テレビの消えた日
7月24日(日)25日(月)
私は数ヶ月前から「そろそろ、やっぱりデジタル化しようよ」と言ってはいたが、女房や息子や娘はすべて反対。「テレビはいらない」と言う。「必要な情報はネットで十分。見たいものはワンセグで十分」と言う。
いよいよ7月24日が迫ったが、7月に入ったら、我家のアナログテレビの画面左下には、大きな文字で『X日でアナログ終了』の文字。ニュースの白文字もろくに見えもしない。天の邪鬼の私は、カチンと来て「もうテレビはいらない」と家族に宣言してしまった。
ということで、7月24日正午以降、「そしてテレビは消えた」のであった。
その後、旅先や出かけた際にテレビを見ることが少しあったのだが、あいかわらずの「電力を無駄にするどうしようもない垂れ流し番組」が流れていて、今のところは「家にテレビがなくてもいいや!」とやせがまん?の毎日なのです。

アナログ最後の情報。


このキャラクターが、さらに怒りを掻き立てます。

この場面が1日続いたようです。

民放も。

7月25日。テレビのコードーを引き抜きました。
7月24日(日)25日(月)
私は数ヶ月前から「そろそろ、やっぱりデジタル化しようよ」と言ってはいたが、女房や息子や娘はすべて反対。「テレビはいらない」と言う。「必要な情報はネットで十分。見たいものはワンセグで十分」と言う。
いよいよ7月24日が迫ったが、7月に入ったら、我家のアナログテレビの画面左下には、大きな文字で『X日でアナログ終了』の文字。ニュースの白文字もろくに見えもしない。天の邪鬼の私は、カチンと来て「もうテレビはいらない」と家族に宣言してしまった。
ということで、7月24日正午以降、「そしてテレビは消えた」のであった。
その後、旅先や出かけた際にテレビを見ることが少しあったのだが、あいかわらずの「電力を無駄にするどうしようもない垂れ流し番組」が流れていて、今のところは「家にテレビがなくてもいいや!」とやせがまん?の毎日なのです。

アナログ最後の情報。


このキャラクターが、さらに怒りを掻き立てます。

この場面が1日続いたようです。

民放も。

7月25日。テレビのコードーを引き抜きました。
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