秋田への旅
7月26日(日)~30日(木)
例年、全国で開催される科教協全国大会にかけて、国内の旅をしている。今年は埼玉なので、別の設定をすることにした。女房が「角館に行きたい」というので、秋田への旅行を企画した。私は「一度、酒田の土門拳写真館(土門拳記念館)に行ってみたい」と思っていたので、女房の生まれ故郷の秋田探訪も入れて企画してみた。
女房は、秋田に産まれて、すぐ横手に。その後八戸に転居し、幼稚園は秋田で、築山小学校に1ヶ月のみ通学し米沢に。また小学校4年生の1年間だけを秋田で過ごした。その後松本、千葉、福島、川崎と転居した。
26日は5時に出発した。
大仙ICを降りて20分ほど車で東に走る。
印象に残った見学地を記録しておく。
行ってみてびっくり!払田の柵跡
角館に行く前に、大仙ICから少し東に行った所に払田の柵というところがあり、寄ってみようと思った。現地に着くまで払田の柵を「はらいだのさく」と読むとばかり思っていたが「ホッタのサク」であった。
私のかなりアバウトな感覚だが、一般的な学校のグランド20個以上はあろうかという広大な公園?のような敷地である。
その敷地の芝がきれいに刈られていて、その芝を刈るだけでも相当な費用がかかると思われた。
園内や道路を挟んで向かい側にある資料館も無料。前もって申し込んでおくと説明もしてくれるらしい。
角館
道路が広い。古いものが大切に守られている。
広大な武士の屋敷跡。関東以南の武家屋敷とは違って、商人の屋敷も含めてそれぞれの敷地が広い。雪のためであろうか。
秋田城→久保田城(千秋公園)そして赤れんが郷土館
秋田市内の城は佐竹氏の居城。
市街のほぼど真ん中に位置する。
赤れんが郷土館との共通券が安いので、あまり寄る気がなかったねぶり流し館にも寄った。子ども用の竿燈をいじっていたら、館内の方が声をかけてきてくれて、いろいろな説明をしてくれた。秋田の街は、武家屋敷と商人の街、寺町が明確に区分されている。その街の配置は防衛のためで、寺町で武士が防衛線を張り、破られたら、商人街を焼き、防衛、そして武家屋敷、城、と配置している。庶民は「捨て石」ですね。
竿燈は庶民の祭で昔は商人町の中の職人のみが行う祭りだったが、最近は新住民も参加するようになったそうだ。
古くからの歓楽街は川反(かわばたと読むそうだ)という場所。割烹料理屋が多い。昔よりかなり減ったそうだが。
秋田城跡 土崎
ここは、払田の柵よりも知られているが、関東の方ではどれだけの人が知っているかなあ?もちろん歴史に詳しい人にとっては常識の史跡でしょうが。ちなみに私の職場の若い社会科の教師は秋田城も払田の柵も知らなかった。
園内も資料館も無料。
丁寧なボランティアの説明があった。
日本最古の水洗トイレがあることで有名である。
復元された小屋?のような厠で、再建?費用8500万円以上だそうだ。
酒田の街
割烹料理屋が町の大きさの割にはひじょうに多い。しかし店を閉めた所も少なくない。
「おくりびと」で有名になった?ようだが、味のある古い街である。ただ、酒田の大火(1976年)で大きな被害を被った。燃えたのは商店街が中心で、古いものは少なかったようだが。
鶴岡
帰宅の日だったので、さっと見学した。
見学無料の到道館という庄内藩藩校だけの見学である。瀟洒な明治の建物がいくつか残っていて外観だけ見た。
秋田への旅で
日本産の油田採掘場等まだまだ見てみたいところもいくつか残っているが、またの機会に。
秋田までは遠かった。ほぼ500㎞以上を一気に走るのは辛い。軽自動車では。
帰りは、鶴岡から自宅まで(月山ICまでは一般道)は、それほど苦痛ではなかったが。
一気に走るのは300㎞から400㎞が適当かな?今後、500㎞以上の旅は、寄り道しないで行くとしたら「電車で行ってレンタカー」が適当かもしれない。
私にとって一番印象深かった場所はやはり払田の柵である。秋田城址を比較して訪問すると全体像が理解できるようになる。秋田城址での説明も良かった。
再認識したこと。東北への朝廷勢力の進出が日本海側からであること。
多賀城や胆沢城のイメージが強いので(両方とも私はまだ見学したことはないが)、私には「朝廷勢力の進出は、ほぼ南から緯度に沿って北に進んでいった」という感覚があった。実際には日本海側からの進出が先であったということである。これは冬は別にして、日本海側の方が大和から直線距離が近いだけでなく、海流の関係からも波が穏やかで、北に勢力を伸ばしやすかった、ということが言えるだろう。そういえば北海道(蝦夷)の松前藩は、日本海側に城があった。
秋田旧市街の城を守るような街の配置を知ったことも含めて、新たに歴史認識を深めさせてくれた旅であった。
名所旧跡は、メジャーの所だけでなく、マイナー?なところもかなり見応えがあるし、新たな発見がある。私は、意識してそういうところも見つけ、旅をするのを好むのだが今回の払田の柵は収穫であった。
「秋田の人は真面目で宣伝が下手」と秋田城跡のボランティアの人が語っていたが。
公的資金の予算削減や人員削減の中で、このような史跡が今後どのようになっていくのか気になるところである。
7月26日(日)~30日(木)
例年、全国で開催される科教協全国大会にかけて、国内の旅をしている。今年は埼玉なので、別の設定をすることにした。女房が「角館に行きたい」というので、秋田への旅行を企画した。私は「一度、酒田の土門拳写真館(土門拳記念館)に行ってみたい」と思っていたので、女房の生まれ故郷の秋田探訪も入れて企画してみた。
女房は、秋田に産まれて、すぐ横手に。その後八戸に転居し、幼稚園は秋田で、築山小学校に1ヶ月のみ通学し米沢に。また小学校4年生の1年間だけを秋田で過ごした。その後松本、千葉、福島、川崎と転居した。
26日は5時に出発した。
大仙ICを降りて20分ほど車で東に走る。
印象に残った見学地を記録しておく。
行ってみてびっくり!払田の柵跡
角館に行く前に、大仙ICから少し東に行った所に払田の柵というところがあり、寄ってみようと思った。現地に着くまで払田の柵を「はらいだのさく」と読むとばかり思っていたが「ホッタのサク」であった。
私のかなりアバウトな感覚だが、一般的な学校のグランド20個以上はあろうかという広大な公園?のような敷地である。
その敷地の芝がきれいに刈られていて、その芝を刈るだけでも相当な費用がかかると思われた。
園内や道路を挟んで向かい側にある資料館も無料。前もって申し込んでおくと説明もしてくれるらしい。
角館
道路が広い。古いものが大切に守られている。
広大な武士の屋敷跡。関東以南の武家屋敷とは違って、商人の屋敷も含めてそれぞれの敷地が広い。雪のためであろうか。
秋田城→久保田城(千秋公園)そして赤れんが郷土館
秋田市内の城は佐竹氏の居城。
市街のほぼど真ん中に位置する。
赤れんが郷土館との共通券が安いので、あまり寄る気がなかったねぶり流し館にも寄った。子ども用の竿燈をいじっていたら、館内の方が声をかけてきてくれて、いろいろな説明をしてくれた。秋田の街は、武家屋敷と商人の街、寺町が明確に区分されている。その街の配置は防衛のためで、寺町で武士が防衛線を張り、破られたら、商人街を焼き、防衛、そして武家屋敷、城、と配置している。庶民は「捨て石」ですね。
竿燈は庶民の祭で昔は商人町の中の職人のみが行う祭りだったが、最近は新住民も参加するようになったそうだ。
古くからの歓楽街は川反(かわばたと読むそうだ)という場所。割烹料理屋が多い。昔よりかなり減ったそうだが。
秋田城跡 土崎
ここは、払田の柵よりも知られているが、関東の方ではどれだけの人が知っているかなあ?もちろん歴史に詳しい人にとっては常識の史跡でしょうが。ちなみに私の職場の若い社会科の教師は秋田城も払田の柵も知らなかった。
園内も資料館も無料。
丁寧なボランティアの説明があった。
日本最古の水洗トイレがあることで有名である。
復元された小屋?のような厠で、再建?費用8500万円以上だそうだ。
酒田の街
割烹料理屋が町の大きさの割にはひじょうに多い。しかし店を閉めた所も少なくない。
「おくりびと」で有名になった?ようだが、味のある古い街である。ただ、酒田の大火(1976年)で大きな被害を被った。燃えたのは商店街が中心で、古いものは少なかったようだが。
鶴岡
帰宅の日だったので、さっと見学した。
見学無料の到道館という庄内藩藩校だけの見学である。瀟洒な明治の建物がいくつか残っていて外観だけ見た。
秋田への旅で
日本産の油田採掘場等まだまだ見てみたいところもいくつか残っているが、またの機会に。
秋田までは遠かった。ほぼ500㎞以上を一気に走るのは辛い。軽自動車では。
帰りは、鶴岡から自宅まで(月山ICまでは一般道)は、それほど苦痛ではなかったが。
一気に走るのは300㎞から400㎞が適当かな?今後、500㎞以上の旅は、寄り道しないで行くとしたら「電車で行ってレンタカー」が適当かもしれない。
私にとって一番印象深かった場所はやはり払田の柵である。秋田城址を比較して訪問すると全体像が理解できるようになる。秋田城址での説明も良かった。
再認識したこと。東北への朝廷勢力の進出が日本海側からであること。
多賀城や胆沢城のイメージが強いので(両方とも私はまだ見学したことはないが)、私には「朝廷勢力の進出は、ほぼ南から緯度に沿って北に進んでいった」という感覚があった。実際には日本海側からの進出が先であったということである。これは冬は別にして、日本海側の方が大和から直線距離が近いだけでなく、海流の関係からも波が穏やかで、北に勢力を伸ばしやすかった、ということが言えるだろう。そういえば北海道(蝦夷)の松前藩は、日本海側に城があった。
秋田旧市街の城を守るような街の配置を知ったことも含めて、新たに歴史認識を深めさせてくれた旅であった。
名所旧跡は、メジャーの所だけでなく、マイナー?なところもかなり見応えがあるし、新たな発見がある。私は、意識してそういうところも見つけ、旅をするのを好むのだが今回の払田の柵は収穫であった。
「秋田の人は真面目で宣伝が下手」と秋田城跡のボランティアの人が語っていたが。
公的資金の予算削減や人員削減の中で、このような史跡が今後どのようになっていくのか気になるところである。
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