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南千住から浅草へ

                           11月13日(土)

 浅草で会合があって、松戸から浅草へ。松戸から浅草は距離的には上野よりも近いのに、経路がストレートになくて、案外時間がかかる。つくばエキスプレスや北総電鉄を使うと30分程で行けるが乗り換えがあって電車代が安くない。北千住から東武を使うのが一番安くて一般的だけどやはり乗り換えが面倒。地図を見てみて、いっそのこと南千住から歩いてみようと思った。
 ネットで予習して、近くでありながら、足を踏み入れたことのない山谷地区や吉原跡も覗いてみようと思った。
 おそらく私の足なら徒歩で30分程で浅草に行けそうだが、寄道をかなりしたので、正確な時間は分からない。
 帰りも、上野まで歩こうと考えた。今日一日で延べ3時間以上は歩いたろう。

  
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2010.11.13 Sat l l COM(0) TB(0) l top ▲
盛口さん稲葉さんを悼む

 先日、科教協ちばの大先輩である盛口襄さんが10月25日に、療養中だった稲葉正さんが11月7日に亡くなった。
 盛口さんとは、全国大会京都大会でナイターでお話を聞いたことがあるが、稲葉さんについては、さまざまな分野の方から伝説のような活動実績を聞いたことが多くありながら、残念ながら私自身は面識はなかった。
 2月の合宿学習会では、しっかりと盛口さんや稲葉さんの残したものを学んで行きたいと思っている。


以下の記事は、asahi.comから

千葉川鉄公害訴訟、原告団長稲葉正さん死去
2010年11月12日

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自宅で集めた粉じんに、川崎製鉄から排出された鉄が含まれていることを磁石を使って示す稲葉正さん=1987年ごろ、千葉市内の自宅

 千葉川鉄公害訴訟の原告団長で7日、88歳で亡くなった稲葉正さんの告別式が11日、千葉市内であった。科学者として自らの手で公害の実態を明らかにした信念とともに、県立千葉高の物理と地学の教師として多くの生徒を育てた功績に対し、参列者からは感謝の声が相次いだ。
 稲葉さんは千葉高の教師をしていた1961年ごろから呼吸器に異変が出始めた。同校でも気管支炎を訴える生徒が続出した。
 科学者らしく、地域の二酸化硫黄濃度の測定を続け、川崎製鉄がある方向から風が吹くと環境基準を大幅に超える濃度を記録していることを突き止めた。88年の千葉地裁で大気汚染との因果関係が認められる一因にもなった。
 告別式会場には、稲葉さんが教師時代につくったガリ版刷りの物理のプリント集も展示された。教科書にとらわれず、生徒の理解に応じた指導法は好評だったという。教え子の1人、志位和夫・共産党委員長は「私にとって学問の楽しさを教えてくれたかけがえのない恩師です」という弔電を寄せた。
 稲葉さんの教え子で後に同高教師となり、訴訟でも原告団副団長として支えた朝生邦夫さんは「稲葉さんの哲学である、ものを科学的に考えていくというところに多くの人が感銘を受けた。最後まで科学者として貫かれた人生だったと思う」と話す。
 葬儀には、同訴訟にかかわった弁護士や患者、高校の同僚や教え子など約110人が参列。弔辞を読んだ同訴訟原告弁護団の高橋勲事務局長は「ぜんそくの病をおして立ち向かった稲葉さんの信念と勇気が患者と弁護団を後押しした。公害根絶の訴えはいま世界に広がっている」と感謝の言葉を述べた。
2010.11.13 Sat l お知らせ l COM(0) TB(0) l top ▲
ナタマメ

                        11月13日(土)

 今年の春に茨城の筑波山麓の平沢官衙でいただいたナタマメを畑(家庭菜園)に植えて育ててきた。この日に収穫した。
 おいしくはないけど、滋養にはなるというナタマメだが、私は食べないで豆は観察用に。あるいは、知り合いにあげようかな、と思っている。


2010.11.13 Sat l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲