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科教協全国大会埼玉1

                     7月31日(金)

 科教協全国委員会参加のため小松原高校へ。


南浦和駅。早速の案内ご苦労さまです。








外装工事の建物の2階が会場です。


受付で全国大会の参加費4000円と報告集1500円を払います。


吉埜さん(科教協委員長)の挨拶で始まりました。


来年開催地の兵庫からの挨拶。


再来年の開催地は栃木です。宇都宮大学になりそうです。


最終日に行われる総会の議案書である「2009年度運動方針案」の文章は古過ぎる表現なのでは?と意見を出しました。


20時過ぎに終わりました。
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2009.07.31 Fri l 活動報告 l COM(0) TB(0) l top ▲
平和美術展と青年美術展


                          7月31日(金)

 例年のように今年も招待券をいただいて平和美術展に行く。毎年、平和美術展と青年美術展は併催されているのだが、青年美術展は前半で終わってしまう。そのため、なかなか両方とも見に行くことは難しく、両方を参観ききるのは、今年のように科教協の大会が首都圏で開かれるときだけになる。




都美術館入口前の広場で大道芸が。
入口のガラス戸に都美術館改修の貼紙が。
2010年4月から2年間、使えないそうです。
来年からは平和美術展はどうなるのかな?と思って入館しました。


ロビーが異様な雰囲気で、人がびっしり。招待客が中心のようで、明日がトリノ・エジプト展の初日のようです。開催の挨拶をしていました。


薮内さんの作品。


今年亡くなった滝平二郎さんの常連の出品者でした。


知り合いの奥田さんの作品。マンガパネルです。


立体の展示コーナー。生け花も展示されていますが、生き物ですから時々このように花を替えているようです。そのようすは初めて見ました。


毎年展示される、被爆者肖像画コーナーが3作品しかなくどうしたのだろうと思いました。
後日聞くと、今年の被爆者援護法に関わる裁判や法改正で、被爆者団体が多忙でうまくコンタクトがとれなかったようです。


青年美術展。「ここは無料なんだからもっと宣伝しなきゃ」と思いました。


昔(30年前)とずいぶん違う傾向の作品群です。
多様な作品が増え「いいなあ」と思いました。


「今年の平和美術展は作品数が少ないのでは?」と思いましたが、後で事務室で聞くと、例年より多いそうです。作品が全体にこじんまりとしているように思えたせいでしょうか。
来年は、横浜の赤レンガ美術館で開催されるそうです。


上野公園のマンホール。


松戸に戻り、演劇鑑賞会の会費を払いに行きました。
「こんな祭りがあるんだ」と知りました。商店街の催しでしょうか。
8日と9日に開催されるようです。




演劇鑑賞会の事務局の入ったビルでは外壁工事中でした。


松戸駅近くの印刷会社の入口横にこんな貼紙が。骨のある会社ですね。

松戸から南浦和の小松原高校で開催される科教協全国委員会に向かいました。
2009.07.31 Fri l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
秋田への旅
                    7月26日(日)~30日(木)

 例年、全国で開催される科教協全国大会にかけて、国内の旅をしている。今年は埼玉なので、別の設定をすることにした。女房が「角館に行きたい」というので、秋田への旅行を企画した。私は「一度、酒田の土門拳写真館(土門拳記念館)に行ってみたい」と思っていたので、女房の生まれ故郷の秋田探訪も入れて企画してみた。
 女房は、秋田に産まれて、すぐ横手に。その後八戸に転居し、幼稚園は秋田で、築山小学校に1ヶ月のみ通学し米沢に。また小学校4年生の1年間だけを秋田で過ごした。その後松本、千葉、福島、川崎と転居した。

 26日は5時に出発した。
 大仙ICを降りて20分ほど車で東に走る。

印象に残った見学地を記録しておく。


行ってみてびっくり!払田の柵跡

 角館に行く前に、大仙ICから少し東に行った所に払田の柵というところがあり、寄ってみようと思った。現地に着くまで払田の柵を「はらいだのさく」と読むとばかり思っていたが「ホッタのサク」であった。
 私のかなりアバウトな感覚だが、一般的な学校のグランド20個以上はあろうかという広大な公園?のような敷地である。
 その敷地の芝がきれいに刈られていて、その芝を刈るだけでも相当な費用がかかると思われた。
 園内や道路を挟んで向かい側にある資料館も無料。前もって申し込んでおくと説明もしてくれるらしい。

角館

道路が広い。古いものが大切に守られている。
広大な武士の屋敷跡。関東以南の武家屋敷とは違って、商人の屋敷も含めてそれぞれの敷地が広い。雪のためであろうか。

秋田城→久保田城(千秋公園)そして赤れんが郷土館

 秋田市内の城は佐竹氏の居城。
 市街のほぼど真ん中に位置する。
 赤れんが郷土館との共通券が安いので、あまり寄る気がなかったねぶり流し館にも寄った。子ども用の竿燈をいじっていたら、館内の方が声をかけてきてくれて、いろいろな説明をしてくれた。秋田の街は、武家屋敷と商人の街、寺町が明確に区分されている。その街の配置は防衛のためで、寺町で武士が防衛線を張り、破られたら、商人街を焼き、防衛、そして武家屋敷、城、と配置している。庶民は「捨て石」ですね。
竿燈は庶民の祭で昔は商人町の中の職人のみが行う祭りだったが、最近は新住民も参加するようになったそうだ。
古くからの歓楽街は川反(かわばたと読むそうだ)という場所。割烹料理屋が多い。昔よりかなり減ったそうだが。

秋田城跡 土崎
 ここは、払田の柵よりも知られているが、関東の方ではどれだけの人が知っているかなあ?もちろん歴史に詳しい人にとっては常識の史跡でしょうが。ちなみに私の職場の若い社会科の教師は秋田城も払田の柵も知らなかった。
 園内も資料館も無料。
 丁寧なボランティアの説明があった。
 日本最古の水洗トイレがあることで有名である。
 復元された小屋?のような厠で、再建?費用8500万円以上だそうだ。

酒田の街

 割烹料理屋が町の大きさの割にはひじょうに多い。しかし店を閉めた所も少なくない。
 「おくりびと」で有名になった?ようだが、味のある古い街である。ただ、酒田の大火(1976年)で大きな被害を被った。燃えたのは商店街が中心で、古いものは少なかったようだが。

鶴岡

 帰宅の日だったので、さっと見学した。
 見学無料の到道館という庄内藩藩校だけの見学である。瀟洒な明治の建物がいくつか残っていて外観だけ見た。

秋田への旅で 
 日本産の油田採掘場等まだまだ見てみたいところもいくつか残っているが、またの機会に。

 秋田までは遠かった。ほぼ500㎞以上を一気に走るのは辛い。軽自動車では。
 帰りは、鶴岡から自宅まで(月山ICまでは一般道)は、それほど苦痛ではなかったが。
一気に走るのは300㎞から400㎞が適当かな?今後、500㎞以上の旅は、寄り道しないで行くとしたら「電車で行ってレンタカー」が適当かもしれない。

 私にとって一番印象深かった場所はやはり払田の柵である。秋田城址を比較して訪問すると全体像が理解できるようになる。秋田城址での説明も良かった。
 再認識したこと。東北への朝廷勢力の進出が日本海側からであること。
 多賀城や胆沢城のイメージが強いので(両方とも私はまだ見学したことはないが)、私には「朝廷勢力の進出は、ほぼ南から緯度に沿って北に進んでいった」という感覚があった。実際には日本海側からの進出が先であったということである。これは冬は別にして、日本海側の方が大和から直線距離が近いだけでなく、海流の関係からも波が穏やかで、北に勢力を伸ばしやすかった、ということが言えるだろう。そういえば北海道(蝦夷)の松前藩は、日本海側に城があった。
 秋田旧市街の城を守るような街の配置を知ったことも含めて、新たに歴史認識を深めさせてくれた旅であった。
 名所旧跡は、メジャーの所だけでなく、マイナー?なところもかなり見応えがあるし、新たな発見がある。私は、意識してそういうところも見つけ、旅をするのを好むのだが今回の払田の柵は収穫であった。
 「秋田の人は真面目で宣伝が下手」と秋田城跡のボランティアの人が語っていたが。
 公的資金の予算削減や人員削減の中で、このような史跡が今後どのようになっていくのか気になるところである。
2009.07.30 Thu l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
2009年度第4回
事務局会議の報告

         7月24日(金)19時から
         北習志野 サイゼリヤにて

 「18時から」とか混乱がありました。みなさん19時と思っていて助かりました。
 先日の日食のようすの報告。
 食肉センター見学の報告。
 9月の学習会についての検討が中心でした。




2009.07.24 Fri l 活動報告 l COM(0) TB(0) l top ▲
今世紀最大という
日食

                7月22日(水)

09072200.jpg
わたしの家から12時過ぎにかろうじて見えた部分日蝕です。
(クリックしたら真ん中に見えます)
左側が欠けています。

 当日は、雨模様の曇り空でした。
 最大食の11時15分頃。雲は晴れません。この頃(約最大食75%)確かに辺りは暗くなったのですが,雲のせいかもしれません。
自宅から空と全国の日食の状況を伝えるテレビを見ながら,今回は松戸では全くだめかなあ?と思いながら12時10分頃、再び空を眺めると雲越しに太陽が!急いでシャッターを切りました。日食グラスは必要ありませんでした。写真に撮るのは難しい!太陽は5分ほどで再び雲の中に。    

 日食終了の12時30分を過ぎた頃、再び太陽が顔をのぞかせました。もうどこも欠けていません。その後,再び曇ってしまいました。
 次回松戸で見られる部分日食は,ほんの少し(3%欠け)ですが2010年1月15日です。
 皆既日食は,2032年9月2日に北関東(東京より少し北の埼玉県や茨城県でも可能)です。
 その前に,松戸でも金環食(太陽が月のためにリング状に輝く状態)が2012年5月21日に見られます。当然,前後には部分日食も見られます。
 東京で皆既日食が見られるのは2762年8月12日になるそうです。




 
2009.07.22 Wed l 発見 l COM(0) TB(0) l top ▲
2009平和行進
                    7月20日(月)

 恒例の国民平和大行進に、今年も女房と息子と常盤平から参加。


桜通りの地衣類。






今年は参加者が多かったように思います。常盤平コースは100人以上でした。


帰って畑に行って、ルッコラを収穫。さっと洗った後に水に浸けておいたら、カタツムリが。ルッコラ(ロケット)にはカタツムリやナメクジが好きなようです。


収穫したピーターコーン。まあまあの出来。遺伝の学習には良いのだけど。
2009.07.20 Mon l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
久し振りの山登り
三つ峠山
                   7月19日(日)
 3時に起きて、4時前に車で発。
 5時30分には登山口の駐車場に着きました。


5時45分登山口発。雨上がりでしたので湿度は高かったです。




富士山の頭には雲がかかって全貌は見えません。


ロッククライミングの聖地。屏風岩の赤壁。


三つ峠山は、三つの山の総称です。
まずは、木無山。
向こうが開運山1785m。いわゆる三つ峠山。






山頂はパラボラアンテナ等が林立しています。




三つ目の山、御巣鷹山。




ここから厳しい下りが続きます。


送電線を横断します。谷風が心地良い。




林道を40分程歩きます。途中の、松ぼっくり。


10時に登山口に戻りました。
車がいっぱい停まっていました。


お腹が減ったので車内でお握り。本当は、山の中で食べたかったのですが、9時頃から虫が飛び出して、食べる気が起きませんでした。事実、2カ所手を刺されました。
13時過ぎには実家に帰りました。


帰りの車両で。この11日に溝ノ口まで大井町線が延伸されたばかりだったんですね。
自宅には16時過ぎには帰れました。

心配した疲労感は、あまりなくて安心。肩も大丈夫。少しトレーニングすれば、またいろいろ登れそうです。

2009.07.19 Sun l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
久し振りの渋谷
                 7月18日(土)

 鎖骨骨折をしてから1年以上山に登っていないので、ザックがどうかな?とか、心配な面がたくさんあるので、無理の言える兄貴を誘って山登りに付き合ってもらうことにした。
 実家に行く途中、渋谷に久し振りに降りてみた。年に何度も通っているが、いつもほとんど素通りで、駅に降りるのは何年振りだろう。
 

渋谷駅前。


すごい人です。数千人はいますね。


駅前に東急の旧車両が。


中が展示室になっていました。






ちょっとした待合所にも。


車両の置かれた目の前がハチ公像です。


ハチ公像です。前はこのような花はなかったような?


車両の裏側から。


溝ノ口から普通に乗り換えると、大井町線がモダンな車両になっていて、大井町線は、溝ノ口駅が始発駅になっていました。
2009.07.18 Sat l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
福津先生を偲ぶ
                    7月3日(金)

 7月2日の電力中央研究所を訪問する直前、高校時代の同期の仲間から連絡があった。
 福津先生は、私の高校時代の恩師である。卒業しても付き合いのあった先生で、卒業してからも何度か会うことがあった。
 社会科の先生で、倫理社会や政治経済を教えて頂いた。一番最初の授業で、黒板一杯にいわゆる名著の紹介をされて「このような本を読むと良い」というようなことを話されて、その全てを読むことはなかったが、早速紹介された本の一つである「チボー家の人々」を買って読んで、かなり刺激を受けたことは懐かしい記憶である。
 朝日訴訟にこだわりをもっておられ、その授業を大事にされていたようだった。
 卒業してから聞いたことなのだが、政治評論家の早坂茂三(田中角栄の秘書)氏と旧制中学の同級生で交流があったという。早坂氏は、元日本共産党員でありながら、田中角栄の秘書になったことで有名で、晩年は、日本社会の有り様に危惧を感じて、しんぶん赤旗にも何度か登場していた。その若い頃の早坂氏とともに先生も政治活動も行っていたようだが、先生は多くは語ることはなかった。
 ヘビースモーカー。飄々とした風貌で、私たちを担当した当時は30代であったと思うのだが「とてもそのような年には思えないよね」というのが毎年行っている同期会のたびに話題になった。有楽町で毎年行っている同期会に10数年前にも来てくれたことがあった。
 友人から聞いたエピソードであるが、当時ももちろん高校生はパチンコ店入店禁止であるが、友人がパチンコをしていたら、後ろからこっそりと来て「出てるか」と言ってそれ以上何も言わなかったそうだ。友人は、気まずくて、すぐ退散したそうである。
 定年後に札幌に転居された。奥様は、50代の頃に亡くなられて、近所に息子さんの家族はいらしたが、1人住まいであった。私の子ども達がまだ小さかった頃、家族5人でキャンプをしながら北海道を一周旅行したことがある。その旅行中に、いきなり電話して、先生の所に泊まらせてもらったこともあった。相当に図々しかったが(今でも図々しいが)心良く?泊まらせて頂いた。
 うるさいことは、ほとんど言わず、生徒の自主性を尊重された先生であった。
 一昨年、私たち首都圏同期会で企画した「イタンキ浜でバーベキュー」という企画に北海道在住の同期の仲間がたくさん集ってくれた。私たちは、その企画の後で、洞爺湖湖畔のホテルに泊まったが、そのホテルに来ていただいた。
 晩年は心臓を悪くされていたのだが、翌日に有珠岳をロープウエーで登ったときに、展望が良かったので、展望台まで無理を言って登ってもらった。その展望台から見える駒ヶ岳を懐かしそうに見られていた姿が心に強く残っている。「生徒達と登ったことを思い出す」のだそうだ。私たちの時代は、有珠岳登山をしていた。その後に、有珠岳が噴火したので、私たちの代の後の世代の生徒達と登ったのであろう。

 福津先生の訃報を聞いて、ふと心にメロデーが浮かんだ。その後もメロデーを何度も口の中でリフレインしていた。

胸にしみる空のかがやき
今日も遠くながめ涙をながす
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれわびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか

深い森のみどりにだかれ
今日も風の唄にしみじみ嘆く
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も続くのか

 フォーククルセダーズの『悲しくてやりきれない』である。

 2ヶ月前は元気で車も運転されていたそうだ。直接の死因は肺癌であるが、脳にも転移したとのことである。
 79歳であった。
2009.07.03 Fri l その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
我孫子市 電力中央研究所訪問
                           7月2日(木)

 千教研理科部会で我孫子にある電力中央研究所を訪問した。このような研究所が我孫子にあるということはまったく知らなかった。年に一度一般公開も行っているそうである。
2009.07.02 Thu l 活動報告 l COM(0) TB(0) l top ▲
松戸理科サークル
            7月1日(水)18時から20時30分
           
 勤労会館にて。

 先日(6月15日)の食肉センター見学の報告を行いました。食と命の問題をそれぞれの体験や経験をもとにして白熱した議論が起きました。このような課題をどのように生徒達に提起して行くべきか、大いなる検討課題として、今後も研究して行くべきであることを確認しあいました。



 小学校4年の電気分野の報告がありました。小学校では電気の分野をどのようにどこまで学ばせて行くのか、なかなか難しそうです。
 小学校では「中学校で使うような電流計は使いこなせない(4年生)ので検流計で十分」とういう声が多数でした。


いろいろな電気のおもちゃです。


風を使ったおもちゃ等の教材作りの準備をされていましたが、今回は時間の関係で次回に。

 8月は18日(火)9時30分から松戸市勤労会館にて予定。午後17時頃までたっぷり行うそうです。
2009.07.01 Wed l 松戸理科サークル l COM(0) TB(0) l top ▲