石巻へ
7月16日(土)17日(日)18日(月)
石巻に救援活動に行った。私はボランティアという言葉は嫌いなので、この言葉を使用します。
前々から、いつかは被災地には行かなければ、と思ってはいたが、物見遊山のような気持ちでは行きたくはなかったので、どうせなら、なんらからの支援活動を行いたいと思っていた。
水曜日にあった講演を聞いて、被災地には「やはり行くべきときに行けるときに行くべきだ」と思い立ち、ネットでいろいろ調べたり、電話をかけまくって、前々日に決定。最終的には、前日の15日に「ボランティア保険」に加入して、市川や浦安の方々と現地に出発した。
「ボランティア保険」は印鑑もいらなくて、サインだけで簡単に入ることができた。私は天災タイプ年間490円の安い方に。ワンランク上は720円。震災支援のために、松戸でこの保険に入った人は100人程いるそうだ。
石巻には、私はおそらく初めて行ったことになるだろう。数年前に三陸海岸を旅行したときに気仙沼を車で通った時も、気仙沼から仙台に直接入った記憶がある。松島までは何度か行ったことはあるけど、石巻までは足を伸ばしたことはないと思う。石巻に行ってみて、石巻は仙台の衛星都市と言う訳ではなくて、大きな街であることを知った。帰ってから調べて見ると宮城県第二の街で、歴史的にも重要な港町であることを再認識した。
日本人として初めて、支倉常長が日本人の力によって建造した南蛮船サン・ファン・バウティスタ号『伊達丸』に乗って、太平洋を渡った出発の港が石巻である。
実際に被災地に行って、震災直後に比べれば、確かに瓦礫の撤去など、復興への兆しは見えるが、まだまだ、多くの支援が必要に思えた。物資の支援はもちろんのこと、人的なソフト面の支援がとくに求められているように思える。
いまだに、復興への具体的な図面が決められていない状況で、住民の方々も、自分たちがどのように復興の道筋へスタートを切れば良いのか、見えて来ない不安が大きいように思えた。
住民の声を十分に吸い上げ、住民の力にも依拠しながら、地域の実情にあった復興を願う。
現地での活動のようすは、次の Read Moreをクリック
7月16日(土)17日(日)18日(月)
石巻に救援活動に行った。私はボランティアという言葉は嫌いなので、この言葉を使用します。
前々から、いつかは被災地には行かなければ、と思ってはいたが、物見遊山のような気持ちでは行きたくはなかったので、どうせなら、なんらからの支援活動を行いたいと思っていた。
水曜日にあった講演を聞いて、被災地には「やはり行くべきときに行けるときに行くべきだ」と思い立ち、ネットでいろいろ調べたり、電話をかけまくって、前々日に決定。最終的には、前日の15日に「ボランティア保険」に加入して、市川や浦安の方々と現地に出発した。
「ボランティア保険」は印鑑もいらなくて、サインだけで簡単に入ることができた。私は天災タイプ年間490円の安い方に。ワンランク上は720円。震災支援のために、松戸でこの保険に入った人は100人程いるそうだ。
石巻には、私はおそらく初めて行ったことになるだろう。数年前に三陸海岸を旅行したときに気仙沼を車で通った時も、気仙沼から仙台に直接入った記憶がある。松島までは何度か行ったことはあるけど、石巻までは足を伸ばしたことはないと思う。石巻に行ってみて、石巻は仙台の衛星都市と言う訳ではなくて、大きな街であることを知った。帰ってから調べて見ると宮城県第二の街で、歴史的にも重要な港町であることを再認識した。
日本人として初めて、支倉常長が日本人の力によって建造した南蛮船サン・ファン・バウティスタ号『伊達丸』に乗って、太平洋を渡った出発の港が石巻である。
実際に被災地に行って、震災直後に比べれば、確かに瓦礫の撤去など、復興への兆しは見えるが、まだまだ、多くの支援が必要に思えた。物資の支援はもちろんのこと、人的なソフト面の支援がとくに求められているように思える。
いまだに、復興への具体的な図面が決められていない状況で、住民の方々も、自分たちがどのように復興の道筋へスタートを切れば良いのか、見えて来ない不安が大きいように思えた。
住民の声を十分に吸い上げ、住民の力にも依拠しながら、地域の実情にあった復興を願う。
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