清水への旅 1
6月27日(土)28日(日)
叔母さんの住む清水へ女房と出かけた。
叔母さんとは10数年振り?の再会である。実家でお袋を乗せて、東名を清水に向った。
6月27日(土)晴
初めてETCを使う。土曜日であっても大都市近郊区間を走ることになるので計1500円かかる。東名は1000円だが、厚木までは別となり500円かかるようだ。ネットで調べてもETCの割引の計算が複雑でよく分からない。
清水インターを降りてから、5年落ちのカーナビに郵便番号を入力し、叔母さんのお宅を探した。ところが、なかなかお袋の記憶のある所に着かない。いつも兄貴の車で連れて行ってもらっているコースとは違うらしい。お袋は「鳥居のある道、鳥居のある道」というのだが、それらしいものが見つからない。住宅街には、入っているのだが、雰囲気も違うらしい。少し戻ってみて、周りを走って、ようやく鳥居を見つけたようだ。結局、そのときは私には、その鳥居は分からなかったが、後で昼食に出かけた時には見つかった。15分程探し回ったことになる。カーナビの限界を思い知らされた。カーナビでは、だいたいの場所は分かるが、細かな所はきちんと地図で確認する必要があるということを。
30分程、叔母さんのお宅でお話してから、叔母さんの紹介で近くの寿司屋に行くことにした。
寿司屋は、魚竹寿司という。穴子寿司が売りだが、私はちらし寿司にした。寿司飯が甘いのが気になった。穴子には合うのだろう。女房の食べた「店長のおすすめ寿司」にあった穴子寿司を少し食べたがおいしかった。
近くの草薙神社を覗いて見ることにした。お袋も行ったことがないとのことである。
少し山沿いに走ると草薙神社。例のお袋の言う大きな鳥居はこの神社への参道の入口なのだった。
草薙神社は、ヤマトタケルノミコトが、草を剣で切って、火から難を逃れた、という伝説をもとに、ヤマトタケルノミコトを祀った神社である。
あの参道の大きなコンクリート製の大鳥居に比べると行って見ると思った程大きな神社ではなかった。入口の鳥居の横にヤマトタケルノミコトの像があった。
この神社の関係する祭礼として、150年程前から行われている龍勢(流星)という狼煙の打ち上げが有名なのだそうだ。例年9月20日前後に打ち上げられるそうである。
叔母さんの所に戻ると従兄弟(叔母さんの息子)が帰っていた。彼とも10数年振りの再会である。15時に、ホテルのある三保半島に向かう。
三保半島に行く途中に、ふと、昔叔母さんが住んでいて何度か泊まったこともある清水の旧市街を訪問したくなって、お袋に道を聞きながら車で走ってみることにした。
新しくなった清水駅を横切って、古い商店街を走り、線路を越えて、清水港近くの道を右に走る。この辺りに来たのはやはり10数年振りである。まわりは駐車場が増えて、なにかすっきりしたような感じになっている。すぐ近くが旧清水市役所である。今は区役所。
再び三保へ向かう。
途中、清水港船宿記念館、清水の次郎長の旧船宿の末広(移築)を見つけて覗いて見る。入館無料。次郎長は英語塾も経営したこともあるそうだ。16時まで。
近くに清水の次郎長生家宅があるので、そこも覗いた。無料。長屋で、建家の真ん中の位置に小さな中庭がある。そこから奥は、次郎長が住んだ後の人が増築した部分だそうだ。この辺りの商店はシャッター街という感じである。
三保の松原の羽衣の松へ。この地は30年以上振りだろうか?その時は天気の良い日で、青い空と松並木と海がきれいだったことを覚えている。この日は、晴れてはいたが、霞がかかっている。富士山は、東名を走っている時に雲の間に少し見えただけだったが、ここでは見ることは無理。
ゆるやかな階段を登って土手を上り、浜辺に下りるとすぐ、羽衣の松。肝心のそのマツはかなり朽ち果てていて、補修されている姿が痛々しい。その手前のマツの方がそれらしく、羽衣の松と言う感じであった。今は、裏から見るのが絵になるのか、表に回ると、その痛々しい姿がいっそう目についた。30数年前には大きな玉砂利がこの松の近くまであったように思うが、砂利は100m程離れた海の方に少し見えるだけであった。引き潮ということもあるのかもしれないが、もう少しこの松の近くまで岸辺が来ていたような気もするのだが。
羽衣の碑 エレーヌの碑(羽衣を踊ったフランスの女優の髪を埋めたという)を見て、ホテルに向かう。
ホテルは三保リバーサイドホテル福田家。外観を見ると思っていたより小さいと思ったが、奥は大きく、中くらいのホテル。「バリアフリーのホテル」と銘打っている。後で分かったが、桂の湯等では、確かに車椅子でも入浴出来るように作られていた。フロントで応対した女将さんは左手が不自由そうで、脳溢血を患ったようなのだ。その関係でこのようなホテルにしたのかもしれない。(翌朝、向かいの福田、と表札の掛かった女将さんの家?に救急車が停まって、出て行ったのが気になって仲居さんに聞くと「大したことはないんですよ」と言っていたが)
部屋からは、清水港やすぐ近くの東海大学の博物館も見えた。目の前は海水浴場でもある。天気が良ければ富士山も見えるであろう。お風呂は、4つあり、男女が時間で入れ替わるので4つ楽しめる。お湯は循環濾過の温泉だが、修善寺温泉からタンクローリー(5t)で運んだものだそうだ。風呂に入って19時から夕食。夕食は別室だが、離れの個室である。ワインが付いた宿泊サービスなので、生ビールを1杯だけ頼んだ。ワインはボトルなので持ち帰り出来る。食事の味はいまいちであった。
部屋に戻って、少ししてから、もう1つの風呂に入り寝る。

10時50分に由比PAでトイレ休憩。ちょうど工事中で仮設トイレだったが、意外に仮設なのにきれいだった。

草薙神社の由来。

煙火(龍星)の由来。

御神木です。


花火の打ち上げ筒(木砲)

龍星が展示されていました。


このように左右にも社があります。左の社。古い神社には見られます。

右の社。熊野の神社を思い出しました。

草薙神社の駐車場横に咲いていました。

清水駅です。

末広。次郎長が経営した船宿です。

英語塾を模しています。

2階の窓から。


次郎長の産まれた家。

間口は狭いけど奥はけっこうあります。

裏口。

中庭。


羽衣の松へ。

この辺りは良い雰囲気ですが。

羽衣の松です。裏手から。

正面から。



羽衣の松から海の風景。昔はもっと海が近くに迫っていた気がするのだが。

東側。

西側。

エレーヌの碑。
6月27日(土)28日(日)
叔母さんの住む清水へ女房と出かけた。
叔母さんとは10数年振り?の再会である。実家でお袋を乗せて、東名を清水に向った。
6月27日(土)晴
初めてETCを使う。土曜日であっても大都市近郊区間を走ることになるので計1500円かかる。東名は1000円だが、厚木までは別となり500円かかるようだ。ネットで調べてもETCの割引の計算が複雑でよく分からない。
清水インターを降りてから、5年落ちのカーナビに郵便番号を入力し、叔母さんのお宅を探した。ところが、なかなかお袋の記憶のある所に着かない。いつも兄貴の車で連れて行ってもらっているコースとは違うらしい。お袋は「鳥居のある道、鳥居のある道」というのだが、それらしいものが見つからない。住宅街には、入っているのだが、雰囲気も違うらしい。少し戻ってみて、周りを走って、ようやく鳥居を見つけたようだ。結局、そのときは私には、その鳥居は分からなかったが、後で昼食に出かけた時には見つかった。15分程探し回ったことになる。カーナビの限界を思い知らされた。カーナビでは、だいたいの場所は分かるが、細かな所はきちんと地図で確認する必要があるということを。
30分程、叔母さんのお宅でお話してから、叔母さんの紹介で近くの寿司屋に行くことにした。
寿司屋は、魚竹寿司という。穴子寿司が売りだが、私はちらし寿司にした。寿司飯が甘いのが気になった。穴子には合うのだろう。女房の食べた「店長のおすすめ寿司」にあった穴子寿司を少し食べたがおいしかった。
近くの草薙神社を覗いて見ることにした。お袋も行ったことがないとのことである。
少し山沿いに走ると草薙神社。例のお袋の言う大きな鳥居はこの神社への参道の入口なのだった。
草薙神社は、ヤマトタケルノミコトが、草を剣で切って、火から難を逃れた、という伝説をもとに、ヤマトタケルノミコトを祀った神社である。
あの参道の大きなコンクリート製の大鳥居に比べると行って見ると思った程大きな神社ではなかった。入口の鳥居の横にヤマトタケルノミコトの像があった。
この神社の関係する祭礼として、150年程前から行われている龍勢(流星)という狼煙の打ち上げが有名なのだそうだ。例年9月20日前後に打ち上げられるそうである。
叔母さんの所に戻ると従兄弟(叔母さんの息子)が帰っていた。彼とも10数年振りの再会である。15時に、ホテルのある三保半島に向かう。
三保半島に行く途中に、ふと、昔叔母さんが住んでいて何度か泊まったこともある清水の旧市街を訪問したくなって、お袋に道を聞きながら車で走ってみることにした。
新しくなった清水駅を横切って、古い商店街を走り、線路を越えて、清水港近くの道を右に走る。この辺りに来たのはやはり10数年振りである。まわりは駐車場が増えて、なにかすっきりしたような感じになっている。すぐ近くが旧清水市役所である。今は区役所。
再び三保へ向かう。
途中、清水港船宿記念館、清水の次郎長の旧船宿の末広(移築)を見つけて覗いて見る。入館無料。次郎長は英語塾も経営したこともあるそうだ。16時まで。
近くに清水の次郎長生家宅があるので、そこも覗いた。無料。長屋で、建家の真ん中の位置に小さな中庭がある。そこから奥は、次郎長が住んだ後の人が増築した部分だそうだ。この辺りの商店はシャッター街という感じである。
三保の松原の羽衣の松へ。この地は30年以上振りだろうか?その時は天気の良い日で、青い空と松並木と海がきれいだったことを覚えている。この日は、晴れてはいたが、霞がかかっている。富士山は、東名を走っている時に雲の間に少し見えただけだったが、ここでは見ることは無理。
ゆるやかな階段を登って土手を上り、浜辺に下りるとすぐ、羽衣の松。肝心のそのマツはかなり朽ち果てていて、補修されている姿が痛々しい。その手前のマツの方がそれらしく、羽衣の松と言う感じであった。今は、裏から見るのが絵になるのか、表に回ると、その痛々しい姿がいっそう目についた。30数年前には大きな玉砂利がこの松の近くまであったように思うが、砂利は100m程離れた海の方に少し見えるだけであった。引き潮ということもあるのかもしれないが、もう少しこの松の近くまで岸辺が来ていたような気もするのだが。
羽衣の碑 エレーヌの碑(羽衣を踊ったフランスの女優の髪を埋めたという)を見て、ホテルに向かう。
ホテルは三保リバーサイドホテル福田家。外観を見ると思っていたより小さいと思ったが、奥は大きく、中くらいのホテル。「バリアフリーのホテル」と銘打っている。後で分かったが、桂の湯等では、確かに車椅子でも入浴出来るように作られていた。フロントで応対した女将さんは左手が不自由そうで、脳溢血を患ったようなのだ。その関係でこのようなホテルにしたのかもしれない。(翌朝、向かいの福田、と表札の掛かった女将さんの家?に救急車が停まって、出て行ったのが気になって仲居さんに聞くと「大したことはないんですよ」と言っていたが)
部屋からは、清水港やすぐ近くの東海大学の博物館も見えた。目の前は海水浴場でもある。天気が良ければ富士山も見えるであろう。お風呂は、4つあり、男女が時間で入れ替わるので4つ楽しめる。お湯は循環濾過の温泉だが、修善寺温泉からタンクローリー(5t)で運んだものだそうだ。風呂に入って19時から夕食。夕食は別室だが、離れの個室である。ワインが付いた宿泊サービスなので、生ビールを1杯だけ頼んだ。ワインはボトルなので持ち帰り出来る。食事の味はいまいちであった。
部屋に戻って、少ししてから、もう1つの風呂に入り寝る。

10時50分に由比PAでトイレ休憩。ちょうど工事中で仮設トイレだったが、意外に仮設なのにきれいだった。

草薙神社の由来。

煙火(龍星)の由来。

御神木です。


花火の打ち上げ筒(木砲)

龍星が展示されていました。


このように左右にも社があります。左の社。古い神社には見られます。

右の社。熊野の神社を思い出しました。

草薙神社の駐車場横に咲いていました。

清水駅です。

末広。次郎長が経営した船宿です。

英語塾を模しています。

2階の窓から。


次郎長の産まれた家。

間口は狭いけど奥はけっこうあります。

裏口。

中庭。


羽衣の松へ。

この辺りは良い雰囲気ですが。

羽衣の松です。裏手から。

正面から。



羽衣の松から海の風景。昔はもっと海が近くに迫っていた気がするのだが。

東側。

西側。

エレーヌの碑。
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