秋田への旅
7月26日(日)~30日(木)
例年、全国で開催される科教協全国大会にかけて、国内の旅をしている。今年は埼玉なので、別の設定をすることにした。女房が「角館に行きたい」というので、秋田への旅行を企画した。私は「一度、酒田の土門拳写真館(土門拳記念館)に行ってみたい」と思っていたので、女房の生まれ故郷の秋田探訪も入れて企画してみた。
女房は、秋田に産まれて、すぐ横手に。その後八戸に転居し、幼稚園は秋田で、築山小学校に1ヶ月のみ通学し米沢に。また小学校4年生の1年間だけを秋田で過ごした。その後松本、千葉、福島、川崎と転居した。
26日は5時に出発した。
大仙ICを降りて20分ほど車で東に走る。
印象に残った見学地を記録しておく。
行ってみてびっくり!払田の柵跡
角館に行く前に、大仙ICから少し東に行った所に払田の柵というところがあり、寄ってみようと思った。現地に着くまで払田の柵を「はらいだのさく」と読むとばかり思っていたが「ホッタのサク」であった。
私のかなりアバウトな感覚だが、一般的な学校のグランド20個以上はあろうかという広大な公園?のような敷地である。
その敷地の芝がきれいに刈られていて、その芝を刈るだけでも相当な費用がかかると思われた。
園内や道路を挟んで向かい側にある資料館も無料。前もって申し込んでおくと説明もしてくれるらしい。
角館
道路が広い。古いものが大切に守られている。
広大な武士の屋敷跡。関東以南の武家屋敷とは違って、商人の屋敷も含めてそれぞれの敷地が広い。雪のためであろうか。
秋田城→久保田城(千秋公園)そして赤れんが郷土館
秋田市内の城は佐竹氏の居城。
市街のほぼど真ん中に位置する。
赤れんが郷土館との共通券が安いので、あまり寄る気がなかったねぶり流し館にも寄った。子ども用の竿燈をいじっていたら、館内の方が声をかけてきてくれて、いろいろな説明をしてくれた。秋田の街は、武家屋敷と商人の街、寺町が明確に区分されている。その街の配置は防衛のためで、寺町で武士が防衛線を張り、破られたら、商人街を焼き、防衛、そして武家屋敷、城、と配置している。庶民は「捨て石」ですね。
竿燈は庶民の祭で昔は商人町の中の職人のみが行う祭りだったが、最近は新住民も参加するようになったそうだ。
古くからの歓楽街は川反(かわばたと読むそうだ)という場所。割烹料理屋が多い。昔よりかなり減ったそうだが。
秋田城跡 土崎
ここは、払田の柵よりも知られているが、関東の方ではどれだけの人が知っているかなあ?もちろん歴史に詳しい人にとっては常識の史跡でしょうが。ちなみに私の職場の若い社会科の教師は秋田城も払田の柵も知らなかった。
園内も資料館も無料。
丁寧なボランティアの説明があった。
日本最古の水洗トイレがあることで有名である。
復元された小屋?のような厠で、再建?費用8500万円以上だそうだ。
酒田の街
割烹料理屋が町の大きさの割にはひじょうに多い。しかし店を閉めた所も少なくない。
「おくりびと」で有名になった?ようだが、味のある古い街である。ただ、酒田の大火(1976年)で大きな被害を被った。燃えたのは商店街が中心で、古いものは少なかったようだが。
鶴岡
帰宅の日だったので、さっと見学した。
見学無料の到道館という庄内藩藩校だけの見学である。瀟洒な明治の建物がいくつか残っていて外観だけ見た。
秋田への旅で
日本産の油田採掘場等まだまだ見てみたいところもいくつか残っているが、またの機会に。
秋田までは遠かった。ほぼ500㎞以上を一気に走るのは辛い。軽自動車では。
帰りは、鶴岡から自宅まで(月山ICまでは一般道)は、それほど苦痛ではなかったが。
一気に走るのは300㎞から400㎞が適当かな?今後、500㎞以上の旅は、寄り道しないで行くとしたら「電車で行ってレンタカー」が適当かもしれない。
私にとって一番印象深かった場所はやはり払田の柵である。秋田城址を比較して訪問すると全体像が理解できるようになる。秋田城址での説明も良かった。
再認識したこと。東北への朝廷勢力の進出が日本海側からであること。
多賀城や胆沢城のイメージが強いので(両方とも私はまだ見学したことはないが)、私には「朝廷勢力の進出は、ほぼ南から緯度に沿って北に進んでいった」という感覚があった。実際には日本海側からの進出が先であったということである。これは冬は別にして、日本海側の方が大和から直線距離が近いだけでなく、海流の関係からも波が穏やかで、北に勢力を伸ばしやすかった、ということが言えるだろう。そういえば北海道(蝦夷)の松前藩は、日本海側に城があった。
秋田旧市街の城を守るような街の配置を知ったことも含めて、新たに歴史認識を深めさせてくれた旅であった。
名所旧跡は、メジャーの所だけでなく、マイナー?なところもかなり見応えがあるし、新たな発見がある。私は、意識してそういうところも見つけ、旅をするのを好むのだが今回の払田の柵は収穫であった。
「秋田の人は真面目で宣伝が下手」と秋田城跡のボランティアの人が語っていたが。
公的資金の予算削減や人員削減の中で、このような史跡が今後どのようになっていくのか気になるところである。
7月26日(日)~30日(木)
例年、全国で開催される科教協全国大会にかけて、国内の旅をしている。今年は埼玉なので、別の設定をすることにした。女房が「角館に行きたい」というので、秋田への旅行を企画した。私は「一度、酒田の土門拳写真館(土門拳記念館)に行ってみたい」と思っていたので、女房の生まれ故郷の秋田探訪も入れて企画してみた。
女房は、秋田に産まれて、すぐ横手に。その後八戸に転居し、幼稚園は秋田で、築山小学校に1ヶ月のみ通学し米沢に。また小学校4年生の1年間だけを秋田で過ごした。その後松本、千葉、福島、川崎と転居した。
26日は5時に出発した。
大仙ICを降りて20分ほど車で東に走る。
印象に残った見学地を記録しておく。
行ってみてびっくり!払田の柵跡
角館に行く前に、大仙ICから少し東に行った所に払田の柵というところがあり、寄ってみようと思った。現地に着くまで払田の柵を「はらいだのさく」と読むとばかり思っていたが「ホッタのサク」であった。
私のかなりアバウトな感覚だが、一般的な学校のグランド20個以上はあろうかという広大な公園?のような敷地である。
その敷地の芝がきれいに刈られていて、その芝を刈るだけでも相当な費用がかかると思われた。
園内や道路を挟んで向かい側にある資料館も無料。前もって申し込んでおくと説明もしてくれるらしい。
角館
道路が広い。古いものが大切に守られている。
広大な武士の屋敷跡。関東以南の武家屋敷とは違って、商人の屋敷も含めてそれぞれの敷地が広い。雪のためであろうか。
秋田城→久保田城(千秋公園)そして赤れんが郷土館
秋田市内の城は佐竹氏の居城。
市街のほぼど真ん中に位置する。
赤れんが郷土館との共通券が安いので、あまり寄る気がなかったねぶり流し館にも寄った。子ども用の竿燈をいじっていたら、館内の方が声をかけてきてくれて、いろいろな説明をしてくれた。秋田の街は、武家屋敷と商人の街、寺町が明確に区分されている。その街の配置は防衛のためで、寺町で武士が防衛線を張り、破られたら、商人街を焼き、防衛、そして武家屋敷、城、と配置している。庶民は「捨て石」ですね。
竿燈は庶民の祭で昔は商人町の中の職人のみが行う祭りだったが、最近は新住民も参加するようになったそうだ。
古くからの歓楽街は川反(かわばたと読むそうだ)という場所。割烹料理屋が多い。昔よりかなり減ったそうだが。
秋田城跡 土崎
ここは、払田の柵よりも知られているが、関東の方ではどれだけの人が知っているかなあ?もちろん歴史に詳しい人にとっては常識の史跡でしょうが。ちなみに私の職場の若い社会科の教師は秋田城も払田の柵も知らなかった。
園内も資料館も無料。
丁寧なボランティアの説明があった。
日本最古の水洗トイレがあることで有名である。
復元された小屋?のような厠で、再建?費用8500万円以上だそうだ。
酒田の街
割烹料理屋が町の大きさの割にはひじょうに多い。しかし店を閉めた所も少なくない。
「おくりびと」で有名になった?ようだが、味のある古い街である。ただ、酒田の大火(1976年)で大きな被害を被った。燃えたのは商店街が中心で、古いものは少なかったようだが。
鶴岡
帰宅の日だったので、さっと見学した。
見学無料の到道館という庄内藩藩校だけの見学である。瀟洒な明治の建物がいくつか残っていて外観だけ見た。
秋田への旅で
日本産の油田採掘場等まだまだ見てみたいところもいくつか残っているが、またの機会に。
秋田までは遠かった。ほぼ500㎞以上を一気に走るのは辛い。軽自動車では。
帰りは、鶴岡から自宅まで(月山ICまでは一般道)は、それほど苦痛ではなかったが。
一気に走るのは300㎞から400㎞が適当かな?今後、500㎞以上の旅は、寄り道しないで行くとしたら「電車で行ってレンタカー」が適当かもしれない。
私にとって一番印象深かった場所はやはり払田の柵である。秋田城址を比較して訪問すると全体像が理解できるようになる。秋田城址での説明も良かった。
再認識したこと。東北への朝廷勢力の進出が日本海側からであること。
多賀城や胆沢城のイメージが強いので(両方とも私はまだ見学したことはないが)、私には「朝廷勢力の進出は、ほぼ南から緯度に沿って北に進んでいった」という感覚があった。実際には日本海側からの進出が先であったということである。これは冬は別にして、日本海側の方が大和から直線距離が近いだけでなく、海流の関係からも波が穏やかで、北に勢力を伸ばしやすかった、ということが言えるだろう。そういえば北海道(蝦夷)の松前藩は、日本海側に城があった。
秋田旧市街の城を守るような街の配置を知ったことも含めて、新たに歴史認識を深めさせてくれた旅であった。
名所旧跡は、メジャーの所だけでなく、マイナー?なところもかなり見応えがあるし、新たな発見がある。私は、意識してそういうところも見つけ、旅をするのを好むのだが今回の払田の柵は収穫であった。
「秋田の人は真面目で宣伝が下手」と秋田城跡のボランティアの人が語っていたが。
公的資金の予算削減や人員削減の中で、このような史跡が今後どのようになっていくのか気になるところである。
7月26日(日)
払田の柵は、文献上に記載がないため、幻の城とも言われている。


まず、総合案内所内の展示コーナーへ。

1902年の明治の時代には柵木は発見され1930年から本格的な発掘調査が行われてていた。

全景模型。



火起こし器の復元模型。

かなり大きいです。これだと簡単に火が点くかな?



お土産物屋さんも一応あります。しかし、日曜日にも関わらず見学者は私たち2人だけでした。駐車場の大きさから、来る時は多くの人が来るようですが、団体さんが多いのかな?

払田柵跡調査事務所のある埋蔵文化財センター。秋田県運営。入館無料。


皮の鎧の展示です。




写真撮影も制限なし。貴重な800年頃の刀も身近に見られます。この地は、周りが田圃であることから分かるように、湿地帯でもあり、金物のような埋蔵物も錆びないで残ったようです。

2階の調査研究室。日曜日なので、人はいません。平日なら、詳しい説明もしていただけるようです。

予算削減のため、靴箱のロッカーは一つなくなるほど人員削減が行われているようです。
現在40人程の職員とのことです。
<
東北には、イギリスのようにストーンサークルも発見されている。

前知識を得たうえで、いよいよ払田の跡へ。


このような門があったかどうかは、分からないが、発掘された木の太さからこのような構造物があったのは事実らしい。

政庁?が置かれた丘へ。





政庁の丘に上がる門の脇にあったフィールドワーク用の小屋の内部。

上記の小屋の全景。

ここにも門があったと思われる。
まるで儀式を行う祭壇への門のようである。

丘の上。



丘の上から。


雨が降り出して急いで東屋に避難。


10分程で雨は止んでくれました。





角館駅へ。駅前のマンホール。

角館駅です。





駐車場を探しました。市営の駐車場へ。1日500円。

角館武家屋敷の通り。


まずは、青柳家見学。


館内は広大な敷地でした。


入館し出したのはいいのですが、女房は疲労困憊。館内で食事しましたが、早目に宿に行くことにしました。ろくに見学出来なかったので、明日再訪することを約して再入場を認めてもらいました。駐車場も同様に。

道の駅協和に寄りました。

またたびがたくさん売られていました。何に使うのでしょうか?
酒やお茶にするようですが。

地ビールを1本買いました。

宿のからまつ山荘からの景色。

夕食はこの屋敷で摂りました。

タヌキがいました。ミミズでも漁っているのでしょうか?
27日(月)

東兵衛屋敷。

「たぬ坊の浸透水」だそうです。

からまつ山荘全景。
こう見えても1階建てです。

5分程走って協和ダムも覗いてみました。


2・30分で再び角館に。
古城山(ふるしろやま)城跡。角館の城主の居城。

入口だけ見学。

何故か古ぼけた人形が。

郵便局に寄りました。

雁木。

安藤商店に。


土蔵入り口。立派です。







土蔵の中。



弓です。



女房がお土産を買っている間、醤油の利き味。




新潮社記念文学館。(新潮社創設者が角館出身者だそうです)

仙北市角館庁舎。

青柳家に戻って来ました。





かなりの所蔵物が展示されています。見るだけでもかなり時間がかかります。

江戸時代の解体新書の挿絵を描いた小野田直武が描いた洋画。

小野田直武は角館出身で青柳家にも出入りしていた。
像の辺りに生家もあったという。


このような民芸館も。

御存知、樺張り細工。



戦争遺品の展示も。


青柳家の人が集めたLPレコード等の展示。

敷地内にあるお土産物屋の前にあった気になった石。どうやら石灯籠の下の部分らしい。

江戸時代からの人形も。



幕末写真館にて。

東京上野付近。これは幕末ではありませんね。1875年頃か。

維新後の荒廃した江戸城。

同上の江戸城。

中国から?の観光客の一団がやってきていきなり館内は賑やかに。


ハイカラ館。かなりの数の骨董品。

ここにも解体新書の紹介が。


これだけのカメラを揃えられたということはかなりの金持ちであろう。

1階の喫茶室には「おしん」の放映が。撮影に一部使われたようだ。


隣の石黒家。
有料だし、どうしようかな?と思っていたが女房が入りたがったので入館。






石橋家。見学無料。


模型展示室。

寺小屋を利用したそば屋。

河原田家から庭が苔むす小野田家へ。この庭がいい。




女房を置いて、車を取りに駐車場へ。
途中に角館小学校跡地が。

町割図にある「火除」とは?

広く幅を取った空き地で、現在は庁舎や、図書館や公園が作られている。

近代の住宅として保存されている民家。

復元されて公民館として使われている小野崎家。

奥に木造の体育難があります。

裏手は弓道場。高校生が練習していました。

旧井戸。


桧木内川。ここから見える桜がよく使われるようです。

雨が降り出した中、秋田に到着しました。昼食はまた道の駅協和で買ったもので車中で。
ホテルの向かいは、千秋公園(久保田城)です。

ドーミーイン秋田という温泉のあるホテルです。

向かいに国学館高校が。

女房が通った幼稚園に向かいます。途中生協のお店を覗きました。

聖霊幼稚園です。20年程前に来た時よりも、さらに新しくなっていました。場所も変わったようです。

時代でしょうか、夏休みも保育を今年からしだしたそうで、職員がいました。親切に古い卒園アルバムを引っ張り出してくれました。女房の、お義母さんやおばさんも卒園者で名前がありました。
女房の産まれた場所を確認してホテルに戻りました。


車をホテルに置いて、川反(歓楽街)に食事に。


竿燈のお囃しの練習が聞こえています。
翌日にねぶり流し資料館で聞きましたが、女性は、子どもあっても、現在でも竿燈を持つことは出来ないのだそうです。戦後、お囃しは認められたそうです。


ちゃわん屋という郷土料理店で食事。

いろいろ秋田の郷土料理を食べましたが、しょっつる鍋は抵抗がありませんでした。意外に薄味でした。聞くと、やはりかなり薄味にしてしているようで昔ながらの味付けではないようです。
このお店は、入口に東京農大の大きなペナントが付けてあって、オーナーと女将さんが農大出身だそうです。


帰りに酒屋でお土産の酒を買いました。
28日(火)

ホテル前の通りのマンホールのいろいろ。


秋田犬ですね。

お堀のハスが満開でした。


市立中央図書館明徳館。


図書館の斜向いに東海林太郎の記念碑が。女房の祖父は東海林太郎と小学校で同級生だったとか。唄も聞こえます。

「秋田の赤い靴」という像。秋田では有名な話なのでしょうか、薄幸の少女がアメリカ人の女性宣教師に導かれアメリカに渡った実話です。女性宣教師は聖霊幼稚園に関係あるのかな?詳しい話を知りたい方は「秋田の赤い靴」で検索を。

図書館でも平和の講話が。

立派な図書館です。

秋田市にも住んだ石川達三(「人間の壁」の作者)記念室で展示がありました。石川達三は築山小学校に入学したそうです。

竿燈のマンホール。

公園内を見学します。


近代的な公園として整備された先駆けの公園だったようです。

若山牧水の歌碑。


御番所は、公園内に残された唯一の江戸時代の建物。


ちょうど清掃の方が見えていて、火鉢(?と言っていました)の位置を教えてくれました。
囲炉裏とは違うのかな?

どうして普段木の蓋をしているのか、というとここにたばこの火を捨てていく人がいるそうだ。普段は無人で、時々見回りに来るだけだそうだ。

入口の上にも部屋が。

番所からすぐ表門。


本来の門の礎石。

この辺りが本丸。


藩主を祀る八幡秋田神社。4年前に再建された木の香りの漂う神社でした。旧神社は放火で焼失したそうです。



隣の稲荷神社。





秋田藩最後の藩主佐竹義堯の像。1915年に建立されたが、金属の戦時供出されたものを1985年再建したとのこと。あまり作品としては良いと思わないが。

復元櫓。当時のものより高く作られたようです。中にはエレベーターもあります。


展望室から。




スズメバチがいました。

櫓内の展示物。


櫓が残っていた頃。維新直後の久保田城。

時鐘。佐竹氏の時代から鐘があって、鳴らされ続けていたが,やはり金属の戦時供出によって姿を消した。戦後に復活し、痛んで、一度降ろされたものを市民の声で「平和の鐘」として復活したのだそうだ。今も鳴らされているのだろうか。

この辺りから商人の町。

上通町。

ねぶり流し館にて。
簡略図だが、城、武家屋敷、町民の町、寺町という順に西(下が西)に町割りされていることが分かる。
館内の年配の職員の方が竿燈の持ち方から手ほどきしてくれて、町割りについても詳しく説明してくれた。

ねぶり流し館に隣接している旧金子家住宅の蔵の中。


全景。右手にねぶり流し館。

屋根に防火用水のかめ(天水がめ)が設置されている。

赤れんが郷土館。旧秋田銀行本店。

ここでも女房が体力の限界。
昼食場所に川反のかめ清(せい)にくため、下調べに行ってから女房を呼んだ。郷土館の方に「かめ清(きよ)ってどこですか?」と聞いても分からない、とのことであったが、行って聞くと「カメセイ」と言うことがわかった。受付嬢もそれなら分かったらしい。川反(カワバタ)と言い、読み方には苦労する。

昨日行った「ちゃわん屋」の前を通り、やはり土産を買った酒屋で聞く。

5分程でかめ清。

料理が出来るまでの間に、私は郷土館には駐車場があるのでホテルに車を取りに行って郷土館に停め再びかめ清に。

オーナーのルーツは雑賀衆だそうだ。その鉄砲組だったそうだ。

鉄砲の用具を入れた容器。傘入れにしているとのこと。

レトロなビル。

赤れんが郷土館に戻って見学。
スチームです。

頭取室。
扉の中には鉄製のシャッターを動かすレバーが。

久保田城下の町割。

奥は郷土館として展示室や研修室がある。
ある部屋ではちょうど弥生式土器の製作体験が終わったところだった。

女房が住んでいた場所や通った築山小学校を外観だけ見学。

お義母さんの出身校(当時は女学校)である秋田北高校を外観だけ見学。

最近無料になったと言う秋田港にあるセリオンという100mある展望タワーに行く。
夕陽や夜景がきれいらしい。



ちょうど夕陽。
水平線は雲があったが。

海上保安庁の船が。側面に大きな電光掲示板があって字幕が出るんだ。


100m下。

夕食を摂るために1階に。1階のロビーでは、盆踊り?の稽古が。

夜のセリオン。右手に月。

再び展望室に。無料だから何度でも行けます。このときは私たちだけでした。

天井にイルミネーションが。

秋田駅です。秋田駅周辺を歩く時間はありませんでした。
29日(水)
秋田のホテルを発ちます。
時間的に厳しかったのですが「秋田城跡は行ってみたい」とまた土崎方面に向かいます。
1日目に角館を回れなかったので、予定が後ろ後ろになりました。

秋田城跡出土品収蔵庫です。館内無料見学できます。ボランティアの説明役が男女2人いました。

ここでも丁寧な説明がありました。

古代の一番古い水洗厠として立証されています。出土品の竹ヘラ。お尻を拭いたようです。

日本海側は大陸との交流が盛んだったことが分かります。
この秋田城跡は、大陸からの客人が来たことが推測されています。

出土品の硯。

払田の柵にもあった、皮の鎧。
胞衣壷という産まれた子の健康を祈って、へその緒などと一緒に願をかけた銭や紙を入れて埋めたもの。


全景の模型。

こkでも鉄製品が一部出ているそうだ。

いよいよ秋田城跡。

全景模型。左の青い所が日本海。かなり広い。

井戸。井戸はたくさん出土している。


客人をもてなした建物があった所。

ここもけっこう広いが、払田の方が広いかな?ここも芝がきれいに刈られていました。

古代の水洗トイレの復元厠。
この4月に出来たばかりだそうだ。

3つ部屋があり、復元の段階を示している。



実際に水も流せます。もちろん手酌で。

厠の外の流れ落ちる所。

竪穴式住居復元。炉があるのが特徴。

政庁の内門。

塀は土を盛ったもの。板塀よりも復元が大変な作業のようだ。


政庁跡。掲示板が随分痛んでいるがそれほど古く設置されたものではないようだが、雪のため痛みやすいそうだ。この秋田城跡の管理は秋田市で行っているそうだ。やはり予算は厳しくなっているそうだ。

4カ所の門の位置が不明な所は発掘中だそうだが、西門と塀は明治時代明治天皇の行幸のための道路が造られ破壊されてしまったそうだ。

欲張って秋田大学の工学資源学部の鉱業博物館にも寄った。

ゆっくり回ることは出来ないので、興味深いものが多かったが、かなりはやく見学した。


石を使った装飾品。

カンラン石の石琴。ちゃんとドレミファが鳴って演奏できます。

石膏。

金鉱。

明礬石。

宝石。


右はイオウの結晶。



これも石膏。

魚の化石類。

デスモスチルスの歯。

高師小僧という石。鉄分の沈殿物。

石膏のいろいろ。

これも金鉱等。

博物館全景。

秋田大学の構内。
この辺りは生協施設。

食堂で昼食を摂りました。

どの学生も1つ1つ丁寧にナプキンでお盆を拭いているのにびっくり。
真面目です。


学生は良い意味で1970年代か、と思われる学生が多く見られました。もちろん、茶髪で少し飛んだ学生もいましたがごく小数。真面目な雰囲気です。

秋田大学のグッズ。一般的なもの。


雨の中酒田に向かいます。
また2泊したホテルの前を通って秋田の老舗木内デパートの前を通って酒田へ。
木内デパート(百貨店とは言えないような規模になっているようです)は現在は寂れているようです。

酒田までは一般道しかないので、女房の希望で道の駅行脚。
まずは、風車のある岩城。温泉施設もあります。

ひまわり畑の前にある道の駅にしめ(西目)。



道の駅象潟。
これはこの地域の民俗信仰の男根を祀ったもの。

エレベーターのある展望台があって奥の細道で松尾芭蕉が、松島と並び賞した象潟(きさかた)の旧島々が見えます。1804年の隆起で周りはその後に田圃になりました。
正面に鳥海山が見えるはずですが雨で無理。

この道の駅も温泉施設があります。

道の駅遊佐。
この地方では「あまはげ」といいい海の「なまはげ」が同じように恒例の行事を行うのだそうです。

北海道に住んでいたころ、遊佐(ゆさ)という名の友人がいて、この町も遊佐(ゆさ)と読むとばかり思っていましたが、町の名は「ゆざ」と読むのだそうです。びっくり。来てみるものである。なお、住民は「遊佐」と言う苗字の人は多く、苗字では「ゆさ」と読むのだそうです。
この道の駅で、年配の女性2人が山を降りて来た格好でビールを飲んでいたので、声をかけてみました。予想通り鳥海山を降りて来たのだそうだ。昨日、山小屋に泊まって今日降りて来たそうだ。頂上では天気は良くて、お花でいっぱいで満足出来た山行だったそうです。
少しきつかったようですが。

有名な(小樽の鰊御殿で有名)この町出身で錦を飾ったと言う青山家の豪邸があります。
外観だけ見学。

酒田駅。
酒田駅から宿までたどり着くまですごく時間がかかりました。旧市街に入るのに一方通行がありなかなか目的の方向に進めないのです。

やっとたどり着いた(30分程迷いました)酒田の宿は大正時代に建てられたと言う最上屋旅館。
これは古い蝿取り器です。

からくり箱。引き出しの長さが違います。

奥に小箱が。
でも一度見たことがあるとからくりが分かりますね。

最上や旅館のご主人は古いものにこだわりを持っているようです。

雨の中、夕食までの時間に間があるので酒田の町を少し散策しました。

舞娘茶屋相馬楼。

酒田のマンホール。




いろいろありますね。

最上屋旅館全景。

酒田の大火後に建てられたショッピングセンター。

獅子が酒田のシンボルだそうです。
酒田の町は、やはり北海道に在住の友人が大学時代こだわりを持って研究していた町です。彼のルーツは酒田だったようです。実は、私はその時に見せてもらった論文(卒論)を読んで以来、遊佐や酒田に関心を持っていたのです。
30日(木)
朝の散歩。1人で町を歩きます。少し蒸しますが雨は上がりました。

前日、この前まで来て引き返した所。

光丘文庫は現在も利用されている大正時代の建物。

東屋からの酒田の町。

酒田港方面。

石灯籠の上の鳩の石像がかわいいです。




日枝神社横の公園で朝のラジオ体操が始まりそうです。

奥が大正時代に建てられた旧白崎医院。



ラジオ体操を行うために子ども達が集っていた公園に建つやすらぎの塔。やはり戦没者を慰霊し平和を誓う塔です。

散歩のされていた夫婦の方がわたたけ?とかいうきのこを取っていました。

旧料亭だそうです。

日和山公園。落ち着いた公園です。左手の東屋でラジオ体操の姿が。

酒田港は繁栄させた河村瑞賢という人の像。

木造六角灯台。移転したもの。
左の避雷針の先に大きなトビが止まっていましたが、写真を撮ろうとしたら逃げてしまいました。

ここから酒田港が一望できます。

松尾芭蕉の像。

日枝神社の鳥居と山門。神仏融合が見られます。

「おくりびと」で有名になったスポットだそうです。私はまだ映画を見ていません。
この建物はやはり旧料亭だそうです。

蓮尚寺の左手には即身仏のある海向寺。

旅館に7時に戻り、朝食後に帰り支度。
最上屋旅館には宮沢賢治の詩も。
8時に宿を出ました。

帰宅時間が遅くなるのを避けたかったし、時間も早いので開いていないと思った旧鐙屋は「覗くだけ」と思っていたら、ちょうど門が開き、開館の準備をしていた職員に、入館を勧められたので入ることに。9時開館のはずが、まだ8時20分でした。
運営は市だそうです。向かい側の市役所の駐車場に車を停めます。駐車料は無料です。

屋根が丸石で敷き詰められています。

少し先の本間家旧本邸は、私営のためか開いていません。外観のみ。


山居倉庫です。

絵になる味のある風景がたくさんあります。


最上川から米を荷揚げする岸辺です。







やっと土門拳記念館に向かいます。
その前に出羽遊心館へ。入館無料。広大な庭と敷地面積の茶室。
お金がかかっている!職員以外に他に人は誰もいませんでした。


10時20分にやっと土門拳記念館に。



外観も素敵です。

鯉にエサをあげちゃいけないんだけど。
11時30分に酒田を発ちました。

車中で昼食。30分程で鶴岡に。
到道博物館。旧鶴岡警察署庁舎。

旧西田川郡役所。

大宝館。3つとも外観だけ。

参観無料の庄内藩校到道館だけ見学します。




12時35分に鶴岡を出ました。

向こうに月山が見えるはずだけど。

帰りは南にいくほど時折強い雨が降りました。
19時に無事に帰宅できました。
払田の柵は、文献上に記載がないため、幻の城とも言われている。


まず、総合案内所内の展示コーナーへ。

1902年の明治の時代には柵木は発見され1930年から本格的な発掘調査が行われてていた。

全景模型。



火起こし器の復元模型。

かなり大きいです。これだと簡単に火が点くかな?



お土産物屋さんも一応あります。しかし、日曜日にも関わらず見学者は私たち2人だけでした。駐車場の大きさから、来る時は多くの人が来るようですが、団体さんが多いのかな?

払田柵跡調査事務所のある埋蔵文化財センター。秋田県運営。入館無料。


皮の鎧の展示です。




写真撮影も制限なし。貴重な800年頃の刀も身近に見られます。この地は、周りが田圃であることから分かるように、湿地帯でもあり、金物のような埋蔵物も錆びないで残ったようです。

2階の調査研究室。日曜日なので、人はいません。平日なら、詳しい説明もしていただけるようです。

予算削減のため、靴箱のロッカーは一つなくなるほど人員削減が行われているようです。
現在40人程の職員とのことです。
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東北には、イギリスのようにストーンサークルも発見されている。

前知識を得たうえで、いよいよ払田の跡へ。


このような門があったかどうかは、分からないが、発掘された木の太さからこのような構造物があったのは事実らしい。

政庁?が置かれた丘へ。





政庁の丘に上がる門の脇にあったフィールドワーク用の小屋の内部。

上記の小屋の全景。

ここにも門があったと思われる。
まるで儀式を行う祭壇への門のようである。

丘の上。



丘の上から。


雨が降り出して急いで東屋に避難。


10分程で雨は止んでくれました。





角館駅へ。駅前のマンホール。

角館駅です。





駐車場を探しました。市営の駐車場へ。1日500円。

角館武家屋敷の通り。


まずは、青柳家見学。


館内は広大な敷地でした。


入館し出したのはいいのですが、女房は疲労困憊。館内で食事しましたが、早目に宿に行くことにしました。ろくに見学出来なかったので、明日再訪することを約して再入場を認めてもらいました。駐車場も同様に。

道の駅協和に寄りました。

またたびがたくさん売られていました。何に使うのでしょうか?
酒やお茶にするようですが。

地ビールを1本買いました。

宿のからまつ山荘からの景色。

夕食はこの屋敷で摂りました。

タヌキがいました。ミミズでも漁っているのでしょうか?
27日(月)

東兵衛屋敷。

「たぬ坊の浸透水」だそうです。

からまつ山荘全景。
こう見えても1階建てです。

5分程走って協和ダムも覗いてみました。


2・30分で再び角館に。
古城山(ふるしろやま)城跡。角館の城主の居城。

入口だけ見学。

何故か古ぼけた人形が。

郵便局に寄りました。

雁木。

安藤商店に。


土蔵入り口。立派です。







土蔵の中。



弓です。



女房がお土産を買っている間、醤油の利き味。




新潮社記念文学館。(新潮社創設者が角館出身者だそうです)

仙北市角館庁舎。

青柳家に戻って来ました。





かなりの所蔵物が展示されています。見るだけでもかなり時間がかかります。

江戸時代の解体新書の挿絵を描いた小野田直武が描いた洋画。

小野田直武は角館出身で青柳家にも出入りしていた。
像の辺りに生家もあったという。


このような民芸館も。

御存知、樺張り細工。



戦争遺品の展示も。


青柳家の人が集めたLPレコード等の展示。

敷地内にあるお土産物屋の前にあった気になった石。どうやら石灯籠の下の部分らしい。

江戸時代からの人形も。



幕末写真館にて。

東京上野付近。これは幕末ではありませんね。1875年頃か。

維新後の荒廃した江戸城。

同上の江戸城。

中国から?の観光客の一団がやってきていきなり館内は賑やかに。


ハイカラ館。かなりの数の骨董品。

ここにも解体新書の紹介が。


これだけのカメラを揃えられたということはかなりの金持ちであろう。

1階の喫茶室には「おしん」の放映が。撮影に一部使われたようだ。


隣の石黒家。
有料だし、どうしようかな?と思っていたが女房が入りたがったので入館。






石橋家。見学無料。


模型展示室。

寺小屋を利用したそば屋。

河原田家から庭が苔むす小野田家へ。この庭がいい。




女房を置いて、車を取りに駐車場へ。
途中に角館小学校跡地が。

町割図にある「火除」とは?

広く幅を取った空き地で、現在は庁舎や、図書館や公園が作られている。

近代の住宅として保存されている民家。

復元されて公民館として使われている小野崎家。

奥に木造の体育難があります。

裏手は弓道場。高校生が練習していました。

旧井戸。


桧木内川。ここから見える桜がよく使われるようです。

雨が降り出した中、秋田に到着しました。昼食はまた道の駅協和で買ったもので車中で。
ホテルの向かいは、千秋公園(久保田城)です。

ドーミーイン秋田という温泉のあるホテルです。

向かいに国学館高校が。

女房が通った幼稚園に向かいます。途中生協のお店を覗きました。

聖霊幼稚園です。20年程前に来た時よりも、さらに新しくなっていました。場所も変わったようです。

時代でしょうか、夏休みも保育を今年からしだしたそうで、職員がいました。親切に古い卒園アルバムを引っ張り出してくれました。女房の、お義母さんやおばさんも卒園者で名前がありました。
女房の産まれた場所を確認してホテルに戻りました。


車をホテルに置いて、川反(歓楽街)に食事に。


竿燈のお囃しの練習が聞こえています。
翌日にねぶり流し資料館で聞きましたが、女性は、子どもあっても、現在でも竿燈を持つことは出来ないのだそうです。戦後、お囃しは認められたそうです。


ちゃわん屋という郷土料理店で食事。

いろいろ秋田の郷土料理を食べましたが、しょっつる鍋は抵抗がありませんでした。意外に薄味でした。聞くと、やはりかなり薄味にしてしているようで昔ながらの味付けではないようです。
このお店は、入口に東京農大の大きなペナントが付けてあって、オーナーと女将さんが農大出身だそうです。


帰りに酒屋でお土産の酒を買いました。
28日(火)

ホテル前の通りのマンホールのいろいろ。


秋田犬ですね。

お堀のハスが満開でした。


市立中央図書館明徳館。


図書館の斜向いに東海林太郎の記念碑が。女房の祖父は東海林太郎と小学校で同級生だったとか。唄も聞こえます。

「秋田の赤い靴」という像。秋田では有名な話なのでしょうか、薄幸の少女がアメリカ人の女性宣教師に導かれアメリカに渡った実話です。女性宣教師は聖霊幼稚園に関係あるのかな?詳しい話を知りたい方は「秋田の赤い靴」で検索を。

図書館でも平和の講話が。

立派な図書館です。

秋田市にも住んだ石川達三(「人間の壁」の作者)記念室で展示がありました。石川達三は築山小学校に入学したそうです。

竿燈のマンホール。

公園内を見学します。


近代的な公園として整備された先駆けの公園だったようです。

若山牧水の歌碑。


御番所は、公園内に残された唯一の江戸時代の建物。


ちょうど清掃の方が見えていて、火鉢(?と言っていました)の位置を教えてくれました。
囲炉裏とは違うのかな?

どうして普段木の蓋をしているのか、というとここにたばこの火を捨てていく人がいるそうだ。普段は無人で、時々見回りに来るだけだそうだ。

入口の上にも部屋が。

番所からすぐ表門。


本来の門の礎石。

この辺りが本丸。


藩主を祀る八幡秋田神社。4年前に再建された木の香りの漂う神社でした。旧神社は放火で焼失したそうです。



隣の稲荷神社。





秋田藩最後の藩主佐竹義堯の像。1915年に建立されたが、金属の戦時供出されたものを1985年再建したとのこと。あまり作品としては良いと思わないが。

復元櫓。当時のものより高く作られたようです。中にはエレベーターもあります。


展望室から。




スズメバチがいました。

櫓内の展示物。


櫓が残っていた頃。維新直後の久保田城。

時鐘。佐竹氏の時代から鐘があって、鳴らされ続けていたが,やはり金属の戦時供出によって姿を消した。戦後に復活し、痛んで、一度降ろされたものを市民の声で「平和の鐘」として復活したのだそうだ。今も鳴らされているのだろうか。

この辺りから商人の町。

上通町。

ねぶり流し館にて。
簡略図だが、城、武家屋敷、町民の町、寺町という順に西(下が西)に町割りされていることが分かる。
館内の年配の職員の方が竿燈の持ち方から手ほどきしてくれて、町割りについても詳しく説明してくれた。

ねぶり流し館に隣接している旧金子家住宅の蔵の中。


全景。右手にねぶり流し館。

屋根に防火用水のかめ(天水がめ)が設置されている。

赤れんが郷土館。旧秋田銀行本店。

ここでも女房が体力の限界。
昼食場所に川反のかめ清(せい)にくため、下調べに行ってから女房を呼んだ。郷土館の方に「かめ清(きよ)ってどこですか?」と聞いても分からない、とのことであったが、行って聞くと「カメセイ」と言うことがわかった。受付嬢もそれなら分かったらしい。川反(カワバタ)と言い、読み方には苦労する。

昨日行った「ちゃわん屋」の前を通り、やはり土産を買った酒屋で聞く。

5分程でかめ清。

料理が出来るまでの間に、私は郷土館には駐車場があるのでホテルに車を取りに行って郷土館に停め再びかめ清に。

オーナーのルーツは雑賀衆だそうだ。その鉄砲組だったそうだ。

鉄砲の用具を入れた容器。傘入れにしているとのこと。

レトロなビル。

赤れんが郷土館に戻って見学。
スチームです。

頭取室。
扉の中には鉄製のシャッターを動かすレバーが。

久保田城下の町割。

奥は郷土館として展示室や研修室がある。
ある部屋ではちょうど弥生式土器の製作体験が終わったところだった。

女房が住んでいた場所や通った築山小学校を外観だけ見学。

お義母さんの出身校(当時は女学校)である秋田北高校を外観だけ見学。

最近無料になったと言う秋田港にあるセリオンという100mある展望タワーに行く。
夕陽や夜景がきれいらしい。



ちょうど夕陽。
水平線は雲があったが。

海上保安庁の船が。側面に大きな電光掲示板があって字幕が出るんだ。


100m下。

夕食を摂るために1階に。1階のロビーでは、盆踊り?の稽古が。

夜のセリオン。右手に月。

再び展望室に。無料だから何度でも行けます。このときは私たちだけでした。

天井にイルミネーションが。

秋田駅です。秋田駅周辺を歩く時間はありませんでした。
29日(水)
秋田のホテルを発ちます。
時間的に厳しかったのですが「秋田城跡は行ってみたい」とまた土崎方面に向かいます。
1日目に角館を回れなかったので、予定が後ろ後ろになりました。

秋田城跡出土品収蔵庫です。館内無料見学できます。ボランティアの説明役が男女2人いました。

ここでも丁寧な説明がありました。

古代の一番古い水洗厠として立証されています。出土品の竹ヘラ。お尻を拭いたようです。

日本海側は大陸との交流が盛んだったことが分かります。
この秋田城跡は、大陸からの客人が来たことが推測されています。

出土品の硯。

払田の柵にもあった、皮の鎧。



全景の模型。

こkでも鉄製品が一部出ているそうだ。

いよいよ秋田城跡。

全景模型。左の青い所が日本海。かなり広い。

井戸。井戸はたくさん出土している。


客人をもてなした建物があった所。

ここもけっこう広いが、払田の方が広いかな?ここも芝がきれいに刈られていました。

古代の水洗トイレの復元厠。
この4月に出来たばかりだそうだ。

3つ部屋があり、復元の段階を示している。



実際に水も流せます。もちろん手酌で。

厠の外の流れ落ちる所。

竪穴式住居復元。炉があるのが特徴。

政庁の内門。

塀は土を盛ったもの。板塀よりも復元が大変な作業のようだ。


政庁跡。掲示板が随分痛んでいるがそれほど古く設置されたものではないようだが、雪のため痛みやすいそうだ。この秋田城跡の管理は秋田市で行っているそうだ。やはり予算は厳しくなっているそうだ。

4カ所の門の位置が不明な所は発掘中だそうだが、西門と塀は明治時代明治天皇の行幸のための道路が造られ破壊されてしまったそうだ。

欲張って秋田大学の工学資源学部の鉱業博物館にも寄った。

ゆっくり回ることは出来ないので、興味深いものが多かったが、かなりはやく見学した。


石を使った装飾品。

カンラン石の石琴。ちゃんとドレミファが鳴って演奏できます。

石膏。

金鉱。

明礬石。

宝石。


右はイオウの結晶。



これも石膏。

魚の化石類。

デスモスチルスの歯。

高師小僧という石。鉄分の沈殿物。

石膏のいろいろ。

これも金鉱等。

博物館全景。

秋田大学の構内。
この辺りは生協施設。

食堂で昼食を摂りました。

どの学生も1つ1つ丁寧にナプキンでお盆を拭いているのにびっくり。
真面目です。


学生は良い意味で1970年代か、と思われる学生が多く見られました。もちろん、茶髪で少し飛んだ学生もいましたがごく小数。真面目な雰囲気です。

秋田大学のグッズ。一般的なもの。


雨の中酒田に向かいます。
また2泊したホテルの前を通って秋田の老舗木内デパートの前を通って酒田へ。
木内デパート(百貨店とは言えないような規模になっているようです)は現在は寂れているようです。

酒田までは一般道しかないので、女房の希望で道の駅行脚。
まずは、風車のある岩城。温泉施設もあります。

ひまわり畑の前にある道の駅にしめ(西目)。



道の駅象潟。
これはこの地域の民俗信仰の男根を祀ったもの。

エレベーターのある展望台があって奥の細道で松尾芭蕉が、松島と並び賞した象潟(きさかた)の旧島々が見えます。1804年の隆起で周りはその後に田圃になりました。
正面に鳥海山が見えるはずですが雨で無理。

この道の駅も温泉施設があります。

道の駅遊佐。
この地方では「あまはげ」といいい海の「なまはげ」が同じように恒例の行事を行うのだそうです。

北海道に住んでいたころ、遊佐(ゆさ)という名の友人がいて、この町も遊佐(ゆさ)と読むとばかり思っていましたが、町の名は「ゆざ」と読むのだそうです。びっくり。来てみるものである。なお、住民は「遊佐」と言う苗字の人は多く、苗字では「ゆさ」と読むのだそうです。
この道の駅で、年配の女性2人が山を降りて来た格好でビールを飲んでいたので、声をかけてみました。予想通り鳥海山を降りて来たのだそうだ。昨日、山小屋に泊まって今日降りて来たそうだ。頂上では天気は良くて、お花でいっぱいで満足出来た山行だったそうです。
少しきつかったようですが。

有名な(小樽の鰊御殿で有名)この町出身で錦を飾ったと言う青山家の豪邸があります。
外観だけ見学。

酒田駅。
酒田駅から宿までたどり着くまですごく時間がかかりました。旧市街に入るのに一方通行がありなかなか目的の方向に進めないのです。

やっとたどり着いた(30分程迷いました)酒田の宿は大正時代に建てられたと言う最上屋旅館。
これは古い蝿取り器です。

からくり箱。引き出しの長さが違います。

奥に小箱が。
でも一度見たことがあるとからくりが分かりますね。

最上や旅館のご主人は古いものにこだわりを持っているようです。

雨の中、夕食までの時間に間があるので酒田の町を少し散策しました。

舞娘茶屋相馬楼。

酒田のマンホール。




いろいろありますね。

最上屋旅館全景。

酒田の大火後に建てられたショッピングセンター。

獅子が酒田のシンボルだそうです。
酒田の町は、やはり北海道に在住の友人が大学時代こだわりを持って研究していた町です。彼のルーツは酒田だったようです。実は、私はその時に見せてもらった論文(卒論)を読んで以来、遊佐や酒田に関心を持っていたのです。
30日(木)
朝の散歩。1人で町を歩きます。少し蒸しますが雨は上がりました。

前日、この前まで来て引き返した所。

光丘文庫は現在も利用されている大正時代の建物。

東屋からの酒田の町。

酒田港方面。

石灯籠の上の鳩の石像がかわいいです。




日枝神社横の公園で朝のラジオ体操が始まりそうです。

奥が大正時代に建てられた旧白崎医院。



ラジオ体操を行うために子ども達が集っていた公園に建つやすらぎの塔。やはり戦没者を慰霊し平和を誓う塔です。

散歩のされていた夫婦の方がわたたけ?とかいうきのこを取っていました。

旧料亭だそうです。

日和山公園。落ち着いた公園です。左手の東屋でラジオ体操の姿が。

酒田港は繁栄させた河村瑞賢という人の像。

木造六角灯台。移転したもの。
左の避雷針の先に大きなトビが止まっていましたが、写真を撮ろうとしたら逃げてしまいました。

ここから酒田港が一望できます。

松尾芭蕉の像。

日枝神社の鳥居と山門。神仏融合が見られます。

「おくりびと」で有名になったスポットだそうです。私はまだ映画を見ていません。
この建物はやはり旧料亭だそうです。

蓮尚寺の左手には即身仏のある海向寺。

旅館に7時に戻り、朝食後に帰り支度。
最上屋旅館には宮沢賢治の詩も。
8時に宿を出ました。

帰宅時間が遅くなるのを避けたかったし、時間も早いので開いていないと思った旧鐙屋は「覗くだけ」と思っていたら、ちょうど門が開き、開館の準備をしていた職員に、入館を勧められたので入ることに。9時開館のはずが、まだ8時20分でした。
運営は市だそうです。向かい側の市役所の駐車場に車を停めます。駐車料は無料です。

屋根が丸石で敷き詰められています。

少し先の本間家旧本邸は、私営のためか開いていません。外観のみ。


山居倉庫です。

絵になる味のある風景がたくさんあります。


最上川から米を荷揚げする岸辺です。







やっと土門拳記念館に向かいます。
その前に出羽遊心館へ。入館無料。広大な庭と敷地面積の茶室。
お金がかかっている!職員以外に他に人は誰もいませんでした。


10時20分にやっと土門拳記念館に。



外観も素敵です。

鯉にエサをあげちゃいけないんだけど。
11時30分に酒田を発ちました。

車中で昼食。30分程で鶴岡に。
到道博物館。旧鶴岡警察署庁舎。

旧西田川郡役所。

大宝館。3つとも外観だけ。

参観無料の庄内藩校到道館だけ見学します。




12時35分に鶴岡を出ました。

向こうに月山が見えるはずだけど。

帰りは南にいくほど時折強い雨が降りました。
19時に無事に帰宅できました。
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