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印刷博物館と小石川後楽園

                         9月29日(火)

 修学旅行の代休に。
近代教育をささえた教科書展」の招待券をもらったので(入場料は500円)代休に女房と出かけた。火曜日と水曜日には、印刷博物館での工房ガイドツアーがあるので、この日にしたのである。
 夏休み中に行くことも考えていたが、都合がつかなくてこの日になった。印刷博物難は2000年に凸版印刷が小石川ビルに併設してつくったものである。
 飯田橋駅から徒歩10分ほどのところにある。
 印刷博物館見学後に一度は行ってみようと思っていた小石川後楽園にも寄ってみた。

 戦前の教科書、とくに掛け軸は基本的に木版で印刷されていて、芸術品とも言えるものであった。
 前々から分かってはいるが、あらためて教科書の影響力を認識する。
 私なんぞは子どもの頃、教科書の単元をやらない(はしょって)教師に腹を立てたこともあったことを思い出した。ただし、高校ではそんな考えはぶっ飛んだが。
 教科書に縛られない実践をしている私でさえ、やはり教科書を意識せざるを得ないことがある。中学の教科書は参考書として、資料集のように使えると良いのだが。アメリカでは500ページ程の厚さである。

 印刷博物館は立派。少々凝り過ぎで、デジタル機器をたくさん使っていて、かえって分かりずらかったり、その映像を最後まで見るのに時間がかかったりするのが難である。会場が暗い(資料保存のため)ことがあって、説明の文字も小さく読みづらい。「印刷への思い」は、理解出来なくもないのだが。
 「印刷はまさに情報発信、交流の要だな」と感じた。それが、現在の情報機器に繋がっているんだと理解出来る。
 事実、印刷大手の2大出版会社である凸版印刷や大日本印刷は、すでに経営の中心はデジタル関連になっているらしい。液晶のカラーフィルターや情報ソフトなどなど相当に多角化しているようだ。
 昔ながらの印刷は(と言っても活版印刷はほとんどない)は中小で請け負っているようなのだ。
 
 小石川後楽園は広い。花の時期や紅葉の時期に行って見るのがいいのかもしれない。ほとんど花は見られなかったので。


マスクの車内広告があるこのご時勢。
マスクをこのように利用する方もいらっしゃいます。


招待状。


東西線で飯田橋下車。C13出口までかなり歩く。


飯田橋駅方面。




凸版印刷の小石川ビル。凸版院圧の本社は別に秋葉原にあるらしい。
lこのビルは情報コミュニケーション事業本部があるらしい。






ビルの一角が印刷博物館。




右側が印刷博物館。左側が社屋。


博物館入口。


印刷関係だけあって、著作権について厳しく、写真撮影は許可を得て行いました。
資料コーナー。
1階のここは無料の「P&Pギャラリー」という展示場です。


東京書籍の教科書を中心に
『戦後教科書のあゆみ展 東京書籍発行教科書をもとに』
という展示がありました。
東京書籍は教科書会社としても歴史のある教科書会社ですが、凸版印刷の関連会社のようです。








戦後すぐの墨塗りの教科書。
私の仮設だが、占領軍当局が、子ども達自身に国定教科書に墨を塗らせたのは、戦前の教育から子ども達自ら決別させるためだったのではないだろうか。戦前の教科書の活用のためだけなら、わざわざ子ども達に塗らせなくとも教師が塗れば良かった訳である。
事実、この行為が当時の子ども達に強く心に残ったことだったそうである。


それぞれの時代ごとの教科書群の展示の前に、その節目教育界の動きが簡単にまとめられていて、大変その文章が分かりやすかった。




この保健体育の教科書は私の世代が使った懐かしいもの。


当時の理科の教科書。


当時の小学4年生のローマ字の教科書。
そう、このように詳しくローマ字を習ったように思う。
今はごく簡単にしか教えないので、中学1年の段階で、少なくない生徒がろくにローマ字が書けない。その一方で小学1年生から英語に慣れ親しませるというのだから。


中学1年の英語の教科書。


スプートニク・ショックは大きな教育界への衝撃だったらしい。




この当時小学4年生で集合が。


中学1年の集合。


小学6年で正負の数が。


小学4年の理科の教科書。詳しくて良い。


このように中学の技術家庭科では、内燃機関の学習があった。
今は一切ない。
今の生徒はエンジンの機構等まったく知らない生徒がほとんどである。


「落ちこぼれ」が問題になって「ゆとり」の流れが。
しかし、ますます教育の歪みが現れて来た時代である。






歴史認識問題が国際問題にもなってきた時代である。








生活科のスタート。




写真では分かりづらいけど、算数の教科書を左は英文にしたもの。ナショナルスクールで使ったそうだ。今も使っているのかな?これは英語教育にも使えそうだけど。






















地下1階が本展示場。


本展示場入口。ここは一切写真撮影禁止。
印刷工房は除いて。


10時少し過ぎて入館したけど、途中で昼食。
2階のラ・ステラというレストラン。


ランチの穴子丼780円。サラダやデザートはバイキング。






PLAZA21という凸版印刷の製品紹介コーナーだけど一般者は一切入場禁止。近寄ることも出来なかった。




社員の入場入口。


北側に回ってみた。




13時30分から印刷工房で工房ガイドツアー開始。参加者は私と女房ともう1人の若い女性。学生みたいで熱心にメモをとっていた。


恐ろしい数の活字。
これでも一部だそうだ。
今でもごく一部の書籍が活版印刷されているそうだ。


活字を大きくした見本。当たり前だが反対である。


私には見えません。
小さ過ぎて。
場所を覚えて、勘で活字を取るのだそうだ。




組版の例。




奥にはもっと多くのバージョンの活字が。




いわゆる外字のいろいろ。


アルァベットはそんなに多くないと思ったが、いろいろな字体のものが。


アフファベットの装飾文字は組み合わせて作るものも。。


ポスターを印刷するようなプレス機。字体は木。




アメリカ製で200年程前のもの。
装飾が気になったので質問したら、それぞれ印刷に関連したものだそうだ。
ワニのように見える魚?はイルカを表わし錨とともに印刷の商標の一つのようだ。
こんなに装飾して、アメリカ人も縁起を担ぐんだ。
錘はアメリカを象徴する鷲。




150年程前の手刷り印刷機。




100年程前の手刷り印刷機。丸い版はインクをつける所。


実際にやらせてもらいます。


小さなカードを印刷します。






ツアーの終わり頃、ドドーとたくさんの人が。研修か講座の団体さんです。




樹脂版を作る加熱器。


入場者はそんなに多くないだろうと、受付で聞くと、年間3万人入場とのこと。ヘェーという感じであるが、印刷関連業者の方が多いようだ。






トッパンビルの前のオブジェ。


首都高を横切って飯田橋に戻る。


ふと気が付くと「もやい」の看板。「ここにあるんだ」とのぞいてみる。
少し路地を入る。


2階建ての古い民家。知った顔の人がいて、ボランティアで来ているそうだ。
顔に気を付けて撮影。


この路地の奥。


トッパンビルからこんなに近い。


昼を食べようかな?と思ったレストラン。


新小川公園。


この界隈には印刷関係の業者の会社がたくさんあります。


飯田橋駅前の陸橋を渡って水道橋方面に。




日中友好会館。


地下鉄大江戸線の乗り場の上のオブジェ。


小石川後楽園。入園料300円。






正面に東京ドーム。
無粋だけど白いのであまり目立たない。右手のビルは東京ドームホテル。


築山。












清澄観音堂があった所。清水寺に見立てたらしい。


























愛宕山に見立てたもの。






水戸光圀と言えば梅林かな。


水田があり、ヒガンバナも。
















ここに山門があったらしい。多くが戦災で焼けたらしい。




一つ松。




駅に帰る途中に日中友好会館の美術館で開催していた「京劇の花~梅蘭芳」を見学する。無料。
日中友好会館には中華料理店が3件もあった。


飯田橋駅。
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2009.09.29 Tue l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
9月の京都
新型インフルエンザを乗り越えて?

                      9月25日(金)~27日(日)

 25日(金)奈良 26日(土)27日(日)京都

 6月に予定されていて、明日、出発という日に中止になった修学旅行が、不安を抱えながらも何とか実施することができた修学旅行である。
 いつも修学旅行に行くと思うのだが、せっかく親が金額的に大きな負担をする修学旅行に行くのなら、予備的な学習をしっかりさせてから来訪した方がより効果的ではないだろうか。今回初めて生徒とタクシーに相乗りして運転手さんの案内の説明を聞きながら思った。基礎的な知識が生徒には十分でないのだ。
 学校現場では、集団としての活動にはかなり重点を置いて、活動をさせ準備して行くが、修学旅行の場合には、より歴史についての事前の学習が必要ではないだろうか。林間学園についても同様であるが。

 修学旅行は6月に行くことが多くて、久し振り?の9月の京都であるが(と言っても京都には個人的に行っったときに9月に行ったことがあったか思い出せないが)「秋の紅葉の時期の京都に行ってみたい」とつくづく思った。すごい人出だそうだが。
2009.09.27 Sun l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
連休中のお散歩?

                         9月23日(水)

義母のお宅に行く途中、アサヒコムで紹介されていた持法院のヒガンバナを見に行きました。






あまり知りませんでしたが、お寺としてかなり古い名刹です。










柏市という部分が白いのは旧沼南町だったから。




お彼岸のための何かの跡だろうか。




















義母の家の近くの木に成ったカリンの実。


東京基督教大学。


キャンパスマップ。




大学のすぐ奥が、新たに出来た北総花の丘公園緑の園ゾーン。北の丘公園のより駅に近い方の公園は10年程前(2000年)には開園している。




バーベキュー施設がある。


谷津の方に降りたら、野菜の直売所がありました。


自然生態園。池の水が泥状に濁っていました。








義母の家近くのサルスベリ。


ハーブのローズマリー。
2009.09.23 Wed l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
連休中のお散歩?

                         9月22日(火)

両親がやってきたので、車も使いながら近所を歩きました。


松戸市立博物館では、企画展で「昔の暮らし探検」というのをやっていました。


21世紀の森です。休み中は人出も多い。


21世紀の森の柵の土手に咲いていたヒガンバナ。


戸定が丘歴史公園のヒガンバナ。


戸定邸入口に置かれた生け花。


何度か私は戸定邸には入っているので、入館料をケチって入らず、女房と両親に入ってもらいました。外からパチリ。


千葉大園芸学部のサクラ。かなりの老木です。


千葉大園芸学部のバナナ。


千葉大園芸学部の裏口近くの花。
2009.09.22 Tue l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
連休中のお散歩?

                         9月20日(日)

どこも混雑しているようなので「シルバーウィーク」は基本的に遠出なし。
近所や周辺散策。


庭のヒガンバナも枯れ出しました。
プランターのピーマンの花。


晴れた日射しの中のヒガンバナは赤が強過ぎます。


玄関先のポーチュラカ。




ムラサキシキブのバックはキリの木。


キリの実。


アカネトンボが飛び出していました。


シオカラトンボも飛んでいましたが、動きが速くて撮れません。


秋ですねえ。


私の10坪菜園。
ブロッコリがちょぼちょぼです。発芽の時期に水やりが少し不十分でした。
あとはほとんどイチゴです。


モグラが住みついています。


一度、ラッカセイを植えたら、毎年採るのだけど、毎年生えて来ます。何個かラッカセイを取り損ねるせいでしょう。
ここにもモグラの穴が。モグラは害獣ではなくて、益獣という話も聞きます。田圃の畦に住みつくと水漏れの原因になるので害獣でしょうが。ここ数年そのままにしています。


蝶も花々の蜜を吸い冬越しの準備?をしています。モンシロチョウやモンキチョウ、少々色の褪せたアゲハチョウも飛んでいました。


町会(私の菜園もその一角にあります)の畑の入り口近くの直売所。オクラ(1袋100円)を買って帰りました。
2009.09.20 Sun l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
庭のヒガンバナ?
                        9月19日(土)

 今年はこれで庭のヒガンバナのピークかな。





 ヒガンバナは不思議な花で、毎年つねに彼岸の時期に茎が伸び花が咲く。花が咲いて後に葉が出て来て春にはその葉もなくなってしまい、秋の彼岸の時期の前に急にまた茎が伸び、花が咲く。ということを繰り返す。韓国では、花と葉が同時に見られることがないので、相思華(サンチョ)という名が付けられているそうだ。なかなかロマンのある名前である。ヒガンバナ同様なにかもの悲しげ思いも抱かせる花で、カタクリと同様に、私は好きな花である。ヒガンバナを見ると新美南吉の「ごんぎつね」を思い出すのである。
 なお、ヒガンバナは花が咲いても実を作らないことがほとんどで、タネで増えることはないそうだ。染色体が三倍体なのだそうだ。ヒガンバナは、中国から稲とともに入って来た帰化植物で、そのヒガンバナが三倍体のヒガンバナだったらしい。中国にはタネで育つ原種のヒガンバナがあるらしい。
2009.09.19 Sat l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
第52回千葉県母親大会 流山母親大会としては9回目
流山歴史散歩と超満員の姜尚中(カンサンジュン)氏の講演

                     9月13日(日)

 美術にも造詣が深く、新日曜美術館の進行役でもある姜尚中氏の話も聞いてみたくて参加した。
 駐車料金がかかりそうなので少し迷ったのだが、車で行くことにする。駐車料金は1日の場合は割引で400円だった。母親大会の参加券は1000円。
 午前中の分科会は、流山の史跡巡り(流山市ウオッチングー歴史散歩 流山史跡ガイドの会)に参加した。前もって申込んでいなかったので、当日は予約ですでに一杯。40名の定員を越えて、希望者が多かったので2班に増やしたほどだそうだ。全員で50人程の予約者なので「キャンセルが出るのでは?」と予想し、世話人に、まずは仮の申込みをした。案の定と言っては悪いが、出発時間までに5・6人来ていなかったので参加出来ることになった。他にも私のような人が何人かいた。
 この歴史散歩は結構忙しい見学であった。この日の見学は流山歴史散歩の「おさらい」として、次回にじっくり見学するということになるであろう。それでも全コースを歩いて2時間30分の見学であった。
 今回の県母親大会の全参加者は1200人(後日の報道では1400人の参加とも)。講演時のホールは通路にも座り、立ち見も出て、会場に入れなかった人もいると聞く。講演中、後ろのドアは明けっ放しであった。「こんなに千葉県の母親大会で参加者が多かったことは最近ではないのでは?」と思ってしまうほどの参加者であった。なにしろ千葉県の西の端の流山での開催である。さらに、会場の流山市文化会館には、電車で行く場合は、常磐線あるいは武蔵野線から流山鉄道に乗り替えないと辿り着けない場所なのである。
 先日「姜尚中氏の講演があるけどいっしょに行かない?」と誘った息子には断られたけど「あの女性に人気の姜尚中さん?」と言われて「女性に人気なの?そうなんだ」と初めて知ったのだが、会場に行って『息子の言った通りだな』と思ったのだった。
 姜尚中氏の語り口はテレビで観る同様、きちっとした論点を展開する。首を大きく振って、きついようにも思える眼差しで会場を見渡し、渋いながらも、ハキハキした口調で語っていた。
 心に残ったフレーズを
 女性は様々なハンディを抱え、女性の生きづらさ(この使い方?)が明確に現れている社会である。トヨタの役員が「姥外」と表現したことがある。
 時代は「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の時代である。
 亡くなる直前の4月に金大中と対談し、近々本を出すそうだが金大中氏は「リーダーは半歩前を歩け」「リーダーは民度が生む」と語っていたそうだ。
 女性は世界の人類の半分。女性問題は実は男性問題であって、男子と女子は同志である。(男子、女子という言い回しが気になった。日頃は学生相手だからかな?)
 最後のまとめで
 民主党政権の今後が大切。私たちをしっかり今後をときには励まし、ときには批判していくことが求められる。政党政治の要となる時代である。
 姜尚中氏が
「学者よりも物書きになりたい。」
 と言っていたことが心に残った。

 
2009.09.13 Sun l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
9月の学習会

テンコ盛りで実験紹介
           
理科基礎講座

もっと学びたい!の声が多数

9月12日(土)9時30分から12時30分
松戸市立和名ヶ谷中学校<第2理科室>にて  参加費300円(お土産付)
    
 ベテラン教師から若い世代へ、ノウハウやコツを伝授しました。
 2学期からの授業にすぐ生かせるよう、持って帰って使える教材も用意しました。

1講座20分~30分の【実験・観察の基礎講座】です。
                    
小・中・高のベテラン教師が懇切丁寧に実験のノウハウやコツを伝授しました。

・超簡単電気実験 ・ミニミニ水の電気分解 ・ガラスの弾性実験
・簡単人体解剖図作り ・音のおもちゃワンワン作り などなど

 18名の参加でした。
 遠く岩手(特別参加 実家が杉並だそうです)から参加してくれた人もいました。
 このブログを見て、世田谷から参加してくれた若い教師もいました。
 今後の科教協ちばの学習会に乞うご期待。


2009.09.12 Sat l お知らせ l COM(2) TB(0) l top ▲
庭のヒガンバナ?
                        9月12日(土)

 庭のヒガンバナが咲き出しました。

2009.09.12 Sat l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
庭のヒガンバナ?
                        9月10日(木)

 いきなりニョキニョキと茎が出して来るヒガンバナ。
 女房が随分庭の草むしりに精を出したので、今年はどんなふうに咲くでしょうか。


2009.09.10 Thu l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
九条の会
大石又七さんの話を聞く

                         9月5日(土)

 地域の九条の会で、大石又七さんを呼んでの講演会があった。大石さんは第五福竜丸の乗組員で、水爆の被爆者である。元漁船の乗組員だけあって、頑健な体つきであった。
 被爆時は20歳だったそうだ。いわゆる白い灰は、水爆実験後深さ120m直径1.8kmの穴が空いた珊瑚礁のサンゴで、膚にチクチクして、目に入って来たりして作業中大変だったそうだ。その放射能を含んだサンゴが少し後で、火傷したように水ぶくれになったそうである。また、何か分からなかったのでなめたりした人も多く、肺に入って、いわゆる体内被爆になり、そのことが後々まで原爆症に一因になったそうである。
 大石さんは被爆後、転居し、原水爆の問題からは離れていたそうだが、第五福竜丸が夢の島で発見された、というニュースを聞いて、正直「また第五福竜丸の事件が思い出されると困ったな」と思い「がっかりした」のだそうだ。しかし、第五福竜丸の保存運動が起こる中で、大石さんは運動に関わらざるを得なくなったそうだ。現在は蒲田に在住されている。
 質疑の中で「今の教育現場では、放射能のことは教えられているのか?」という質問があった。これには私が答えた。『新学習指導要領では、中学校で再来年の本格実施で3年で「放射線と原子力」という項目が復活(30年振り)する。私は、短時間だが今も実施している。』と話しておいた。






2009.09.05 Sat l 活動報告 l COM(0) TB(0) l top ▲