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福津先生を偲ぶ
                    7月3日(金)

 7月2日の電力中央研究所を訪問する直前、高校時代の同期の仲間から連絡があった。
 福津先生は、私の高校時代の恩師である。卒業しても付き合いのあった先生で、卒業してからも何度か会うことがあった。
 社会科の先生で、倫理社会や政治経済を教えて頂いた。一番最初の授業で、黒板一杯にいわゆる名著の紹介をされて「このような本を読むと良い」というようなことを話されて、その全てを読むことはなかったが、早速紹介された本の一つである「チボー家の人々」を買って読んで、かなり刺激を受けたことは懐かしい記憶である。
 朝日訴訟にこだわりをもっておられ、その授業を大事にされていたようだった。
 卒業してから聞いたことなのだが、政治評論家の早坂茂三(田中角栄の秘書)氏と旧制中学の同級生で交流があったという。早坂氏は、元日本共産党員でありながら、田中角栄の秘書になったことで有名で、晩年は、日本社会の有り様に危惧を感じて、しんぶん赤旗にも何度か登場していた。その若い頃の早坂氏とともに先生も政治活動も行っていたようだが、先生は多くは語ることはなかった。
 ヘビースモーカー。飄々とした風貌で、私たちを担当した当時は30代であったと思うのだが「とてもそのような年には思えないよね」というのが毎年行っている同期会のたびに話題になった。有楽町で毎年行っている同期会に10数年前にも来てくれたことがあった。
 友人から聞いたエピソードであるが、当時ももちろん高校生はパチンコ店入店禁止であるが、友人がパチンコをしていたら、後ろからこっそりと来て「出てるか」と言ってそれ以上何も言わなかったそうだ。友人は、気まずくて、すぐ退散したそうである。
 定年後に札幌に転居された。奥様は、50代の頃に亡くなられて、近所に息子さんの家族はいらしたが、1人住まいであった。私の子ども達がまだ小さかった頃、家族5人でキャンプをしながら北海道を一周旅行したことがある。その旅行中に、いきなり電話して、先生の所に泊まらせてもらったこともあった。相当に図々しかったが(今でも図々しいが)心良く?泊まらせて頂いた。
 うるさいことは、ほとんど言わず、生徒の自主性を尊重された先生であった。
 一昨年、私たち首都圏同期会で企画した「イタンキ浜でバーベキュー」という企画に北海道在住の同期の仲間がたくさん集ってくれた。私たちは、その企画の後で、洞爺湖湖畔のホテルに泊まったが、そのホテルに来ていただいた。
 晩年は心臓を悪くされていたのだが、翌日に有珠岳をロープウエーで登ったときに、展望が良かったので、展望台まで無理を言って登ってもらった。その展望台から見える駒ヶ岳を懐かしそうに見られていた姿が心に強く残っている。「生徒達と登ったことを思い出す」のだそうだ。私たちの時代は、有珠岳登山をしていた。その後に、有珠岳が噴火したので、私たちの代の後の世代の生徒達と登ったのであろう。

 福津先生の訃報を聞いて、ふと心にメロデーが浮かんだ。その後もメロデーを何度も口の中でリフレインしていた。

胸にしみる空のかがやき
今日も遠くながめ涙をながす
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれわびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか

深い森のみどりにだかれ
今日も風の唄にしみじみ嘆く
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も続くのか

 フォーククルセダーズの『悲しくてやりきれない』である。

 2ヶ月前は元気で車も運転されていたそうだ。直接の死因は肺癌であるが、脳にも転移したとのことである。
 79歳であった。
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2009.07.03 Fri l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲

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