庁が移転したそうである。

図書館に併殺された流山市博物館。無料です。

本多家の邸宅(御殿)のあった所が赤く塗られた所。現在の流山市博物館付近=東葛県庁所在地。

小高い高台にこのように屋敷が並んでいたらしい。

高台を下ると正面が流山市役所。

坂を下ります。

街道の向こう側の現在の市役所周辺は刑場等があったらしい。

奥に市役所。

老舗のうなぎ屋。

流山市の市の花もツツジらしい。

旧流山街道を歩きます。

呉服新川屋店舗。明治時代の建物。鬼瓦が商売繁盛を願って恵比寿と大黒天であることが特徴。


南側の大黒天。

浅間神社。

浅間は浅間山ではなくて、富士山のこと。アサマは火山のことをいう古語で、全国にある浅間神社は、富士山への山岳信仰から来ているものが多いそうだ。もちろん群馬の浅間山から来ている神社もある。この流山の浅間神社は富士山の系列らしい。

旧流山街道は古い堤防(自然堤防)の上を通っているとのこと。

浅間神社境内。

旧流山街道はこちら側(浅間神社)側より3階段ほど高い。昔、この低い側に店が並んでいて、この街道を歩く人は足をきれいにして歩かないと恥ずかしかったらしい。

富士講のための富士塚の説明。富士講とは富士登山を伊勢講のように富士山を登らなくても登ったように富士信仰ができるというもの。

言われのありそうな石の塚。

神社の裏に作られた富士塚。

私も登ってみます。

1分もかからず登れます。石や土を運んで作ったそうです。登ったのは私だけ。

下りは慎重に。

いろんな石碑が建てられています。

裏道から次の史跡に。

道路を渡ります。
遠くに流山鉄道の流山駅が見えます。

ムクゲの八重だと思うけど。

常与寺です。

本堂。

本堂正面。

千葉県内最初の学生発布後の学校があっという石碑。
師範学校。この寺の本堂を使ったらしい。今ある本堂は当時の物ではないが。
2ヶ月で小学校教師を養成したらしい。

学生発布後に全国に作られた学校。


寺の脇を抜けると閻魔堂。

六地蔵が。

その右手に義賊だったという金子市之丞の墓。天保六花撰(講談)の一人だそうだ。

閻魔堂から流山街道に向かってすぐの所に近藤勇が陣を張っていたが、政府軍に捕まったと言う場所。

古い蔵の下に石碑。

観光協会の人が準備中。

キッコーマンのみりん工場の横にある庚申塔。

キッコーマン流山工場。

右手に工場。奥に江戸川の堤防が見えます。

別の庚申塔。旧流山街道沿いにたくさんあります。

懐かしい雰囲気の漂う雑貨屋。

遠くの緑の所が一茶双樹記念館。

長流寺。

一茶双樹記念館が見えて来ました。


全景。入館料は団体割引で80円。



屋内。復元家屋です。

「みせ」は見せるから来たそうです。

明治末から大正時代の秋元三左衛門本店入口付近。

双樹亭。




歌碑。

奥に茶室が。

庭園。

茶室では、お茶をしていました。



正面家屋2階の展示場。

2階の展示場からの双樹亭。

旧流山街道側。

斜向いの杜のアトリエ黎明。

一茶双樹記念館の横は広大な空き地が。メルシャンのワイン工場があったそうである。マンションでも建ちそうだ。

光明院。


ここにも六地蔵が。

山門。

双樹の墓に。

右が双樹。左が奥方。

菩薩像も古そうだ鎌倉時代の物だそうだ。

一茶と双樹の連句の句碑。

多羅葉の木。別名はがきの木。


こんな風に葉の裏に傷を付けて文を書くそうだ。

赤城神社の大しめ縄。

東経139度53分53秒
北緯35度50分44秒
標高4.753m
という基準点がありました。

奥に赤城神社。

一茶の句碑。

越後節 蔵に聞こえて 秋の雨 という句です。

むくろじ。


時代を感じさせる庚申塔。

12時少し前に歴史探訪はひとまず終わり。また来た流山街道を戻ります。

杜のアトリエ黎明という所をさーっと見学します。

秋元洒汀展をやっていた。

ここは秋元家に関係する所のようだ。


閻魔堂で金子市之丞の墓をもう一度確認しようと寄って見る。
途中の近藤勇陣屋跡の前に観光協会の人がハッピを着て待機していました。

間違っていませんでした。


観光協会でこんな説明用の屋台も。

店先にこんなコーナーもあるお店も。

新流山街道に曲がります。

コンビニで昼食を買いました。

図書館近くのお堂で子どもがお参りしている姿が見えました。

1767年建立の六部尊というお堂です。

博物館に戻って昼休みの間に急いで見学します。

1階ロビー。

博物館入口。

奥が図書館。

高瀬舟の模型。


















また、文化会館に戻ります。

公民館での分科会は終わっています。

出ようかな?と思っていた食の分科会。

学力の分科会会場で昼食。コンビニそば。


どこの会場も混んでいました。

13時前に文化会館に入場します。

ホールの席を確保します。

姜氏のサイン会が始まっています。

1人1人に力強く握手されていました。

ロビーも混雑です。

松戸の新婦人のみなさん。

松教組の婦人部。

姜氏のサイン会は長蛇の列。



左は姜氏のサインを最初の方にもらった方。右はつい先程もらった方。やはり最初は時間に余裕が。

会場はすでに一杯。

あらぐさのお囃しから全体会のオープニング。

通路も一杯。会場に入れない方も。

あらぐさ座の民舞。花笠踊りです。

フラダンス。小学3年の子も熱演です。

総勢100人近くのフラダンス。

全体会実行委員長挨拶。

松戸平和委員会向井さんの挨拶。

14時30分からいよいよ姜氏の講演です。






15時40分までが姜氏の講演でした。

各団体からの訴え。全教から。

閉会の挨拶。

全体合唱。

来年度は八千代で。



16時30分に帰宅します。

帰りの途中に気になっていた『関さんの森』に寄ってみました。
つい先日松戸市で和解し、協定が成立しました。


この道路に繋がります。


子どもの遊び場も。






17時まで。見学しました。
流山歴史散歩と超満員の姜尚中(カンサンジュン)氏の講演
9月13日(日)
美術にも造詣が深く、新日曜美術館の進行役でもある姜尚中氏の話も聞いてみたくて参加した。
駐車料金がかかりそうなので少し迷ったのだが、車で行くことにする。駐車料金は1日の場合は割引で400円だった。母親大会の参加券は1000円。
午前中の分科会は、流山の史跡巡り(流山市ウオッチングー歴史散歩 流山史跡ガイドの会)に参加した。前もって申込んでいなかったので、当日は予約ですでに一杯。40名の定員を越えて、希望者が多かったので2班に増やしたほどだそうだ。全員で50人程の予約者なので「キャンセルが出るのでは?」と予想し、世話人に、まずは仮の申込みをした。案の定と言っては悪いが、出発時間までに5・6人来ていなかったので参加出来ることになった。他にも私のような人が何人かいた。
この歴史散歩は結構忙しい見学であった。この日の見学は流山歴史散歩の「おさらい」として、次回にじっくり見学するということになるであろう。それでも全コースを歩いて2時間30分の見学であった。
今回の県母親大会の全参加者は1200人(後日の報道では1400人の参加とも)。講演時のホールは通路にも座り、立ち見も出て、会場に入れなかった人もいると聞く。講演中、後ろのドアは明けっ放しであった。「こんなに千葉県の母親大会で参加者が多かったことは最近ではないのでは?」と思ってしまうほどの参加者であった。なにしろ千葉県の西の端の流山での開催である。さらに、会場の流山市文化会館には、電車で行く場合は、常磐線あるいは武蔵野線から流山鉄道に乗り替えないと辿り着けない場所なのである。
先日「姜尚中氏の講演があるけどいっしょに行かない?」と誘った息子には断られたけど「あの女性に人気の姜尚中さん?」と言われて「女性に人気なの?そうなんだ」と初めて知ったのだが、会場に行って『息子の言った通りだな』と思ったのだった。
姜尚中氏の語り口はテレビで観る同様、きちっとした論点を展開する。首を大きく振って、きついようにも思える眼差しで会場を見渡し、渋いながらも、ハキハキした口調で語っていた。
心に残ったフレーズを
女性は様々なハンディを抱え、女性の生きづらさ(この使い方?)が明確に現れている社会である。トヨタの役員が「姥外」と表現したことがある。
時代は「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の時代である。
亡くなる直前の4月に金大中と対談し、近々本を出すそうだが金大中氏は「リーダーは半歩前を歩け」「リーダーは民度が生む」と語っていたそうだ。
女性は世界の人類の半分。女性問題は実は男性問題であって、男子と女子は同志である。(男子、女子という言い回しが気になった。日頃は学生相手だからかな?)
最後のまとめで
民主党政権の今後が大切。私たちをしっかり今後をときには励まし、ときには批判していくことが求められる。政党政治の要となる時代である。
姜尚中氏が
「学者よりも物書きになりたい。」
と言っていたことが心に残った。

流山市文化会館に9時30分に到着。

続々と参加者が集います。もちろん?母親大会ですから圧倒的に女性が多い。

左の建物が中央公民館。右手が文化会館(ホール)です。

正面入口側からの写真。

午前中は流山市歴史散歩か食の安全・安心の分科会に出ようかな?と思っていました。
前者は事前に申込をしていなかったので私はキャンセル待ち。

流山史跡ガイドの会のみなさんが案内してくれます。
私は後発の班で出発。

数分で流山市図書館。坂を上がったその奥が博物館。

坂の途中に葛飾県印旛県県庁所在地の史跡の石碑。

藩から県になった最初の県庁所在地がここだったそうだ。
葛飾県。

印旛県。そして千葉県になって千葉に県庁が移転したそうである。

図書館に併殺された流山市博物館。無料です。

本多家の邸宅(御殿)のあった所が赤く塗られた所。現在の流山市博物館付近=東葛県庁所在地。

小高い高台にこのように屋敷が並んでいたらしい。

高台を下ると正面が流山市役所。

坂を下ります。

街道の向こう側の現在の市役所周辺は刑場等があったらしい。

奥に市役所。

老舗のうなぎ屋。

流山市の市の花もツツジらしい。

旧流山街道を歩きます。

呉服新川屋店舗。明治時代の建物。鬼瓦が商売繁盛を願って恵比寿と大黒天であることが特徴。


南側の大黒天。

浅間神社。

浅間は浅間山ではなくて、富士山のこと。アサマは火山のことをいう古語で、全国にある浅間神社は、富士山への山岳信仰から来ているものが多いそうだ。もちろん群馬の浅間山から来ている神社もある。この流山の浅間神社は富士山の系列らしい。

旧流山街道は古い堤防(自然堤防)の上を通っているとのこと。

浅間神社境内。

旧流山街道はこちら側(浅間神社)側より3階段ほど高い。昔、この低い側に店が並んでいて、この街道を歩く人は足をきれいにして歩かないと恥ずかしかったらしい。

富士講のための富士塚の説明。富士講とは富士登山を伊勢講のように富士山を登らなくても登ったように富士信仰ができるというもの。

言われのありそうな石の塚。

神社の裏に作られた富士塚。

私も登ってみます。

1分もかからず登れます。石や土を運んで作ったそうです。登ったのは私だけ。

下りは慎重に。

いろんな石碑が建てられています。

裏道から次の史跡に。

道路を渡ります。
遠くに流山鉄道の流山駅が見えます。

ムクゲの八重だと思うけど。

常与寺です。

本堂。

本堂正面。

千葉県内最初の学生発布後の学校があっという石碑。
師範学校。この寺の本堂を使ったらしい。今ある本堂は当時の物ではないが。
2ヶ月で小学校教師を養成したらしい。

学生発布後に全国に作られた学校。


寺の脇を抜けると閻魔堂。

六地蔵が。

その右手に義賊だったという金子市之丞の墓。天保六花撰(講談)の一人だそうだ。

閻魔堂から流山街道に向かってすぐの所に近藤勇が陣を張っていたが、政府軍に捕まったと言う場所。

古い蔵の下に石碑。

観光協会の人が準備中。

キッコーマンのみりん工場の横にある庚申塔。

キッコーマン流山工場。

右手に工場。奥に江戸川の堤防が見えます。

別の庚申塔。旧流山街道沿いにたくさんあります。

懐かしい雰囲気の漂う雑貨屋。

遠くの緑の所が一茶双樹記念館。

長流寺。

一茶双樹記念館が見えて来ました。


全景。入館料は団体割引で80円。



屋内。復元家屋です。

「みせ」は見せるから来たそうです。

明治末から大正時代の秋元三左衛門本店入口付近。

双樹亭。




歌碑。

奥に茶室が。

庭園。

茶室では、お茶をしていました。



正面家屋2階の展示場。

2階の展示場からの双樹亭。

旧流山街道側。

斜向いの杜のアトリエ黎明。

一茶双樹記念館の横は広大な空き地が。メルシャンのワイン工場があったそうである。マンションでも建ちそうだ。

光明院。


ここにも六地蔵が。

山門。

双樹の墓に。

右が双樹。左が奥方。

菩薩像も古そうだ鎌倉時代の物だそうだ。

一茶と双樹の連句の句碑。

多羅葉の木。別名はがきの木。


こんな風に葉の裏に傷を付けて文を書くそうだ。

赤城神社の大しめ縄。

東経139度53分53秒
北緯35度50分44秒
標高4.753m
という基準点がありました。

奥に赤城神社。

一茶の句碑。

越後節 蔵に聞こえて 秋の雨 という句です。

むくろじ。


時代を感じさせる庚申塔。

12時少し前に歴史探訪はひとまず終わり。また来た流山街道を戻ります。

杜のアトリエ黎明という所をさーっと見学します。

秋元洒汀展をやっていた。

ここは秋元家に関係する所のようだ。


閻魔堂で金子市之丞の墓をもう一度確認しようと寄って見る。
途中の近藤勇陣屋跡の前に観光協会の人がハッピを着て待機していました。

間違っていませんでした。


観光協会でこんな説明用の屋台も。

店先にこんなコーナーもあるお店も。

新流山街道に曲がります。

コンビニで昼食を買いました。

図書館近くのお堂で子どもがお参りしている姿が見えました。

1767年建立の六部尊というお堂です。

博物館に戻って昼休みの間に急いで見学します。

1階ロビー。

博物館入口。

奥が図書館。

高瀬舟の模型。


















また、文化会館に戻ります。

公民館での分科会は終わっています。

出ようかな?と思っていた食の分科会。

学力の分科会会場で昼食。コンビニそば。


どこの会場も混んでいました。

13時前に文化会館に入場します。

ホールの席を確保します。

姜氏のサイン会が始まっています。

1人1人に力強く握手されていました。

ロビーも混雑です。

松戸の新婦人のみなさん。

松教組の婦人部。

姜氏のサイン会は長蛇の列。



左は姜氏のサインを最初の方にもらった方。右はつい先程もらった方。やはり最初は時間に余裕が。

会場はすでに一杯。

あらぐさのお囃しから全体会のオープニング。

通路も一杯。会場に入れない方も。

あらぐさ座の民舞。花笠踊りです。

フラダンス。小学3年の子も熱演です。

総勢100人近くのフラダンス。

全体会実行委員長挨拶。

松戸平和委員会向井さんの挨拶。

14時30分からいよいよ姜氏の講演です。






15時40分までが姜氏の講演でした。

各団体からの訴え。全教から。

閉会の挨拶。

全体合唱。

来年度は八千代で。



16時30分に帰宅します。

帰りの途中に気になっていた『関さんの森』に寄ってみました。
つい先日松戸市で和解し、協定が成立しました。


この道路に繋がります。


子どもの遊び場も。






17時まで。見学しました。
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