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近所の花のようす

                           4月10日(日)

災害や、放射線の影響も感じさせない近所の春の花々のようす。


近所の公園の若葉。


私の家庭菜園にあるプラムの花。
というか正しくは家庭菜園として私も借りている地主さんの果樹です。
手前はオオアライセイトウ。


プラムの花。


モモの花。


私の家庭菜園にて。
どこまで大きくなるか育ててみたカラシナの花。




国土交通省の建設技術展示館も閉鎖中。
「計画停電に対した節電のため」と書かれているけど。
東北に多くの職員が派遣されているようです。


建設技術展示館内のサクラ。
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2011.04.10 Sun l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
ゴヤ 戦争の惨禍

                               4月10日(日)

 ゴヤ 戦争の惨禍の最終日に。無料です。

 「会場のセルバンテス文化センターってどういうところなのかな」と思ったが、どうもスペイン大使館も関わる、スペイン文化交流センターのようなところみたいである。ときどきスペイン映画の無料上映も行われているらしい。とにかく、ゴヤの版画が無料公開とは、また報道写真との関連も興味を持った。しかし、なかなか、行く機会がなくて、結局開催最終日に行くことになった。

以下は、セルバンテス文化センターのホームページに載っていた案内の内容


 展覧会 ゴヤが見た戦争:版画集『戦争の惨禍』と報道写真

スペイン最大の画家と呼ばれるフランシスコ・デ・ゴヤ。そのゴヤの展覧会、「ゴヤが見た戦争:版画集『戦争の惨禍』と報道写真」が来る1月14日(金)より、セルバンテス文化センター東京にて開催されます。

展覧会「ゴヤが見た戦争:版画集『戦争の惨禍』と報道写真」は、ゴヤをフォトジャーナリズムの先駆者と位置づけ、写真を通じてゴヤの遺産であるメッセージを今日に届けるものです。
『戦争の惨禍』を構成する82点の銅版画は、エッチングやアクアティントによる深い闇から、戦争の無意味さや戦争がもたらす荒廃を無言で告発しています。ゴヤが伝えようとしたこの普遍的メッセージはまさに、過去のそして現代の戦場記者が追い、訴え続けていることです。
本展覧会はマドリードの国立図書館資料室の収蔵品の中から選んだスペイン内戦の写真、現代の戦争資料を版画に補完することで『戦争の惨禍』の持つ普遍的な力を証明しようと試みています。

聴力を失い、スペイン独立戦争を体験し、また亡命をするなどの動乱の人生を生きたゴヤだからこそでしょうか・・・彼の作品は人々の痛みのとらえ方において、見るものを驚かせます。絵画、そして銅版画に描かれた人物の表情からは、非合理の闇にとざされたあらゆる場所に届けとばかりに、胸をひきさくような苦悩の叫びが発せられています。
この展覧会を通じて、皆さんが武力紛争における暴力や荒廃について思いめぐらせ、平和への一縷の希望をつないでいく機会となることを願っています。
日程:1月14日(金)より。
月曜~土曜 10:00~20:00、日曜10:00~14:00



 途中の工業団地のサクラを撮らせてもらったりして、自転車で松戸へ。松戸から電車に乗って市ヶ谷へ。

2011.04.10 Sun l 美術 l COM(0) TB(0) l top ▲
管理人の主張
日本の原子力発電所は日本のバベルの塔
この主張は科教協ちばの見解ではありません。あくまでもこのブログの管理人の見解です。

                             4月10日(日)

 日本人は「単一民族」と思いこまされている人が多いせいか、右にならえの傾向が強い。「日本の多数社会はアイヌ民族やウチナンチューや在日をほとんど無視して来た。「出る釘は打たれる」の流れによって「社会性・協調性」が強調され、国際社会からは奇異の目で見られることも少なくない。なにしろ、お上に異を唱える主張をするとすぐ「右」<保守派>からやれ「自虐的だ」「アカだ」と言う少数の輩が出て来て、そのような輩の意見は少数意見にも関わらず、レッテルはりに反論し、異を唱える多数者の声が現れてくることは少ない。

「豊かさ」を保障する「装置」として原子力発電所の増設が推進されて来た。その「豊かさ」は多くの庶民にとって、実際は幻想であるにも関わらず、本当の「豊かさ」はごく一部のものが享受して来たに過ぎないにも関わらず、にである。
 原発に支えられて来た私たちの「豊かさ」を見つめていくと、日本の原子力発電所とは、日本のバベルの塔ではないか、と私には思えるだ。バベルの塔は崩れるべくして崩れたのである。

 私は中学3年で「放射能と原子力」という授業を少ない授業時数の中で実践して来た。今年度から中3も週4時間になり、「新指導要領」でも「放射線と原子力」という項目が設定され、3時間程の授業が「指導要領」上も実施出来るようになっているが。
 私の実践は、授業の最初に「原子力発電所に賛成か反対か」を問う。授業終了後にもう一度「この授業を受けて、原子力発電所に賛成か反対か」を再度問う。授業の中で、原子力発電所の抱えている問題点は扱うが、決して「原子力発電所は無くして行くべきだ」という主張はしたことはない。
 実際、最初の質問から授業後の質問によって、各クラス平均して数名が「原子力発電所には反対」という声が増えるだけである。クラスによるが、もともとから生徒の多くは原発反対で、「原子力発電所に賛成」は10名程の少数派であるのだが。
 生徒には、単に原子力の安全性を考えさせる授業にとどまらず、エネルギーの流れ全体から、原子力発電所の立ち位置を考えられる力を付けて行って欲しい、と思っている。
2011.04.10 Sun l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲