銀座の画廊へ
4月19日(日)
先日のアンデパンダン展でのシンポジウムで紹介された増山さんの個展に行ってみたいと思い、時間を作って銀座へ出かけた。増山さんの個展も興味があったが、会場の芸術研究所という画廊自体にも興味があったからである。画廊を覗くだけで、銀座に行くのは、もったいない気がしたので、八丁堀周辺から歩いて、その界隈を散策しながら、銀座に向かい「近代フィルムセンターで映画でも見て帰ろうか」と計画した。それ程、気も進まないが、途中に「警察博物館」というのもあるらしいので、これも覗いてみよう、と考えた。
フィルムセンターでのこの日の上映中の映画は、1946年作の「今ふたたび」(高峰三枝子主演)が13時から、と火野葦平原作の1939年作の「土と兵隊」が16時からの上映であった。どちらかというと「土と兵隊」の方が見たかった。しかし、「土と兵隊」は上映終了が18時30分頃になり「ちょっときついな」と思った。
まずは、捕物帳の世界「八丁堀周辺散策」を中心据え、銀座まで歩く、ということにした。

京葉線からの車窓から。
新木場駅から地下に入る。その直前の景色。
京葉線は、東京に向かうのに大きく右に曲がりながら、南東から地下に入って行く。
この景色からも、東京が水の都であることを感じさせる。

八丁堀駅で下車。八丁堀で今まで私は降りたことは、多分ないのでないだろうか。
ホームに独楽のタイルが。何故だろうか?


八丁堀A4の出口に。そこまで、けっこう長い地下通路が。


A4の出口。堀沿いに亀島橋まで歩く予定でここから出ることにした。
ここに高橋という橋が架かる。

右手に堀。「ここが元は八丁堀と言われたのであろうか」と思ったがこの堀(川)は亀島川。
八丁堀の意味は873mの堀のことであるが、八丁堀と言う地名は、八丁堀そのものよりも、しだいに堀に囲まれた地域のことを言うことが多かったらしい。江戸時代に入る以前の「江戸」と呼ばれ出した頃から、すでに埋め立ては行われていて、「亀島」という名も、カメの甲羅のように島が入り江に見えていたから、ということのようだ。このような言い方は亀戸についても同様である。
本来は1612年に開削されたという明治時代に名付けられた桜川のことを八丁堀と呼んだようだ。しかし、どこの堀が「八丁堀」そのものだったかにこだわらず、周りを堀で囲まれていた住民が、八丁堀と言う呼称を使い始め、それが「八丁堀」という「地名」になったようだ。ちなみに、この右手の堀は現在、亀島川呼ばれているが、江戸時代は越前堀と言われたそうだ。船での運送業が盛んだったそうだ。
今は、八丁堀そのものである桜川は1970年までには埋め立てられて、その姿は見られない。

高橋からは、亀島橋が向こうに見える。200m程先である。

地図に出ていて気になった日比谷稲荷神社。
由緒はありそうなのに、あれ?という感じである。

もとは今の日比谷公園辺りにあったらしい。
日比谷という地名は、海苔を採るヒビから来ていて、ヒビのある谷から来ている、とのこと。土砂の流入や、埋め立てで、どんどん海岸線が後退して行って江戸時代にこの地に移転したのことである。稲荷神社は、漁業に関係があり、安全祈願のために海岸線に置かれることが多いらしい。





亀島橋。

亀島橋の渡り口の案内板。
この周辺に千葉の中高年の星、伊能忠敬や写楽が住んでいたらしい。


亀島橋から日比谷稲荷神社方面を望む。

この橋の周辺は海運業も盛んだったらしい。

新川町に渡る。
先日のクレーンの事故を思い出して、遠回りに。

忠臣蔵の47士の一人、堀部安兵衛がこの周辺に住んでいたらしく、その碑。


新大橋通りに出る。

すぐ近くに八丁堀駅。

周辺はオフィス街です。

少しでも下町らしい雰囲気を捜して裏通りを。

近くで見かけた、少し古いビル。醸造機械を扱う会社らしい。


下町らしい雰囲気のお店。

どんどん古い建物は壊されてビルになるようです。
古い、と言っても周辺の古い建物は戦後に建てられたものですが。
この周辺は関東大震災や戦災にかなり痛めつけられたようです。


懐かしい雰囲気の残った路地。

八丁堀周辺についての案内板。
旧京華小学校校舎前です。現在、京華スクエアという公共施設。

その中。

旧校庭。

全景。

少し古そうなビル。
そば屋に入りたかったけど昼食時間には早すぎる。

桜橋ポンプ所。
この下に桜川があった。

ポンプ所の向かい側の空き地。何故有効利用しないのだろうか。

柵越しの遠くに八丁堀駅出口にある桜川公園が見える。

新富町に入る。

少し古い郵便局。
ふと気が付いたが、旧京華小学校といい、丸っぽい作りの建物が多いような。

京橋税務署。
後で気が付いたが、この周辺に新富座という歌舞伎場があったらしい。

築地橋。

築地橋という名が残るようにここは川だった。今は高速道路です。

橋を渡って右手に中央区役所へ。

中央区役所が見えて来ました。

有楽町線新富駅。

中央区役所正面。

全景。

先の方には、来てみたかった築地警察署が見える。

最近、日曜日も役所内の一部が開所し出したようだ。

役所の玄関から。
向かいが三吉橋。橋の下は高速道路です。
三吉橋という名は、江戸時代から合流した川に、三つの橋が架かっていたことから名付けられたそうだ。

築地警察署。
小林多喜二が虐殺された場所である。
予想通りというか、周辺にはそれにまつわる碑等は一切ない。
怒りをもって見つめた。


築地警察署前の公園。のどかな様子。

公園からの築地警察署。左に中央区役所。

築地警察署全景。


銀座方面に向かう道に見られた懐かしさの匂う建物。

こんな風に子どもの遊び場を確保しているんだ。

急に人が多くなった。
道路警備員も多い。

銀座通り(中央通り)。

松屋銀座。

外堀通りにある画廊に向かう途中にあるビル。
カメラの画像を加工した訳ではない。
デビアス銀座本店(宝石店)。3月30日にオープンしたそうだ。左隣はミキモト。

かのビルの1階部分。

なんで日の丸に星条旗なの?

ミキモトのビル。

画廊を覗く。
微細画の亀谷稔という人の作品展。私の感性にはあまり合わなかった。

よく来る数寄屋橋交差点。

少し外堀通りに進むと日動画廊本店。
こんな所にあったんだ。過去に来たことがあったっけ?あったような、ないような。
記憶は定かでない。
無論無料なので覗いて見る。

「Kinya展」という個展が開かれていた。こちらの方は私に感性には合った。

日動ビル(現在は東京海上日動ビル)の一角に熊本物産を扱う、銀座熊本本館。
少し覗くと2階で食事も出来るらしい。画廊の帰りに食事しようと考えた。

斜め向かいにリクルート本社。
ここにあるんだ。

少し行き過ぎてしまったようで、見逃すように銀座芸術研究所の小さな看板が。
1階がケーキ屋さん。

間違いないな、と思って2階に上がると。
なんと閉まっている。エッー!という感じであった。
増谷さんの個展案内のはがきをじっくり見ると確かに日曜日は開いていない。
しかし、じっくり見ないと(サーッと見る自分が悪いんだが)気が付かない。
諦め切れなくて,ドア越しに様子を見る。
あまり広そうではないが。


2階の画廊への入口。

1階のケーキ屋さんで聞くと、ときどき日曜日でも開いているそうだが。

先程の熊本館に戻り昼。
2階は、ごく最近の1週間程前にオープンしたのだそうだ。

トイレに行った際に窓から見える銀座の裏通り。


窓からの外堀通り。

ランチのだご汁定食800円。

食後のコーヒーがおそろしく温くて、入れ直ししてもらった。
時間がかかってフィルムセンターでの13時から上映時間が気になった。

数寄屋橋交差点。

ミキモト近くのオブジェ。

小物屋。

例のゆがんだビルの1階。1階までしっかりゆがんでいるんだね。

銀座通りは午後から歩行者天国なんだ。

銀座通りの一番北側から。

京橋の親柱。


時代ごとに33つ親柱が保存されている。


警察博物館。

18時までやっているそうで、無料です。
後で見ることに。

12時57分に近代フィルムセンターへ。

滑り込むようにホールへ。
途中入場は出来ない。500円。
意外に多くの観客に驚く。
古くて地味な映画なのに。300人程の会場の5分の3以上は入っていた。

15時に上映終了。

階段に展示されたポスター。


ホール受付。



次の「土と兵隊」の上映を待つ長い列が。
愛好家って多いんですね。

ロビーでも多くの人が上映時間を待っていました。



センターを見学します。
フィルムセンター展示室が7階にあります。

入館料200円、ということで中もどんな展示なのか分からないので、怯んだけど「まあいいか」と入ることにした。映画を見た半券があったら100円で入館出来た。始めに言って欲しいね。

屋上も覗きます。


ここが喫煙コーナーになっています。

全く景色も見えず、収容所状態。

ここまでは、写真を撮れます。
明治の映像が面白い。じっくり全て見てしまった。歩いて来た街並と比較しながら時代を感じた。
フランスのリミュエール兄弟は、1895年映画(シネマトグラフ)を発明するとただちに全世界各地に技師を派遣し、その風俗習慣を撮影したそうだ。これは日本を翌々年1987年から1889年にかけて取材したものである。リミュエール兄弟の先見性に感心した。

東京の通り。

東京の鉄道駅。

フィルムセンターの外観。

警察博物館の1階。

この展示のヘリに乗れます。
実際、この操縦席だと相当恐いでしょうね。



このような子ども向けのコーナーも。

警察博物館全景。

すぐ近くが京橋駅。
八丁堀まで歩きます。

フィルムセンター全景。

弾正橋。
と言っても橋の下は道路。


橋の上に水が流れ、その下は道路。変な感じです。

そば屋のあるビルに戻って来ました。

八丁堀駅。

駅隣にある桜川公園。

祠。

入一観音菩薩。入一とは入船一丁目という意味。
観音像というより地蔵さんという感じです。

虫歯祈祷石。


上のガマガエルの石像は、この写真の左下の位置に。

公園側から八丁堀駅を。


八丁堀駅の改札口です。
国立近代美術館フィルムセンターでの映画は、映画創世記のフィルムはもちろんのこと、近代のものも所蔵している。上映は、古いものを上映することが多いようだ。
実際に足を運んだのは初めてだが、私には、1984年のフィルム出火による全焼が印象深く記憶に残っている。
高見順原作の1946年作の「今ひとたびの」は、大女優の高峰三枝子(出演当時28歳)には申し訳ないが、あまり私好みではなし、転向者である高見順も好感が持てないので、あまり見る気がしなかったが、戦争直後の当時の時代を知る、という観点で鑑賞した。
当時は自然なのかも知れないが、頻繁にタバコを吸う場面が出てきて、映画の場面だけでも、出演者1人平均20本は吸っているように見えた。その場面を見る度に気が滅入ってしまった。
内容は原作通りではないようだが、私には「頗るロマンに走り気味」という展開で1946年という時代を意識しないと、とても見ていられない内容である。「君の名は」(よく私も知らないが)に似ているような場面もある。
簡単なあらすじは、戦後、復員姿のまま、約束した聖徳記念絵画館前で、毎週のように日曜日に待ち合わせるが、彼女は現れない。その場面から、戦前の2人が出会った時代を辿っていく、という流れである。戦前左翼(自由)思想に共鳴していた主人公(ヒーロー)が、演劇に主演していた財閥の娘のヒロインに引かれるが、左翼運動に共鳴した彼女は検挙され出所後に婚約者と結婚する。セツルメントの医者であるヒーローは純愛を貫き、召集前に、生きて再び会うことを約束した2人であった。
数週間後に待ち合わせの場所に、ヒロインからの手紙を持って現れた知人によって、主人公は、箱根の療養所に居るヒロインに会うことが出来たのだった。
映画を見て、気になったのは、タバコはもちろんのこと、左翼が強調され過ぎのこと(占領軍政策?)、貧しいもの達の姿はあるが、主に戦前での話で、戦後の食糧難の悲惨な状況が画面に現れて来ないこと、話の展開がうまく?行き過ぎていること、である。
主演の龍崎一郎は、その後、悪役等での脇役でも活躍した役者である。
7階のフィルムセンターの展示室は見応えがあった。それ程広い会場ではないのだが、おそらく、こんなに長い時間見学していた人は、あまりいないかも知れない。私の見学中に、私は次々と抜かれて行った。入館料100円は安いかも。
日本の映画の創世記から、歴史を辿るように展示されているが主に映画会社の観点から展示されている。古い撮影機や映写機等の展示もある。
アニメのコーナーでは、手塚治虫紹介のコーナーも。
企画展の映画の中の日本文学パート?で、小林多喜二や忍びの者の原作で有名な劇作家でもある敬愛する村山知義のコーナーもあった。
ただ展示物説明のプレートの字が小さい。会場は撮影機等の保存のためか、暗くしているので、目が大変疲れた。受付で大型のルーペを貸してくれるのだそうだが、説明のプレートまで近づいて行って見る姿勢を続けるのは、大変そうである。
警察博物館は閉館30分前だったのでサーッと見たが、意外におもしろいかも。むろん警察らしい当局側の観点に立った展示内容であるが。
博物館は元京橋署があった場所だそうで統合のために、警察博物館になったらしい。
1日、歴史小説の舞台、八丁堀周辺を歩いた。相当に疲れた1日であった。
昨今、東京散歩が、一定の人気があって、ガイド本も多数出版されている。
常に変貌する東京であるが、歴史を踏まえながら歩いてみると多くの見応えのある史蹟がある。
江戸や戦前の雰囲気を残した所は、ごくごくわずかである。けれども、現在建築の下に埋もれた江戸や戦前の史蹟を推理し、当時の人々の生活を想像するのも面白いものである。
4月19日(日)
先日のアンデパンダン展でのシンポジウムで紹介された増山さんの個展に行ってみたいと思い、時間を作って銀座へ出かけた。増山さんの個展も興味があったが、会場の芸術研究所という画廊自体にも興味があったからである。画廊を覗くだけで、銀座に行くのは、もったいない気がしたので、八丁堀周辺から歩いて、その界隈を散策しながら、銀座に向かい「近代フィルムセンターで映画でも見て帰ろうか」と計画した。それ程、気も進まないが、途中に「警察博物館」というのもあるらしいので、これも覗いてみよう、と考えた。
フィルムセンターでのこの日の上映中の映画は、1946年作の「今ふたたび」(高峰三枝子主演)が13時から、と火野葦平原作の1939年作の「土と兵隊」が16時からの上映であった。どちらかというと「土と兵隊」の方が見たかった。しかし、「土と兵隊」は上映終了が18時30分頃になり「ちょっときついな」と思った。
まずは、捕物帳の世界「八丁堀周辺散策」を中心据え、銀座まで歩く、ということにした。

京葉線からの車窓から。
新木場駅から地下に入る。その直前の景色。
京葉線は、東京に向かうのに大きく右に曲がりながら、南東から地下に入って行く。
この景色からも、東京が水の都であることを感じさせる。

八丁堀駅で下車。八丁堀で今まで私は降りたことは、多分ないのでないだろうか。
ホームに独楽のタイルが。何故だろうか?


八丁堀A4の出口に。そこまで、けっこう長い地下通路が。


A4の出口。堀沿いに亀島橋まで歩く予定でここから出ることにした。
ここに高橋という橋が架かる。

右手に堀。「ここが元は八丁堀と言われたのであろうか」と思ったがこの堀(川)は亀島川。
八丁堀の意味は873mの堀のことであるが、八丁堀と言う地名は、八丁堀そのものよりも、しだいに堀に囲まれた地域のことを言うことが多かったらしい。江戸時代に入る以前の「江戸」と呼ばれ出した頃から、すでに埋め立ては行われていて、「亀島」という名も、カメの甲羅のように島が入り江に見えていたから、ということのようだ。このような言い方は亀戸についても同様である。
本来は1612年に開削されたという明治時代に名付けられた桜川のことを八丁堀と呼んだようだ。しかし、どこの堀が「八丁堀」そのものだったかにこだわらず、周りを堀で囲まれていた住民が、八丁堀と言う呼称を使い始め、それが「八丁堀」という「地名」になったようだ。ちなみに、この右手の堀は現在、亀島川呼ばれているが、江戸時代は越前堀と言われたそうだ。船での運送業が盛んだったそうだ。
今は、八丁堀そのものである桜川は1970年までには埋め立てられて、その姿は見られない。

高橋からは、亀島橋が向こうに見える。200m程先である。

地図に出ていて気になった日比谷稲荷神社。
由緒はありそうなのに、あれ?という感じである。

もとは今の日比谷公園辺りにあったらしい。
日比谷という地名は、海苔を採るヒビから来ていて、ヒビのある谷から来ている、とのこと。土砂の流入や、埋め立てで、どんどん海岸線が後退して行って江戸時代にこの地に移転したのことである。稲荷神社は、漁業に関係があり、安全祈願のために海岸線に置かれることが多いらしい。





亀島橋。

亀島橋の渡り口の案内板。
この周辺に千葉の中高年の星、伊能忠敬や写楽が住んでいたらしい。


亀島橋から日比谷稲荷神社方面を望む。

この橋の周辺は海運業も盛んだったらしい。

新川町に渡る。
先日のクレーンの事故を思い出して、遠回りに。

忠臣蔵の47士の一人、堀部安兵衛がこの周辺に住んでいたらしく、その碑。


新大橋通りに出る。

すぐ近くに八丁堀駅。

周辺はオフィス街です。

少しでも下町らしい雰囲気を捜して裏通りを。

近くで見かけた、少し古いビル。醸造機械を扱う会社らしい。


下町らしい雰囲気のお店。

どんどん古い建物は壊されてビルになるようです。
古い、と言っても周辺の古い建物は戦後に建てられたものですが。
この周辺は関東大震災や戦災にかなり痛めつけられたようです。


懐かしい雰囲気の残った路地。

八丁堀周辺についての案内板。
旧京華小学校校舎前です。現在、京華スクエアという公共施設。

その中。

旧校庭。

全景。

少し古そうなビル。
そば屋に入りたかったけど昼食時間には早すぎる。

桜橋ポンプ所。
この下に桜川があった。

ポンプ所の向かい側の空き地。何故有効利用しないのだろうか。

柵越しの遠くに八丁堀駅出口にある桜川公園が見える。

新富町に入る。

少し古い郵便局。
ふと気が付いたが、旧京華小学校といい、丸っぽい作りの建物が多いような。

京橋税務署。
後で気が付いたが、この周辺に新富座という歌舞伎場があったらしい。

築地橋。

築地橋という名が残るようにここは川だった。今は高速道路です。

橋を渡って右手に中央区役所へ。

中央区役所が見えて来ました。

有楽町線新富駅。

中央区役所正面。

全景。

先の方には、来てみたかった築地警察署が見える。

最近、日曜日も役所内の一部が開所し出したようだ。

役所の玄関から。
向かいが三吉橋。橋の下は高速道路です。
三吉橋という名は、江戸時代から合流した川に、三つの橋が架かっていたことから名付けられたそうだ。

築地警察署。
小林多喜二が虐殺された場所である。
予想通りというか、周辺にはそれにまつわる碑等は一切ない。
怒りをもって見つめた。


築地警察署前の公園。のどかな様子。

公園からの築地警察署。左に中央区役所。

築地警察署全景。


銀座方面に向かう道に見られた懐かしさの匂う建物。

こんな風に子どもの遊び場を確保しているんだ。

急に人が多くなった。
道路警備員も多い。

銀座通り(中央通り)。

松屋銀座。

外堀通りにある画廊に向かう途中にあるビル。
カメラの画像を加工した訳ではない。
デビアス銀座本店(宝石店)。3月30日にオープンしたそうだ。左隣はミキモト。

かのビルの1階部分。

なんで日の丸に星条旗なの?

ミキモトのビル。

画廊を覗く。
微細画の亀谷稔という人の作品展。私の感性にはあまり合わなかった。

よく来る数寄屋橋交差点。

少し外堀通りに進むと日動画廊本店。
こんな所にあったんだ。過去に来たことがあったっけ?あったような、ないような。
記憶は定かでない。
無論無料なので覗いて見る。

「Kinya展」という個展が開かれていた。こちらの方は私に感性には合った。

日動ビル(現在は東京海上日動ビル)の一角に熊本物産を扱う、銀座熊本本館。
少し覗くと2階で食事も出来るらしい。画廊の帰りに食事しようと考えた。

斜め向かいにリクルート本社。
ここにあるんだ。

少し行き過ぎてしまったようで、見逃すように銀座芸術研究所の小さな看板が。
1階がケーキ屋さん。

間違いないな、と思って2階に上がると。
なんと閉まっている。エッー!という感じであった。
増谷さんの個展案内のはがきをじっくり見ると確かに日曜日は開いていない。
しかし、じっくり見ないと(サーッと見る自分が悪いんだが)気が付かない。
諦め切れなくて,ドア越しに様子を見る。
あまり広そうではないが。


2階の画廊への入口。

1階のケーキ屋さんで聞くと、ときどき日曜日でも開いているそうだが。

先程の熊本館に戻り昼。
2階は、ごく最近の1週間程前にオープンしたのだそうだ。

トイレに行った際に窓から見える銀座の裏通り。


窓からの外堀通り。

ランチのだご汁定食800円。

食後のコーヒーがおそろしく温くて、入れ直ししてもらった。
時間がかかってフィルムセンターでの13時から上映時間が気になった。

数寄屋橋交差点。

ミキモト近くのオブジェ。

小物屋。

例のゆがんだビルの1階。1階までしっかりゆがんでいるんだね。

銀座通りは午後から歩行者天国なんだ。

銀座通りの一番北側から。

京橋の親柱。


時代ごとに33つ親柱が保存されている。


警察博物館。

18時までやっているそうで、無料です。
後で見ることに。

12時57分に近代フィルムセンターへ。

滑り込むようにホールへ。
途中入場は出来ない。500円。
意外に多くの観客に驚く。
古くて地味な映画なのに。300人程の会場の5分の3以上は入っていた。

15時に上映終了。

階段に展示されたポスター。


ホール受付。



次の「土と兵隊」の上映を待つ長い列が。
愛好家って多いんですね。

ロビーでも多くの人が上映時間を待っていました。



センターを見学します。
フィルムセンター展示室が7階にあります。

入館料200円、ということで中もどんな展示なのか分からないので、怯んだけど「まあいいか」と入ることにした。映画を見た半券があったら100円で入館出来た。始めに言って欲しいね。

屋上も覗きます。


ここが喫煙コーナーになっています。

全く景色も見えず、収容所状態。

ここまでは、写真を撮れます。
明治の映像が面白い。じっくり全て見てしまった。歩いて来た街並と比較しながら時代を感じた。
フランスのリミュエール兄弟は、1895年映画(シネマトグラフ)を発明するとただちに全世界各地に技師を派遣し、その風俗習慣を撮影したそうだ。これは日本を翌々年1987年から1889年にかけて取材したものである。リミュエール兄弟の先見性に感心した。

東京の通り。

東京の鉄道駅。

フィルムセンターの外観。

警察博物館の1階。

この展示のヘリに乗れます。
実際、この操縦席だと相当恐いでしょうね。



このような子ども向けのコーナーも。

警察博物館全景。

すぐ近くが京橋駅。
八丁堀まで歩きます。

フィルムセンター全景。

弾正橋。
と言っても橋の下は道路。


橋の上に水が流れ、その下は道路。変な感じです。

そば屋のあるビルに戻って来ました。

八丁堀駅。

駅隣にある桜川公園。

祠。

入一観音菩薩。入一とは入船一丁目という意味。
観音像というより地蔵さんという感じです。

虫歯祈祷石。


上のガマガエルの石像は、この写真の左下の位置に。

公園側から八丁堀駅を。


八丁堀駅の改札口です。
国立近代美術館フィルムセンターでの映画は、映画創世記のフィルムはもちろんのこと、近代のものも所蔵している。上映は、古いものを上映することが多いようだ。
実際に足を運んだのは初めてだが、私には、1984年のフィルム出火による全焼が印象深く記憶に残っている。
高見順原作の1946年作の「今ひとたびの」は、大女優の高峰三枝子(出演当時28歳)には申し訳ないが、あまり私好みではなし、転向者である高見順も好感が持てないので、あまり見る気がしなかったが、戦争直後の当時の時代を知る、という観点で鑑賞した。
当時は自然なのかも知れないが、頻繁にタバコを吸う場面が出てきて、映画の場面だけでも、出演者1人平均20本は吸っているように見えた。その場面を見る度に気が滅入ってしまった。
内容は原作通りではないようだが、私には「頗るロマンに走り気味」という展開で1946年という時代を意識しないと、とても見ていられない内容である。「君の名は」(よく私も知らないが)に似ているような場面もある。
簡単なあらすじは、戦後、復員姿のまま、約束した聖徳記念絵画館前で、毎週のように日曜日に待ち合わせるが、彼女は現れない。その場面から、戦前の2人が出会った時代を辿っていく、という流れである。戦前左翼(自由)思想に共鳴していた主人公(ヒーロー)が、演劇に主演していた財閥の娘のヒロインに引かれるが、左翼運動に共鳴した彼女は検挙され出所後に婚約者と結婚する。セツルメントの医者であるヒーローは純愛を貫き、召集前に、生きて再び会うことを約束した2人であった。
数週間後に待ち合わせの場所に、ヒロインからの手紙を持って現れた知人によって、主人公は、箱根の療養所に居るヒロインに会うことが出来たのだった。
映画を見て、気になったのは、タバコはもちろんのこと、左翼が強調され過ぎのこと(占領軍政策?)、貧しいもの達の姿はあるが、主に戦前での話で、戦後の食糧難の悲惨な状況が画面に現れて来ないこと、話の展開がうまく?行き過ぎていること、である。
主演の龍崎一郎は、その後、悪役等での脇役でも活躍した役者である。
7階のフィルムセンターの展示室は見応えがあった。それ程広い会場ではないのだが、おそらく、こんなに長い時間見学していた人は、あまりいないかも知れない。私の見学中に、私は次々と抜かれて行った。入館料100円は安いかも。
日本の映画の創世記から、歴史を辿るように展示されているが主に映画会社の観点から展示されている。古い撮影機や映写機等の展示もある。
アニメのコーナーでは、手塚治虫紹介のコーナーも。
企画展の映画の中の日本文学パート?で、小林多喜二や忍びの者の原作で有名な劇作家でもある敬愛する村山知義のコーナーもあった。
ただ展示物説明のプレートの字が小さい。会場は撮影機等の保存のためか、暗くしているので、目が大変疲れた。受付で大型のルーペを貸してくれるのだそうだが、説明のプレートまで近づいて行って見る姿勢を続けるのは、大変そうである。
警察博物館は閉館30分前だったのでサーッと見たが、意外におもしろいかも。むろん警察らしい当局側の観点に立った展示内容であるが。
博物館は元京橋署があった場所だそうで統合のために、警察博物館になったらしい。
1日、歴史小説の舞台、八丁堀周辺を歩いた。相当に疲れた1日であった。
昨今、東京散歩が、一定の人気があって、ガイド本も多数出版されている。
常に変貌する東京であるが、歴史を踏まえながら歩いてみると多くの見応えのある史蹟がある。
江戸や戦前の雰囲気を残した所は、ごくごくわずかである。けれども、現在建築の下に埋もれた江戸や戦前の史蹟を推理し、当時の人々の生活を想像するのも面白いものである。
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