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テレビの消えた日

                       7月24日(日)25日(月)

 私は数ヶ月前から「そろそろ、やっぱりデジタル化しようよ」と言ってはいたが、女房や息子や娘はすべて反対。「テレビはいらない」と言う。「必要な情報はネットで十分。見たいものはワンセグで十分」と言う。
 いよいよ7月24日が迫ったが、7月に入ったら、我家のアナログテレビの画面左下には、大きな文字で『X日でアナログ終了』の文字。ニュースの白文字もろくに見えもしない。天の邪鬼の私は、カチンと来て「もうテレビはいらない」と家族に宣言してしまった。
 ということで、7月24日正午以降、「そしてテレビは消えた」のであった。

 その後、旅先や出かけた際にテレビを見ることが少しあったのだが、あいかわらずの「電力を無駄にするどうしようもない垂れ流し番組」が流れていて、今のところは「家にテレビがなくてもいいや!」とやせがまん?の毎日なのです。


アナログ最後の情報。




このキャラクターが、さらに怒りを掻き立てます。


この場面が1日続いたようです。


民放も。


7月25日。テレビのコードーを引き抜きました。
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2011.07.25 Mon l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
 石巻へ

                        7月16日(土)17日(日)18日(月)

 石巻に救援活動に行った。私はボランティアという言葉は嫌いなので、この言葉を使用します。

 前々から、いつかは被災地には行かなければ、と思ってはいたが、物見遊山のような気持ちでは行きたくはなかったので、どうせなら、なんらからの支援活動を行いたいと思っていた。
 水曜日にあった講演を聞いて、被災地には「やはり行くべきときに行けるときに行くべきだ」と思い立ち、ネットでいろいろ調べたり、電話をかけまくって、前々日に決定。最終的には、前日の15日に「ボランティア保険」に加入して、市川や浦安の方々と現地に出発した。

 「ボランティア保険」は印鑑もいらなくて、サインだけで簡単に入ることができた。私は天災タイプ年間490円の安い方に。ワンランク上は720円。震災支援のために、松戸でこの保険に入った人は100人程いるそうだ。

 石巻には、私はおそらく初めて行ったことになるだろう。数年前に三陸海岸を旅行したときに気仙沼を車で通った時も、気仙沼から仙台に直接入った記憶がある。松島までは何度か行ったことはあるけど、石巻までは足を伸ばしたことはないと思う。石巻に行ってみて、石巻は仙台の衛星都市と言う訳ではなくて、大きな街であることを知った。帰ってから調べて見ると宮城県第二の街で、歴史的にも重要な港町であることを再認識した。
 日本人として初めて、支倉常長が日本人の力によって建造した南蛮船サン・ファン・バウティスタ号『伊達丸』に乗って、太平洋を渡った出発の港が石巻である。

 実際に被災地に行って、震災直後に比べれば、確かに瓦礫の撤去など、復興への兆しは見えるが、まだまだ、多くの支援が必要に思えた。物資の支援はもちろんのこと、人的なソフト面の支援がとくに求められているように思える。
 いまだに、復興への具体的な図面が決められていない状況で、住民の方々も、自分たちがどのように復興の道筋へスタートを切れば良いのか、見えて来ない不安が大きいように思えた。
 住民の声を十分に吸い上げ、住民の力にも依拠しながら、地域の実情にあった復興を願う。

 現地での活動のようすは、次の Read Moreをクリック
2011.07.18 Mon l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
松戸理科サークル7月例会報告       
                           7月6日(水)18時30分から21時
                           松戸市勤労会館

 実質的には19時頃の始まりでした。6月の学習会の反省が中心でした。
2011.07.06 Wed l 松戸理科サークル l COM(0) TB(0) l top ▲